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YA「ジュラ紀の茶わん蒸し」(11月号)


2014/11


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 本田良助は中学校の授業が終わると、クラスで一番大きい体を揺らして、ダッシュで家に帰った。鞄を放り出して、窮屈な上着を脱ぎ捨てて、冷蔵庫に向かう。冷えた麦茶を容器ごと取り出して、食卓の籠からカレーパンの袋をひったくる。
 テレビの電源を入れながら、ちらりと、壁の時計を見た。午後三時を少し回ったところだ。
 母親は近所の不動産屋で、午後四時までパートタイムで働いている。スーパーで買い物して帰ってくるので、家に戻るのはいつも四時半から五時の間だ。
「よし、一時間半は、母ちゃんに邪魔されずに恐竜時代に行ける」
 良助はゲーム機にソフトを差し込んだ。
 リアルな恐竜を狩るゲームだ。こつこつ貯めた小遣いとお年玉をはたいて、先月買ったばかりの最新作だ。
 良助は幼い頃から、恐竜が大好きだ。本に漫画に、そして、今はゲームにはまっている。
「チャチャラーン♪」
 ゲームのオープニングの曲が始まる。
 良助は鼻歌を歌いながら、カレーパンの袋を開けて、パンを口に突っ込んだ。あっという間に食べ終わると、麦茶をごくごく飲んだ。テレビ画面には、ちょうど、ゲームスタートの文字が表示されている。
 ゲーム機のコントローラーを両手でにぎり、テレビ画面に近づいたときだ。
「ただいま! 良助いるの?」
 母の声が聞こえた。


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「げっ! なんでこんなに早く帰ってくるんだよ!」
 良助が振り返るのと同時に、買い物袋を手に下げた母が居間に入ってきた。
「また、ゲームしてるの?」
「まだ、何もしてないよ!」
 良助は口をとがらせる。
「お婆ちゃん、具合が悪いみたいなの。病院へ連れて行ってくる。診察が五時だから、帰りは遅くなるわよ。これ、カレーライスの材料を買ってきたから、良助、あんた作ってちょうだい」
「はぁ? なんで、オレが? って、さっきカレーパン食ったんだけど」
「なんでって、お父さんは帰りが遅いし、あんたしか、夕飯を作る人がいないからよ。カレーパンを食べたのは、あんたの勝手でしょうが」
 母は早口でしゃべりながら、バタバタと祖母の家へ行く用意をしている。   父親は毎朝六時に起きて、きっかり七時に家を出て夜の十時頃まで帰って来ない。歳の離れた大学生の姉の優子は、東京の有名大学の寮に入っている。
「良助、カレーライスくらい作れるでしょう? 優子は小学生のときに、美味しいカレーを作ってくれたわよ」
 母は何かにつけて、良助と姉の優子を比べる。
 良助は言い返せずに黙り込む。
 実際、姉は運動も勉強も料理もできた。おまけに、性格も優しくて、去年まで高校生だった姉は、良助の勉強もよく見てくれた。
 姉のことは嫌いじゃない。でも、執拗に比べられると、良助は姉のことが嫌いになりそうだ。
 良助は深呼吸した。カレーライスなんて適当に作れば四時までにはできるはず。お婆ちゃんの具合が悪いのだから、母は実家に泊まってくるかもしれない。父が帰ってくるのは十時だから……。六時間くらいゲームができるかも! そうと決まれば、
「わかったよ、作るよ」
 良助はそそくさと台所にむかった。
 母は一瞬、準備をする手を止めた。
「カレーライスを作って食べてから、ゲームなんてしないで勉強しなさい。もうすぐ、中間テストでしょう。あんたも、優子みたいにちゃんと勉強して、公立高校に合格してもらわないと困るのよ。うちには、私立の高校へ行く余裕なんてないからね」
 母はゲーム機からソフトを取り出すと、自分の鞄に突っ込んだ。


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 校門を出て、家にむかう良助の足は重い。今日は急いで家に帰っても、ゲームができないのだ。昨日、母は祖母に付き添って、実家に泊まった。良助はカレーライスを作って食べて、とりあえず英語の教科書を開いて、母の帰りを待っていた。
 良助には姉のように、弁護士になるなどという高尚な夢はない。まだ、将来のやりたいことがわからない。これと言って、なりたい職業もない。だから、とりあえず公立の高校に行く為に勉強している。
 ふっと、自分の将来のことを考えると、不安になることがある。足もとに散らばるイチョウの葉を、良助は蹴りとばした。黄色の葉が舞い上がる。葉の下に隠れていた黄土色の実が現れた。良助が踏みつぶそうとした時だ。
「あ、待って!」
 さっと人がしゃがんで、黄土色の実を拾い上げた。同じクラスの小杉くんだ。小杉君はビニール手袋を持参して、両手にはめている。白い袋の中には、もうすでに半分ほどの黄土色の果実が入っている。
「これ、銀杏だよ。食べられるんだよ」
 小杉君はうれしそうに背伸びして、良助の顔に袋を近づけた。
「わっ、くっせぇ。イチョウの実が、銀杏ってことくらい知ってるよ」
 良助は鼻をつまんだ。あははと、小杉君は笑っている。
「じゃあ、これは知ってる? イチョウは、生きた化石って言われているんだ」
「生きた化石?」
「うん、ジュラ紀から生息しているんだ」
「ジュラ紀って、恐竜がいた頃?」
 良助の心が動いた。小杉君はうなずく。
「へぇー」
 さすが、学年でもトップを争う成績の小杉君だ。雑学もいろいろ知っていそうだ。良助はイチョウの木を見上げた。
「草食恐竜のプラキオサウルスも、銀杏を食っていたのかな?」
 今度は、小杉君がへぇーと声をあげた。
「もしかして、本田君って、恐竜に詳しいの?」
「ま、まぁな」
 良助は照れくさくなった。小杉君とはあまり話をしたことがない。背の順でも、出席番号順でも離れているし、席替えをしても近くになったことはない。それに、小杉君は、休み時間も教科書を開いていることが多い。
 中学生にもなって、恐竜が好きだなんて言ったら笑われるかな。きっと、小杉君も、姉の優子みたいに、医者とか弁護士とか、すごい夢があるから、勉強熱心なんだろうな。良助は、じゃあねと立ち去ろうとした。ところが、
「げっ、まずい。本田君、こっちこっち」
 急に、小杉君が小走りで歩道橋の方へ向かった。
 良助が振り向くと、宮間と柄の悪い仲間たちがやって来るのが見えた。銀杏拾いなんてしていたら、何を言われるかわかったもんじゃない。良助も小杉の後に続いた。


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 歩道橋の下をくぐって、大道りから一本内側の道まで小走りで移動した。小柄な小杉君は、宮間たちをなんなくやり過ごした。まるで凶暴なティラノザウルスをまいた、すばしっこいヴェロキラプトルみたいだ。
「あっ、本田君、ぼくたちついてるよ! こっちに来るのは初めてだけど、ほら、銀杏の実がたくさん落ちてるよ」
 小杉君は本当に嬉しそうだ。さっそく、銀杏拾いを再開する。
「そんなにたくさん拾って、どうするんだよ?」
「銀杏のお菓子を作るんだ」
「はっ? お菓子?」
 小杉君は照れくさそうに頭をかいた。
「ぼく、パティシエになるのが夢なんだ」
 良助の頭の中をハテナが走る。パティシエ、すなわち菓子職人になりたいのなら、中学校の勉強なんて、さほど重要ではないはずだ。それなのに、どうして、小杉君は熱心に授業を聞いているのだろう?
「あっ、ぼくがパティシエなんて、変かな?」
 小杉君の声のトーンが落ちた。
 良助はあわてて、口を開いた。
「変じゃないよ。小杉君って頭がいいから、ちょっと、びっくりしただけ」
「それほどでもないよ。ただ勉強をしておいた方が、お母さんがうるさくないからね。ねぇ、良助君の夢は?」
 小杉君はイチョウの木の下で手を止めた。
 良助は少し迷ってから、正直に答えた。
「まだわからない。でも、オレは恐竜が好きなんだ。化石とか、石も好き。発掘とかしている人をテレビで見ると、オレもやりたいなって思う。でも、無理だよな」
「無理じゃないよ」
 小杉君は即答した。
「考古学者とか、大学の研究者になればいいじゃん」
 そんなこと、良助は考えたこともなかった。自分にも夢があるのかな? 良助は少しわくわくしてきた。それから、良助もイチョウの果実を拾うのを手伝った。小杉君は、この臭い実を菓子にするというからすごい。
「これくらいでいいかな。はい、これ、本田君の分だよ」
「おれは、いいよ」
 良助は断ってから、いいことを思いついた。昨日、ゲームソフトを取り上げた母ちゃんに、この匂いで仕返しをするのだ。それから、茶碗蒸しを作ってもらおう。ジュラ紀の茶わん蒸しだ。

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〜創作日記〜
大学生のキャンパスに銀杏の木がたくさんありました。それを拾う貧乏学生がいて、机の中に入れて講義を受けるので、講義室は銀杏の独特の香りがしていました。今ではいい思い出です(笑

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。