YA【あたしの夏休み】(8月号)
塾の休憩時間に、筒井万里は一個目の菓子パンを口に押し込みながら、親友で幼なじみの石井知美に話しかけた。
「明後日、市民プールに行くでしょう? 何時に迎えに行こうか?」
「まだ、行くとも行かないとも言ってないよ」
知美は小さなお弁当箱の黄色の卵焼きをつついている。ブロッコリーの緑にプチトマトの赤、米はチャーハン、彩りはばっちりだけれど、万里の腹を絶対に満たしてくれそうもない。
小太りの万里は、二個目のメロンパンの袋を破る。
「回覧板、見なかったの? 今週末、市民プールの半額デーだよ?」
「そう……」
万里と知美は同じ町内に住んでいる。徒歩十分、ダッシュで五分のご近所さんだ。
「毎年、必ず行っているじゃん」
万里の言葉に、
「行ってないよ」
知美は珍しく語気を強めた。
あっ……、そう言えば、去年は市民プールへ行かなかった。万里はメロンパンを飲み込む。知美が生理になって、ドタキャンしたのだ。
幼稚園、小学生と毎年続いていた夏休みの楽しみが、初めて途絶えた。
万里の身体は、まだ生理が来てない。
去年の夏、知美は生理が来たことを恥ずかしそうに万里に伝えた。うつむきながら話す知美の姿はおしとやかで、いつものショートカットでお転婆な知美ではなかった。
「それで……、今年は行けそうなの?」
万里は恐る恐る尋ねた。
知美は箸をカチカチ鳴らして、イライラしている。
万里の質問には答えずに、ほとんど食べてないお弁当箱のふたを、パタンと閉じた。それから、席を立ってトイレに行ってしまった。
女の人は生理前、情緒不安定になりやすいと、保健体育の時間に習った。今年も無理なのかな……。
万里はため息をついた。そして、ふと思った。
いつか自分の身体にも生理が来るのだ。小学生の時、同じクラスの子で生理が来た子もいたけど、高校生で来る子もいるそうだ。まだ、無関係だと思いたい。痛そうだし、面倒そうだし、なんか恥ずかしい。
「あっ、トモミ、お帰り!」
万里はトイレから戻った知美に声をかけた。すると、
「バカじゃないの。トイレに行ったくらいで、お帰りなんて言わないでよね」
一つ、席をずらされてしまった。
次の日、塾の夏期講習で、万里は知美と口をきかなかった。バカとはなによ。こんなに気を使っているのに。授業も離れた席で受けた。弁当も別々で食べた。
万里は何も悪いことをしてない。自分から折れる気はない。
万里は夏生まれだ。
誕生日、夏休み、プール、お祭り、夏は楽しいことがいっぱいあるから大好きだ。けれども、今年の夏はなんだか違う。そもそも、夏期講習に来ていること自体、腹が立ってきた。
自習室に入ると、空いている席は窓際の一番前しかなかった。万里は机の上に荷物をドスンと置いた。
「静かに……」
注意した講師の先生を、万里はにらみつけた。
夏期講習は母にしつこく勧められて、知美も行くというから、英語だけ申し込んだのだ。
期末試験の結果は、合計点では良くもなく悪くもなく、学年で真ん中くらいの順位だった。
しかし、英語だけは、真ん中よりも、やや下だった。母は勝手に、この夏、英語の成績を上げることを目標にした。
「あたしの夏休みなのに……」
万里の心の声は、外にもれていた。
隣りの席の男子が、不愉快そうに咳払いした。
次の英語の授業まで一時間、待ち時間がある。椅子に座ると、太陽の光りが目に飛び込んで来た。ブラインドくらい下げておいてよね。
乱暴に紐を引っ張ると、
ガシャーン!
大きな音が響いた。
またしても、講師の先生が万里に注意をした。
「筒井さん、みんなが集中できないじゃない」
「どーもすみませんでした!」
万里は荷物をつかむと、教室を飛び出した。ちらっと、ドア付近の席に座っていた知美を見る。さすがに、驚いた顔をしていた。
万里は二時間受けることになっている英語の講習を、半分さぼった。
週末の土曜日は快晴だった。しかし、万里の気分は晴れ晴れとはいかなかった。昨日の夜、塾から家に電話があった。自習室での態度と、半分授業に出なかったことが、母にばれてしまった。危うくプール禁止令を出されそうだったが、嘘をついた。
「お昼ご飯を食べたら、お腹が痛くなったの」
万里はそう言って、身体を折り曲げた。
その時、本当に、チクッと下腹部に痛みが走った。万里は顔をしかめた。そのおかげか、母親は万里の嘘を信じた。しかし、なんだか体調がおかしかった。
晩御飯、いつも二杯は食べる米が、一杯食べる途中で腹が苦しくなった。短いシャワーですませたのに、のぼせたみたいに、顔がほてっていた。夜は楽しみにしていたドラマを見ずに、眠たくなって寝てしまった。
翌朝、万里は大あくびをしながら家を出た。あんなに寝たのにまだ眠い。それでも、市民プールへは意地でも行くつもりだ。
知美の家へ寄らずに、真っ直ぐ歩く。大好きなプールで泳いだら、きっと、気分も晴れるだろう。
市民プールは半額デーということもあって混んでいた。プールに着くやいなや万里はトイレへかけこんだ。やっぱり、お腹の具合が変だ。けれども、トイレの個室にこもっていても一向に解決しそうにない。
「大丈夫、きっと、気持ちのせいだ」
万里は自分に言い聞かせる。子どもの頃から、嫌なことがあると、お腹が痛くなったり微熱が出たりした。
万里はトイレを出て、更衣室へ移動した。知美と来た時は、よく出入口から一番遠いロッカーを使用した。
何となく視線をやる。
すると、知美がいた。目が合う。知美はここを使えばというふうに、自分の荷物をロッカーの奥に押し込んだ。
一瞬、万里は仲直りをしてしまおうかと迷った。
しかし、運よく、出入口付近のロッカーが空いた。すかさず荷物を放り込む。万里は黙々と水着に着替えた。
分厚いガラス越しに、太陽の光りが差し込んで来る。室内プールは大勢の人でひしめき合っている。
万理はプールのすみっこで、水に潜ったり飛び出したりする。三メートルも泳げば人にぶつかる。ため息がこぼれる。
全然楽しくない。
子どもの頃は、めちゃくちゃ楽しかったのに。
知美と水をかけ合ったり、水しぶきを上げてはしゃいだ。万里はスイミングキャップを直しながら、知美を探した。家族連れ、カップル、小学生たち……。
ぼんやりしていると、
ポコーン!
万里の後頭部にビーチボールが当たった。ごめんなさーいという声と、とってぇーという声が飛んで来る。知るもんか……。万里はスイカのビーチボールを無視して、プールから上がった。
その瞬間、
「うっ……」
今までとは比べものにならない痛みが突き抜けた。思わず、通路にしゃがみこむ。
「マリ、大丈夫?」
目を開けると、知美が万里を覗き込んでいた。
知美は万里の体に自分のバスタオルをかけてくれた。万里の太ももを隠すように、ふいてくれる。そのまま手を引いて、トイレまで付き添ってくれる。
汚れたタオルを見て、万里は自分の体に何が起きたのか理解した。
生理になったのだ。よりによって、水着の時に。大好きな夏休みに。サイアク。悲しくて泣きそうになった。
万里はトイレの個室に入ると、もっと悲しくなった。一体どうすればいいのだろう。
「マリ、マリ、少しだけドアを開けて」
知美がドアをノックした。
万理がカギを開けると、ドアの隙間から、知美がナプキンを差し込んでくれた。ナプキンの包み紙には、ピンクの文字で、ふんわりふわふわ、と書かれている。
「バカじゃないの……」
つぶやくと、我慢していた涙がぽろぽろこぼれた。
再び、ドアがノックされる。知美がロッカーの鍵と引き換えに、着替えをとってくれた。随分と時間をかけて万里はトイレを出たのに、知美は待っていてくれた。
「帰ろうか」
やさしく話しかける知美に、万里は黙って頷く。
時刻は、まだ三時だった。太陽がぎらぎらと照り付けて来る。二人は日蔭を選んで歩いた。
子どもの頃は、日焼けなんて気にしなかった。万里は帽子を深くかぶる。真っ黒に日焼けして走り回っていた自分が思い出に変わった。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。