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YA【笑ってよ、エンジェル】(11月号)


2016/11

 

p1

 三年C組の教室は緊張感に包まれている。教壇に立っているのは、英語の教師の今泉先生だ。教科書を開いて、今まさに、誰から朗読させようか教室の中を見回している。
 竹井良行は前から三番目という中途半端な席で息を潜める。
 良行は英語の予習をしてない。復習もしたことない。試験が近づくと、問題に出そうなページにだけ目を通してなんとか切り抜けてきた。勉強は大嫌いだ。今後の進路は、公立でも私立でもいいからとりあえず高校に行ければそれでいい。
「川西亜紀、四十一ページ目から」
 今泉先生はぶっきらぼうに言った。
(あぶねー)
 良行は胸をなでおろす。
 亜紀は良行の隣りの列の席だ。いつも後ろへと朗読と翻訳が回っていくので、この英語の授業では、良行まで順番は回ってこないだろう。
「は、はい!」
 指名された亜紀は、驚いて飛び上がるように立ち上がった。椅子が後ろの席の机にぶつかって、ガシャンと音を立てた。
 良行は、亜紀に視線をやった。丸く切りそろえられた黒髪から、赤い耳の端がのぞいている。一重の目は近眼で銀色の眼鏡をかけている。背は中くらい。体格も中くらい。おそらく、成績も中くらいだと思う。
「ゼ、ゼア、アー……、エンジェル、オ、オンジアース……」
 亜紀は英語の教科書を読み始めた。めちゃくちゃ緊張しているのが、良行にも伝わってくる。三行読むと小さな声で日本語訳を述べた。
 今泉先生は白髪の眉毛をしかめて亜紀の和訳を聞いていたが、ヨロシイ、とだけ告げた。
 すげーっ! 良行は感心した。今泉先生は必ずと言っていいほど、生徒にダメ出しをする。
 良行には完璧と思われた音読でも、細かな発音があーだのこーだの注文をつける。和訳も厳しい。それが一発でオーケーなんて。
「はい、後ろ」
 案の定、今泉先生は後ろへ順番を回した。
 亜紀は花柄のハンカチを取り出して、額と鼻の上の汗を押さえた。少しも喜んでいる様子はない。まだ緊張しているのか、体を硬直させている。
 良行は亜紀から視線を反らすと、筆箱から鉛筆を取り出した。指の上で器用にくるくる回す。漫画の続きを描こう。
 良行は教科書のすみっこに、ぱらぱら漫画を描いている。退屈な授業をやり過ごすのだ。
 英語の教科書には、『空を走る人間』を描いている。一ページ目から続く漫画は、人間が空へ浮かんだ所まで描いた。さて、これからどんなふうに展開しよう。やっぱり空中を走りながら力尽きて、回転させながら地面に落とすか。


p2

「登って落ちるだけなんておもしろくないなぁ……」
「返せよ」
 休み時間、良行は友だちの拓馬から教科書をひったくった。
 拓馬はさんざん良行の漫画にケチをつけた後、女子の吉野が教室に入ってくると、そそくさと立ち去ってしまった。
 良行は英語の教科書の隅を、指先でぱらぱらとめくってみる。完成したぱらぱら漫画の内容は、拓馬の言った通り実にシンプルだ。丸を描いて棒を引いて手足をつけた人間が道を走る。少しずつ足が宙に浮かぶ。そして、途中から墜落する。
 ぱらぱら、ぱらぱら。
 漫画の中の人間は、ちゃんと動いているように見える。同じような図面を五十枚近く描くのだから、なかなか根気のいる作業だ。漫画のラストで主人公の人間の頭は地面にめりこんでいる。
 ふと、良行は視線を感じた。
 隣りを見ると、亜紀が慌てて前に向き直った。
「ご、ごめんなさい。わたし、笑ってしまって……」
 良行は上手く言葉を返せなかった。なんだか嬉しい。自分の漫画を見て笑ってくれるなんて。
 そう言えば、亜紀の笑顔を初めて見たような気がする。地味で大人しい亜紀は、いつもうつむいているイメージがある。
 もう一度、最初から、指先でぱらぱら漫画をめくる。亜紀によく見えるように、英語の教科書を斜めにして。
 一瞬、亜紀はびっくりしたように良行の顔を見て、視線を漫画に移した。ラストでくすっと笑うと、口元を押さえた。


p3

 翌日、英語の時間。今泉先生の授業は、昨日の続きの朗読と和訳で始まった。当てられたのは、教室の左の一番前で、机に突っ伏していた拓馬だ。
(ラッキー!)
 良行にも亜紀にも絶対に順番は回ってこない。
 それでも、亜紀は英語の教科書を開き両手で持っている。ノートには予習してきたと思われる日本語訳がびっしりと書かれている。筆箱の前には赤ペンもスタンバイ。当てられる心配はないという安堵感のせいか、表情はやや柔らかい。
(あっ、そうだ……)
 亜紀の花柄の筆箱を見て、良行は思い付いた。
 タイトル『空を走る人間』のぱらぱら漫画の足元に、小さな花を咲かせよう。
 良行は教科書を開いて、鉛筆を持った。
 さっそく一ページ目の地中に種を書き込む。十ページ目で芽が出て、二十ページ目で茎が伸びきり、三十ページ目で蕾がついて、四十ページ目で花が咲いて、ラストで種に戻る。
 先に、ぱらぱら漫画の流れを決めると、今度はストーリーをつなげる作業に移る。良行は教科書に鼻がつくほど顔を近づけて、次々と漫画を描いていく。十五分足らずで、走る男の足元に小さな花が咲いた。
 鉛筆を置いて、試しに教科書をぱらぱらとめくってみる。モノトーンの漫画は動き出して、まるで色を帯びたようだ。
 よしっ! 
 良行は楽しくなってきた。亜紀に見せてあげたい。隣りを盗み見ると、亜紀はちらちらと良行を見ていた。
「ホラ」
 口パクで、良行は亜紀に教科書の隅を見せる。一度目はゆっくりと、二度目は少しスピードをあげて、ぱらぱら漫画をめくる。
 花に気づいて、亜紀は口元を緩めた。
 良行が調子にのって三度目を披露しようとした時、
「こらっ! こそこそと何をしとる!」
 今泉先生の雷が落ちた。
 亜紀は首を縮めた。
 今泉先生が教壇を降りて、つかつかと良行と亜紀の机の間にやって来た。メンドーなことになった。良行は頭をかく。でも、ぱらぱら漫画が見つかるのは初めてじゃない。
「竹井、また、教科書に落書きして!」
「す、すみません」
「川西、なんで、おまえが謝るんだ?」
 今泉先生は亜紀のノートを手に取った。几帳面なほど細かな字で、授業の予習と復習がきちんとまとめられている。今泉先生はノートを亜紀に返しながら、集中するようにとだけ注意した。そして、良行に向き直った。
「これは、没収するからな」
「教科書を没収されちゃうと、勉強できませーん」
 良行はふざけた声を出した。
「勉強するつもりがあるのなら、この授業の間は、川西に教科書を見せてもらえ。それから、後で、職員室に教科書を取りに来るように!」
「マジで?」
「何か不満でもあるのか?」
 良行はぶんぶんと首を横にふる。
 亜紀に教科書を見せてもらうには、机を寄せないといけない。照れ臭いけど、ちょっと嬉しい。
 亜紀は真っ赤になってうつむいている。今泉先生は宣言通り、良行の教科書を没収して教壇へ戻った。
 授業が再開される。
 良行は机を亜紀の方へ近づけた。
 亜紀は教科書を、机の斜め上に置いてくれた。良行にとって退屈で長いだけの英語の授業がいつもと違う。亜紀の筆箱の中から、いい香りがしてくる。香りの元は花の形をした消しゴムのようだ。
 よく見ると、亜紀の持ち物のあちこちに、花の模様がついている。大きいド派手な花ではなく、野花みたいな小さな花だ。
 良行は自分のノートに、
「花が好きなの?」
 と書いて、亜紀に見せた。
 亜紀はちょっと困った顔をしたけれど、ウンとノートの隅っこに書いた。それから、二人はノートの隅っこで、ちょこちょこと会話をした。


p4

 放課後。
 良行が消しゴムのカスまみれで職員室から出ると、亜紀が廊下で待っていた。
「ごめんなさい。竹井くんだけが怒られて……」
「いいよ、俺が悪いんだもん。それに、俺は慣れてるから。怒られるのも、ぱらぱら漫画を消しゴムで消すのもね」
 良行は制服の袖についた消しゴムのカスを手ではらった。
「えっ……、消しちゃったの? もったいない」
 ハッ? 
 ぱらぱら漫画なんて、子どもの落書きみたいなものだ。今まで、もったいないだなんて言ってもらったことはない。
「ま、また描いてやるよ、今度はメモ帳にさ」
 良行と亜紀は並んで廊下を歩いた。
 亜紀は緊張しているのか、口元をぎゅっと結んでいる。歩き方もロボットみたいでぎこちない。
 亜紀の笑顔、また見たいな。
 良行は、ぱらぱら漫画のラストで、くすっと口元を押さえた亜紀の顔を思い出した。
 どんな漫画を描いたら、また亜紀は笑ってくれるかな。誰かの為に、漫画のストーリーを考えるなんて初めてだ。
 下駄箱に、でっかい夕日が差し込んでいる。

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〜創作日記〜
「パラパラ漫画の個展」という不思議な展示に連れて行ってくれた人がいまして、それを題材に書きました。
私はデートの思い出とか、そういう忘れたくない舞台をいろんなところの短編の設定にしてしまう悪い癖があります。元気にしてるかな(笑

©️白川美古都


新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。