YA【泥は降りしきる】(8月号)
矢崎メグムはあぶな川の岩に腰かけて、大きなため息をついた。
中学二年生の夏休みの課題に、清掃ボランティアに参加したことを激しく後悔している。他に選ぶことのできた読書感想文、自由研究よりも、三日間、川の周りのゴミを拾うボランティアの方がらくちんに感じた。
クラスメイトの安藤ヒロ子も、そう言った。
本気で地元の川をきれいにしようだなんて思ってない。さっさと宿題をやっつけて夏休みをのんびり過ごしたい。
あぶな川とは通称で、地元ではそう呼ばれている。
昭和の時代に、川の水が増水して小学生が流される事故があってから正式名称ではなく、この川で遊ぶなアブナイヨという意味で付けられたらしい。
「平成に入ってから一度も事故は起きてないが、くれぐれも川の中に入らないように!」
白髪のオジサンが、大きな声で注意を促した。
「メグム、こっちにおいでよ。ゴミがたくさん落ちているよ!」
ヒロ子はまるで宝物でも見つけたかのように、川辺で飛び跳ねている。手に持っているのは、ただのペットボトルだ。
「今、いく」
メグムは苦笑する。
ぼんやり、ヒロ子を眺める。ピンクの短パンをはいて虹がプリントされた白いTシャツを着ている。足元は赤い長靴。
小学生かよ、と突っ込みたくなるような恰好だ。
実際、このボランティアは地域主催で、小学生と保護者も参加している。総勢二十名ほど、白髪のオジサンさんがリーダーだ。
「君たちが最年長だよ」
オジサンに声をかけられた。それから、
「親友ってええなぁ」と。
親友? メグム声に出さなかった。
親友は友達以上のような気がする。そもそも、私たちは本当の友達なのだろうか? ところが、
「ハイ、親友なんです」
ヒロ子はメグムの腕に引っ付いた。ヒロ子の絡みつくようなくっ付き方が、メグムは好きではない。
一年生の時から同じクラスで人懐っこいヒロ子は、誰とでも楽しそうにおしゃべりしていた。ある時、一人で読書しているメグムの席にヒロ子がやって来た。そして、いきなり友達になろうと言われた。
最初、メグムはドン引きした。友達とはなろうと言われて、ハイなりましょうとなるものではないと思った。
けれども、
「決まりね、握手よ!」
ヒロ子はメグムと強引に手をつないで上下に揺らした。
あの日以来、めでたく友達とやらになったらしい。
「メグムも早くおいでよ。ゴミがなくなっちゃうよ」
ヒロ子が再び顔を上げて手招きする。
「なくなればいいじゃないの、川の掃除なんだから」
メグムはヒロ子に届かない音量でつぶやく。
いつだって本音をヒロ子に話せない。そもそも、メグムは一人が嫌いという訳ではない。ヒロ子とつるんでいるのは、彼女の底抜けの明るさと行動力、メグムにはないモノを持っているから。
つながっていれば美味しいところだけを頂戴することだってできる。今日みたいに……。
「後で、袋のゴミを半分、分けてもらおうっと……」
結局、一日目、メグムは少し探しては休むを繰り返してやり過ごした。
二日目、メグムは遅刻してボランティアに参加した。スミマセンと心にも思っていないことを口にすると、気のせいか保護者たちの冷ややかな視線が返ってきた。
「チッ、面倒くさい」
メグムは口の中でつぶやく。
今更、あぶな川のゴミ拾いをしたところで生活用水の流れ込むこの川が清流になるわけがない。
ボランティア記録にはもちろん書かないが、それがメグムの本心だ。
(ヒロ子は……、あれっ? いない?)
風が乱暴にメグムの前髪をなでる。
さすがに土手を降りて、川辺に近づく。待ち合わせはしていない。あぶな川で落ち合うことにしている。
メグムが遅刻したので、ヒロ子は先にゴミ拾いを開始したのだろう。
笑い声が下流から聞こえた。
ヒロ子だ。
メグムがゴミ袋を手に川辺を歩いて行くと、ヒロ子が知らない女の子とおしゃべりしていた。小学生高学年だろうか、白いタオルを首にまき、日よけの帽子をかぶりゴムを首にかけて、軍手まではめている。年下だが見るからに真面目そうな女の子だ。
「そっちにいったよ!」
「あっ、いた!」
ヒロ子と女の子は川の中を覗いて指さしている。
メグムが近づいてもヒロ子は気づきもしない。
ヒロ子は川の中の石に乗っている。女の子が止めるのも聞かずにもう一つ真ん中の石に飛び移った。それから、前のめりになって、狙いを定めて空き缶を川の中に突っ込んだ。何かをすくいあげたようだ。
「獲れた!」
「危ないから川から出なさい!」
ヒロ子の声はボランティアのオジサンの声にかき消された。
(うわっ……)
メグムは説教に巻き込まれたくなくて、ヒロ子と女の子から五、六メートル離れた。
案の定、オジサンのお叱りは延々と続いた。大声なので言葉の端々が聞こえてくる。
昭和の時代、男の子たちが三人、川で遊んでいて一人が流された。そして溺れて亡くなった。三人? 一人だけ落ちた?
大多数の大人は子どもたちに肝心なところを伝えてくれない。
この件は一人の小学生が川の事故で亡くなったと聞かされていた。詳細を聞くのはメグムは初めてだ。おそらくヒロ子も女の子も。
ふと、メグムは思った。
もし、ヒロ子が川に落ちたら自分ならどうするかな? 助けて! と叫ぶヒロ子。
(川に飛び込む? いや、ナイ)
いつだったか、空のペットボトルを投げてあげると浮輪の代わりになると教わった。でも、ペットボトルを持っていなかったら? 走って大人を呼びに行く。
走って、走って……、それでも大人が見つからなかったら? 自宅の二階の部屋に逃げる自分の背中が見える気がした。
すべきことはやったと。
では、大人が見つかって、運よくヒロ子が助かったら? 私は本当に心の底から安心するだろうか? 川にいた自分も怒られる。両親も警察も来るだろう。学校にも連絡されて先生からも叱られるだろう。
卒業までそういう目で見られるし、万一、ネットに名前をさらされたら? もうここに住めない。
「巻き込まれるのは、嫌だ……」
昭和の時代に、生き残った二人は何を思って今、生活しているのかな? もう大人になっているだろう。
しかし、忘れられるわけがない。同級生が死んで、地元では世代を超えて今も話し継がれているのだから。
(あぁ、最悪だ)
もちろん、被害者にもなりたくないし加害者にされるのも嫌だ。それにしても暑い……。
さらにメグムは二人から離れる。川辺は太陽光を遮るものがない。木陰まで戻るのはさすがにやらしい。無難な所にいる。
「あっ、メグム!」
説教から解放されると、ヒロ子はけろりとしていた。一方、女の子は泣いたのか目がまっ赤だ。
「これ、見てよ!」
ヒロ子が差し出した空き缶の中に一匹の小さな魚がいた。ワカサギの子どもみたいな小さな魚だ。
この魚を獲る為に川の中の石に飛び移ったんだ。アリエナイ。こんな可愛くない魚の為に命を危険にさらすのは愚かだ。あんなに怒られるのもまっぴらだ。
「可愛いいでしょ? タナゴよ!」
ヒロ子は声を弾ませる。いつもなら、可愛いね、と答えたのかもしれない。
しかし、一瞬、メグムは言葉につまった。それから、ウンと曖昧にうなずいた。ヒロ子はメグムの表情を見逃さなかった。まるで試すように、
「空き缶に水が少ないから足してくれない?」
メグムにお願いした。
えっ、川に近づけということ?
「オジサンに目を付けられちゃったから。このタナゴ、家で飼いたいの」
ヒロ子は缶を押し付ける。友達がこんなことをするだろうか。
でも、昨日、ゴミを分けてくれた。おそらく頼めば、今日も分けてくれるだろう。メグムは歩き出した。オジサンは向こう側の小学生たちの見守りをしている。こっそり川に近づいて、テキトーに水をくもう。それで、今日の仕事はオシマイだ。
メグムは川のすごく手前から腕を伸ばして、缶を傾けて水をくんだ。
その瞬間、タナゴは逃げた。メグムは急いで水をくみなおした。缶の中に泥水が入った。逆さまにすると、足元にびしゃびしゃ泥と小石と水が飛び散った。
ヒロ子がメグムにかけよってきた。
「え、ウソっ、逃げちゃったの?」
「どうせ死んじゃうって」
一応、メグムはもう一杯、泥水をすくった。
泥は降りしきる。
ヒロ子は黙っていた。あまりに落胆しているヒロ子の姿を、メグムは凝視できない。鼻をすする音に、メグムはハッとした。
ヒロ子は泣いていた。そんなに悪いことをしたか? そんなにタナゴが欲しかったのか?
すると、
「ごめん、試すようなことをして……」
ヒロ子が謝った。
本音の謝罪が胸に突き刺さった。
メグムは俯いた。胸のあたりがもやもやした。タナゴを逃がした。ゴミを分けてもらった。
今までの友達ごっこ。それなのに言葉が出ない。本当の友達になればどうすればいいのだろう?
こんなこと、初めて考えた。泥水が少しずつ透き通っていく。謝るのは自分の方だ。顔を上げると、一瞬、タナゴの影が見えて吸い込まれるように水底に消えた。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。