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©️白川美古都
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 月ノ島中学校では毎年文化の日に、恒例の合唱コンクールがある。
 全学年の全クラスが参加することになっている。
 一年生の杉山玲子は、音楽の授業が苦痛で仕方ない。音楽担当の小川和香子先生が授業の最後に、合唱の練習の進み具合をチェックするのだ。
 二学期から始まった合唱の練習は、主に担任主導でホームルームの空いた時間で行われている。
 自分たちの教室で練習するときは自分の席に座ったままだ。中には早く帰りたくて荷物をまとめている生徒もいる。音楽に疎そうなクラスの担任は、委員に任せきりなので注意されることはない。
 しかし、
「うーん……」
 和香子先生は熱心だ。
 和香子先生は課題曲、白鳥の歌の合唱を一度聴くと、口元を抑えて考え込んだ。
 玲子は首を縮めた。玲子たちは起立して三列のアーチを描いている。
 この合唱の進み具合をみる為だけに机と椅子を音楽室の一カ所に集める。そして、終わったら元に戻すという徹底ぶりだ。
 音の響き方が違うと和香子先生はいう。
「三列目の両端の男子、もう少し中央に顏を向けて」
 毎回、細かな指示が飛ぶ。
 玲子は歌うことが好きではない。
 玲子が幼稚園の年長組のとき、年少組の妹に、音痴、音痴とバカにされたのだ。妹だけならまだしも、母も同調した。
「そうね、お姉ちゃん、音痴ね」
 母の言葉の棘は、心に刺さったままだ。あれ以来、人前で歌う自信がなくなった。どうしても歌わなくていけないときは口パクでごまかしてきた。
 けれども、今回は背の順で内から外へと並んでいることもあり、背の低い玲子は最前列のど真ん中になってしまった。右に左に歩いていた和香子先生が玲子の前で止まった。
(口パクがバレた……)


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 玲子はうつむいた。脂汗がおかっぱ頭の地肌からじわーっと出る。みんなの前で叱られる……。
 ところが、
「松岡さん、ボリュームを少し落としてくれない?」
 和香子先生が注意したのは、松岡美智だった。
 その瞬間、教室の中に爆笑の渦が起こった。
 美智は頭をかいた。
「こらっ、みんな、笑わない!」
 和香子先生は怒った。
 一瞬にして、教室が静かになる。
 美智は玲子の真後ろの二段目で歌っている。
 玲子に言わせても、美智はお世辞にも歌が上手いとは思えない。音程が合っていないというレベルではなく、一曲歌いきる間に、別の歌へ寄り道しているような感じ。
 けれども、その声量はすごい。音程が合っているときは、美智はみんなをぐいぐい引っ張っていく。
 音程が逸れ出すと、みんなに迷いが生じて、音の響きが落ちておかしな空気になる。あれっと思っていると、美智が正しい音程を捕まえるので、みんなも声がそろう。
 まるで白鳥が高く飛んだり墜落し始めたり元に戻ったり。
 ラスト、明日に羽ばたけ白鳥よ、の歌詞までに、何度も、白鳥の群れは危機に陥るのだ。
「低音はすごくいい。あれだけ、低音をきれいに響かせることのできる子は、他にはいないわ。高音はもう少し仲間に任せましょうか」
 和香子先生のアドバイスは的確だ。
「はいっ!」
 松岡さんは胸を張って返事をした。
(すごい。みんなに笑われたのに平然としている)
 それどころか、低音を褒められて嬉しそうにも見える。
 思わず、玲子が見とれていると、その肩に、和香子先生が片手を置いた。玲子の耳元でささやく。
「杉山さんに言いたいことはわかる? わよね……」
 玲子の膝がぶるぶると震えだした。


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「杉山さん!」
 玲子が帰り支度をしていると、大声で呼ばれた。
 教室中の視線が、玲子の席に集まるほどのボリュームだ。
 玲子はびっくりして、
「は、はい!」
 と姿勢を正したほどだ。
 美智は、ごめーんと舌を出した。
「驚かしちゃった? あたし、お母ちゃんに似て声がでかいの」
 またクラスの中で笑いが起きる。
 美智は玲子の横にやって来ると小声で言った。
「この後、用事がなければ、ちょっとだけ付き合って欲しいの」
 何の用事が知らないけれど、断れる雰囲気ではない。
「いいけど」
「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
 美智はお礼をいうと自分の席へすっとんでいった。
 大柄な美智のことを、オバチャンみたいだと悪くいう男子もいるけれど、玲子は美智がうらやましい。堂々としていて、誰にでもやさしくできる。
 玲子が鞄を手にぼんやりしていると、再び、美智がすっとんできて背中を押した。
「ほら、いくよいくよ」


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 連れて来られたのは橋の上だった。
 向こうに見えるのが月ノ島小学校、こちら側が中学校。校庭のすみにあるこの橋を利用するのは、演劇部くらいだ。たまに、橋の上に整列して発声練習をしているのを、学校帰りに見かける。
(えっ、ということは、今から美智は発声練習をしようというのか。たった二人きりで発声……、いいやちがう)
 玲子は立ち止まる。
「松岡さん、もしかして、歌うの?」
「ピンポーン!」
「無理、こんなところで歌えないよ」
 玲子は鞄を抱きかかえて身構えた。
「だって、合唱コンクールまで一ヶ月切ったのよ。このままだと金賞を狙えないわ! 練習あるのみよ!」
 美智は鞄を足元に置くと、橋の真ん中に立った。足を肩幅に広げて手を後ろに組んで一人で白鳥の歌を歌いだした。
 周囲に生徒はいない。
 橋の下は二車線の道路で大きな音を立てて車が走っている。少し先の信号機が赤になると車が停まり、突然、美智の声が辺りに大きく響く。
(すごい。音痴だけど……)
 美智は一曲まるまる歌い切ると、
「わーわーわー」
 苦手な高音部分の練習を始めた。やっぱり音程がちがう。ちがうというより、声が出ないみたいだ。
「杉山さん、この音で合っている?」
 急に話しかけられて、玲子は返答に詰まった。
 すると、
「先にお手本を聴かせてくれない?」
 美智はとんでもないお願いをした。
「で、でも……」
(あれっ?)
 ということは、美智は玲子の口パクに気づいていないようだ。
 玲子はうつむく。和歌子先生には気づかれてしまった。
 次の授業では口パクはできない。声を出さないと怒られる。小さい声なら、口パクよりはましかもしれない。
 玲子は鞄を置いて美智の隣りに立った。
 高音の所……、
「純白の心にあたたかく、真っ白な幸せの鳥がとぶ」
 玲子はか細い声で歌った。声は車の音にかき消されてしまった。
「ごめん、もう一回!」
 美智が耳を傾けて、玲子にくっ付く。それから何度も、ごめんもう一回が続いた。繰り返す内に、恥ずかしさが消えていった。
 信号で車が停まった時だ。
「いいな、杉山さんの声は、とてもきれいな声だね」
 美智は感心したようにつぶやいた。
「ウソ、そんな、きれいだなんて……」
 玲子は照れ臭くてうつむいた。
 と、突然、美智が松の木を指さした。
「あそこ、お客さん!」
 玲子も視線をやると、松の木にカラスが止まっていた。カラスは目があったのが解ったように翼を広げて、カーッと一声鳴いた。自慢しているような美声だ。
「すごい!」
 玲子は愉しくなった。
 美智は負けじと、大きく息を吸い込んだ。それから、カーッっと一声鳴いた。
 次の瞬間、
 バサバサバサバサッ!
 カラスは驚いて、松の木から落ちそうになりながら飛び立った。
「失礼ねぇ」
 玲子はふふふと声を上げて笑った。
「真っ黒な鳥がとんだわね」
「うまいこというじゃん!」
 美智は玲子の肩をぱーんと叩いた。
「アイタタタ」
 でも、嬉しい。
 二人は気を取り直して、橋の上に並んだ。せーので歌い始める。
 音程の低い所は美智がぐいぐいと引っ張り、高音に入ると、玲子が小さいながらも声を出した。
 美智は玲子の高音に合わせて声を出した。白鳥の群れは乱高下することなく、青い空へ吸い込まれるようにとんでいく。
 気持ちいい。
 玲子は歌い終わると、鳥が翼をひろげるように両手を広げた。

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〜創作日記〜
言葉は時に「武器」になります。「武器」は一生消えない傷を負わせることがあります。「音痴」という軽いような言葉も、人によっては、その人の人生から歌う楽しみを奪う凶器になり得ます。おそらく言った本人は気がつくことはないでしょう。でも、呪われていますよ(笑

イラスト:tsumu122様

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。