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YA【一ミリの可能性】(5月号)


©️白川美古都


2014/5月号/p1

 
 台所のすみの食卓で、太志は茶わんに山盛りの白い米をかきこんでいる。
 時刻は午後七時を回っているのに母ちゃんはいない。近所のスーパーマーケットで、パートタイマーで八時まで働いている。さっきから、狭い台所でせわしなく動き回っているのは、太志のばあちゃんだ。
「ごちそうさま」
「どうした、もっと食わないのか?」
 太志の前に座ったじいちゃんが、太志の空っぽの茶わんを箸でさす。
「もういい」
「腹でも痛いのか?」
 じいちゃんは心配顔になった。いつもなら、太志は茶わんに三杯のご飯をぺろりとたいらげる。ちがうと、太志は首をふる。
 太志の家は小さな農家だ。じいちゃんとばあちゃんは、自慢の米と野菜を、太志にお腹いっぱい食べさせてくれる。でも、今は、太志は肉が食べたい。そして、なにはともあれ牛乳だ。
 明日、緑ヶ丘中学校で、一年生になって初めての身体測定があるのだ。太志の悩みはちっとも伸びてくれない身長だ。一日でどうにかなるわけでもないけれど、母ちゃんはパートの帰りに、安くなった牛乳を買ってきてくれる。
「母ちゃん、まだかな?」
 太志はつぶやくと、玄関にむかった。木造の引き戸をあけると、冷たい風が吹き込んできた。一人っ子の太志は父親の顔をしらない。太志が幼いときに、交通事故で亡くなったときいている。
 太志は家の裏にまわった。納屋の壁には、昔、じいちゃんがつけてくれたバスケットゴールがついている。太志は足もとに転がるボールを拾いあげた。外灯の明かりの下、ボールの泥をはらって、ゴールに向けて投げる。
 小学生用のミニバスケットゴールのネットがゆれる。ゴールを決めたのに、ため息がこぼれる。昔はもっと高いと感じたのに、今では、身長百四十センチ弱の太志でもジャンプすればゴールに手が届く。
 しかし、中学校のバスケットゴールはちがう。部活動の見学会で、太志は同じクラスの細野と体育館へむかった。細野とは、松浦小学校でミニバスケットボールのチームメイトだった。わくわくした気持ちは、体育館へ入ったとたんに消えた。
「高っ……」
 それ以上、太志の言葉は続かなかった。中学生用のバスケットゴールが、ミニバスのときより四十五センチ高くなるのは知っていた。それでも、実際に真下で見上げると、太志は反り返るようになった。
 太志より十センチ以上背の高い細野でさえ、ぽかーんと口をあけてゴールを見上げていた。二年生、三年生の先輩たちは、みんな笑顔でむかえてくれた。だれだか知らない先輩の一人が冗談ぽく言った。
「きみたち、足して二で割ると、ちょうどいいのにな」
 その言葉を思い出して、太志は唇をかみしめる。細野は背が高いけどひょろっこい。太志は背が低い分、横に成長してしまった。がらがらっと玄関の引き戸の開く音がして、太志は我に返った。


2014/5月号/p2

 健康診断は、男子から先に保健室で行われた。番号順で一番最後の太志は、緊張した面持ちで身長計に乗る。昨日の夜、一リットルの牛乳をいっき飲みした。一センチでも一ミリでもいいから背が伸びていますように。
「百……、三十九?」
 センチの位に、ぴくんと、太志のつま先が反応した。どうしても、センチの位は四であって欲しい。百四十センチ台はゆずれない。太志はまだ、見学会でもらったバスケットボール部への入部届けを書いてない。
「渡辺くん、じっとして。あなた、背伸びしてない?」
「していません!」
「数字が読めないじゃないの。百……三十九……、四」
 もうこれでいいわと、先生は用紙に書きつけた。ちょっとまってくれ。太志は身長計を飛び下りると、先生に泣きついた。
「よくない。ぜんぜんよくない。先生、四捨五入して。お願いします。この通り。明日には、おれ、百四十センチになってるから」
 パンツ一丁で太志はねばった。
「ミリの位を四捨五入しても、百三十九センチじゃないの。女子が待ってるの。さっさと体操服を着て教室にもどりなさい」
「ちがうよ、センチの位だよ」
 先生はセンチの位の重要さがわかってない。百三十センチ台が、太志の心にずどーんとのしかかっているのだ。バスケ部の見学会にきていた新入生にも、もちろん先輩たちの中にも、太志より背の低い生徒はいなかった。
 バスケットボールは大好きだからつづけたい。でも、そびえるようなバスケットゴールにシュートを決める自信はない。それに、小学生のミニバスのときより、コートは広くなったし、ボールも一回り大きい。
「おれ、できるかな……」
 太志のつぶやきは、きゃーっという女子の悲鳴にかきけされた。
「あんた、なんて恰好してるのよ!」
 太志は体操服を着るのを忘れて、保健室のドアをあけていた。


2014/5月号/p3

「ナベくん、みんなでバスケやらない?」
 昼休み、机につっぷして寝ていた太志に、細野が声をかけてきた。顔をあげると、教室の出入口付近に数名の男子が集まっている。あぁ、今日は、昼休みの時間、A組が体育館を使用してもいい日だ。
「細野くん、やるの?」
 太志と細野は、仲が良くも悪くもない。小学校のとき、太志はレギュラー組で、細野は控え組でつるんでいた。
「うん、まぁいちおう、バスケ部だから」
 細野ははにかんだように笑った。太志は声につまった。入部届けはゴールデンウィーク前までに提出しないといけないが、まだ日がある。それに、実際に新入生の練習が始まるのは連休明けからだ。
 細野はもう決心したのだ。中学校でバスケットボールをやると。太志は立ち上がり、細野のあとから続いた。そう言えば、六年生のとき、細野はこんなに背が高くなかった。太志との差は五、六センチだったはずだ。
「あのさ……」
 どうすれば身長が伸びるかな、という太志の質問と、細野の声が重なった。
「どうすれば体重が増えるかな? 試合に出られる可能性があるなら、ぼく、バスケットボールをつづけたいんだ」
 太志はぽかーんと口をあけてしまった。それから、あわてて、
「米を食べる」
 と当たり前のことを答えていた。
 細野は線が細くておとなしくて、体力がなくてすぐに息切れして、膝に手をついて息をしている、そんなイメージしかなかったのに。体育館へつづく渡り廊下を歩く細野の背中が、急に大きくなったみたいだ。
 きっと、太志への細野の答えはこうだろう。
「牛乳を飲む」
 太志は空を見上げた。


2014/5月号/p4


 雲一つない真っ青な空が広がっている。
   太志は幼いときからずっと、父ちゃんは空にいるときかされている。空から太志のことを見守っていると。いつからか不安になると、太志は空を見上げるようになっていた。
「ナベくん、早く!」
 体育館の中から声がとんでくる。太志は靴をはきかえた。一つのバスケットゴールを使って、三人対三人のスリーオンスリーをすることになった。太志の頭上を越えて、相手チームになった細野へパスが通る。
「ナイスシュート!」
 太志にボールが渡される。ずしんと重たい一回り大きなボールだ。太志は味方にパスしようとして、カットされた。クッと唇をかみしめる。百四十センチまで、あと六ミリ。一日一ミリ伸びたら六日間だ。
 百四十センチの壁を突破したなら、ぐんぐん背が伸びるような気がする。ぐんぐん可能性が広がる気がする。
「絶対に大きくなってやる!」
 太志は頭上で回されるボールにとびつく。ボールは指先に届きそうで届かない。それでもあきらめないで、太志は何度もボールをとりにいった。息が弾んで、汗ばんでくる。シャツの袖をまくって、ボールを追いかける。
 やっぱりバスケは楽しい。そう思ったときだ。相手のパスしたボールに、太志の指先がふれた。ボールは逸れて、細野の前に転がった。あぶねぇと、細野が拾う。クーッ、惜しかった、あと少しだ。
 太志は天井を見上げる。体育館の窓から日が差し込んでいる。太志はボールに視線をもどすと、さぁこいと両手をひろげた。

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〜創作日記〜
テーマは「体格」です。
私はずっとスポーツに携わってきたので、体格差によるハンディを体験しています。これは気持ちでどうこうなるものでは無いんですよね。でも、どうこうなって欲しいという願いを込めて書きました(笑



©️子とともにゆう&ゆう(愛知県教育振興会)

こちらの作品の著作権は白川美古都に帰属します。
こちらの作品のイラストの著作権はイラストレーターさんに帰属します。

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。