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©️白川美古都

 

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 五月四日。
 藤岡家の居間の床の間には、金屏風と、ややくたびれた兜が赤い座布団の上に飾られている。
 両親がいうには、長男、功が、まだ幼かった頃、頭に被り走り回って落として破損したらしい。
 巧は記憶にないけれど、兜の鍬形と呼ばれる二本の角のようなパーツはかたむいている。
「もう、子どもじゃないのに、なんでこんなもの飾るかな?」
 兜の前で、巧はペットボトルのジュースをラッパ飲みする。
「ったく、オニイ、コップにつげよ」
 口をとがらせたのは、小学六年生の弟の聖だ。
 藤岡家では、二歳年下の聖の方がよっぽどしっかりしている。
「いいじゃん、弟よ。間接キスだぞ」
「ふざけんな」
 聖は巧の横をすり抜けて、キッチンにむかう。
 冷蔵庫の扉をあけて、聖は大きなため息をつく。

 今年の五月の連休、両親は母の実家に行っている。
 大事な話合いの内容は隠されたが、離婚に向けたものであることくらい二人にもわかっている。
(小学生はともかく中二のオレは、大人なんだよ)
 巧はいっきにジュースを飲んだ。

「あーあ、オニイが余計なものばかり買うから、今夜の晩飯の食材がほとんど残ってないじゃないか。卵と玉ねぎと後は……」
 聖は料理がうまい。
 この連休の食費用にと両親は一万円を置いていってくれた。
 買い物は二人で近所のスーパーへ二回でかけた。
 巧は調子に乗って、買い物カゴに、ステーキ肉やらお菓子やら食べたい商品をどんどんほうりこんだ。
 一度目の買い物で八千円を使って、二度目では充分な食材が買えなかった。
「余計なものなんて買ってないぞ。その証拠に、何も腐らせちゃいないだろう? 腹減ったなぁ。もっとカップラーメンを買っておけばよかったな」
 巧は居間でごろんと横になって、テレビをつけた。
 明日、両親が帰ってくる。
 見たいだけテレビが見られるのは今の内だ。
「オムライスでいい?」
 聖は巧の返事を待たずに玉ねぎの皮をむきだした。


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「うまっ、おまえ、料理の天才だな」
 巧はオムライスを口いっぱいほおばっている。
「サラダも食えよ!」
 聖はもくもくとスプーンを口に運ぶ。
「おまえなぁ、母ちゃんみたいなこと言うなよ。せっかく、母ちゃんがいない間に楽しんでいるのによ。親の居ぬ間に洗濯だ」
「本気でいってる?」
 聖はギロッと、巧をにらんだ。
 洗濯も聖がやっているのだ。
「ジョーダンだって」
「ぜんぜん笑えない」
 巧のスプーンの動きが止まる。
 
 本当は、巧にも解っている。この連休で、両親はなんらかの答えを出してくるといった。
 なんらかの答えとは、つまり離婚か婚姻継続かのどちらか。
 今時、離婚は珍しくもなんともない。
 聞き飽きるほど、芸能人やスポーツ選手の離婚のニュースがネットで流れ、藤岡家の遠い親戚も離婚している。
 しかし、自分の家となるとちがう。
 巧はぼんやりした不安に襲われてふざけることしかできないでいる。
「ケチャプおかわり」
 巧は手をのばしてケチャップの容器をとって中身をふった。まだ少し有りそうだ。オムライスに向けて、力いっぱいケチャップを出す。
「あれっ?」
 出てこない。容器の底の方にはまだ赤いケチャップがこびりついているのに。
「こらっ、出ろっ!」
 むきになっている巧を見て、聖は深いため息をついて立ち上がった。
「ハサミで切って中身をスプーンですくいなよ」
 聖がハサミを持って戻ってくる前に、巧の手からケチャップの容器がふっとんだ。
 力いっぱいふったケチャップの容器は、居間までとんで転がった。
「ヤバッ」
 巧は我に返り雑巾を取りに走った。
「母ちゃんが帰ってきたら怒られる」
「帰ってこないかも」
 弟の声が脳天を突き刺した。


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 その晩、巧は眠れなかった。二階の自分の部屋のベッドにごろりと横になり、暗やみの中、壁を見つめる。
 壁の向こうは弟の部屋だ。
(聖はもう寝たのかな?)
 母が帰ってこないかもしれないと告げた後、聖はこうも続けた。
「ボクは、父親についていくと。オニイはどうするの?」
 巧は返答につまった。

 父と母、どちらかについていくなんて考えてもいなかった。
 でも、離婚となればどちらかを選ばないといけないのだろう。まだ、ピンとこない、他人事だ。
 この家は父親名義だと聖はいった。母がこの家をもらうかもしれないけれど、先々のことを考えて経済力のある父を選ぶと。
 先々のことね……。
「ボクは父さんを選んで引っ越すことになったら、私立の中学へ行こうと思う。中高一貫の学校に入学して大学もいく。できれば大学院もいきたいな。そうなると母さんの経済的負担になるから」
 すらすらと未来の夢を語る聖に、巧はなにも言えなかった。
「そ、そうか」
 と、おかしな笑みを浮かべた。

「オレは勉強が嫌いだ。でも、すぐ働くのも大変そうで嫌だ。そもそも、どんな仕事に就くんだ、オレ?」
 巧はガバッと布団をはねのけて起きた。
 壁に手のひらをあてる。
 ひんやり冷たくて泣きそうになった。拳をにぎりしめて、ドンっと壁を叩いてみた。反応がない。もう一つドンっと叩いたがやはり静かなままだ。
 ドン、ドン、ドン
 聖のやつ、こんな夜に、よく寝られるな。目を閉じると、てんびん秤が脳裏に浮かんだ。

 聖が描いた未来の絵だ。
 左右のてんびんの皿に、聖は夢と金を乗せた。そして、つりあいのとれる父を選ぶといった。
 とりあえず想像してみようか。美味い飯なら、母ちゃんだ。小遣いなら、父ちゃんだ。
 地元の友達なら、母ちゃんかな。
 どちらにせよ、まだ、野球は続けたいな。巧は瞳を開けた。いつまでも続けられるとは思ってないけど。
 両手を開いて壁をつかんで、真ん中におでこを押し当てる。(何やってんだ、オレ?)
 悔しいけれど、聖の未来予想図の方が、具体的で現実的だ。巧のソレは漠然としていて、現実味がない。
 連休に入る前、こんな日がやってくるなんて想像していなかった。当たり前の日常がなくなってしまう。


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 結局、巧は一睡もできないまま、朝を迎えた。
 窓を開けると、空が青白い。
 目覚まし時計をかけても、こんなに早く起きられないのに。
 巧は薄いパジャマのままで、ぼんやりと階段を降りていく。
 まだ肌寒い。
 トイレにいったら、もう一度、布団に入ろう。
 巧が腕をさすりながら廊下を歩くと居間に人の気配を感じた。
「えっ、母ちゃん?」
 思わず居間に飛び込んで、
「うわーっ!」
 巧は大声を上げてひっくり返った。
 床の間の金屏風に背を向けて、聖が座っていた。頭には兜を被っている。手には……、
「ケチャップ? なにやってんだよ、おまえ」
 沈黙のあと、聖はつぶやいた。
「今の時代が、戦国時代だったらよかったのに。わかりやすい敵がいて、天下統一というわかりやすい目標のために、敵を倒していく」
 聖はうつむいた。
 兜が前にずり落ちて、聖の目元をかくす。

 巧は思い出した。兜を壊したのは、オレだけじゃない。幼い二人は兜を交互にかぶって、丸めた新聞紙でちゃんばらごっこをした。
 兜の角にきれいなメンを打ち込んだのは聖だ。いつの間にか、兜は小さくなって、聖の頭も充分に入らない。
(もしかして、聖は寝てないのか?)
(昨日の夜から、ここで、兜をかぶって正座していたのか?)
 巧は、壁の向こうですやすや眠る聖の姿を思い浮かべていた。もう、弟も子どもじゃないのだ。

 今日は連休最終日。
 明日から、ふつうに学校が始まる。オレたちの心をおいてけぼりにして時は進んでいく。
「兜、重いか?」
「まぁまぁ」
「兜とつりあうモノって、なんだろう……」
 再び、沈黙。
「とりあえず、何か食う?」
 聖は兜を戻して、キッチンに向かった。巧は傾いた兜を見つめる。
 兜と思い出、兜と時間、兜と……。
「マジで、食べるものないぞ。戦の前の腹ごしらえもできないぞ」
 キッチンから声がする。
「案ずるな、弟よ。今は戦国時代じゃない」
 時計が音を立て、静かに確実に時を刻んでいる。
 未来へ未来へ。

#小説 #短編小説 #YA #言霊さん #言霊屋

〜創作日記〜
うわ〜。この作品を書いたのは2021年。
ラストの地の文、紙の媒体なのですが、中島みゆきさんの歌「心音」(2023年)と同じだ。偶然が嬉しい!
もっともっと、みゆきさんから学びたいと思う今日この頃です。

今だから言えることは、私はこの教育雑誌を通して「親」「PTA様」に伝えたいことを書いていたような気がします。 

イラスト:eriko_fukaki様


新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。