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YA【いちばん好きな服を着て】(4月号)
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羽鳥光は子供部屋のベッドに転がって壁を眺めている。壁には、先月、サイズを測って買ってもらった月ノ島中学校の制服がぶら下っている。赤茶色のジャケット、白いブラウス、濃紺のネクタイ、ジャケットと同じ色のスカート。スカートの丈は短いのが嫌で可能な限り長くしてもらったが、それでも踝には届かない。
小学校の頃、光はハンドボールクラブに入っていた。物心ついた時から運動が大好きで冬でも短パンにTシャツで飛び跳ねている元気な女の子だった。光は記憶のある限りではスカートを履いたことない。
先月の新入生の為の制服販売会で、サイズを測る為に青いジーンズを脱いでギャザー入りのスカートを身に付けた。
「足がスースーするよ。変な感じ」
一緒にきた母親に訴えたが相手にしてくれなかった。
「スカートはそういうものなの。ヒカルももう中学生なんだから、ズボンばかり履いてないで少しは女の子らしくしなさい」
追い打ちをかけたのは、制服販売の叔母さんだった。
「校則で膝より上にはできないから、膝下ぎりぎりでどうかしら?」
「はっ?」
「お嬢さんたちはみんなもっと短くしてというけど、規則だからね」
「私はもっと長いのがいいんです」
冗談じゃない。
こんなに短いスカートでは飛び跳ねることはおろか、走ることもできない。昔から女の子らしくないと言われ続けていても、人前で平気でパンツを見せるような神経は持ち合わせていない。
光は新品のスカートの裾を両手でつかみぐいぐいと引っ張った。これ以上長くならない。叔母さんは慌てて止めた。
「いっそのこと、ズボンにする?」
叔母さんは本気ではなかったのだろう。その証拠に、
「はい、そうします!」
光が答えると、困った顔をして母の方に向き直った。
「スカートを買います」
母の顔は紅潮して強張っていた。
幼稚園の初恋の相手が女の子と知った時も、こんな顔をした。数秒間フリーズして、それから母は早かった。サイズ合わせを勝手に決めてお会計をさっさと済ませた。
制服の入った大きな紙袋を抱えて足早に家に帰ると、ハンガーに制服をきちんとかけた。
「スカートも履いていれば、その内、慣れるわよ」
母は光と視線を合わせずに早口で言うと、返事を待たずに部屋を出た。
光は昨日届いた祖父母からの贈り物を手に取った。光が欲しがっていた有名スポーツメーカーのジャージの上下だ。シューズもある。白地に蛍光色のイエローがひかる。
中学校の入学式、これを着て出席できたらいいのに。
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春休み最後の日曜日、晴天だ。
光は霧島兎と月ノ島中学校の図書室に遊びに行く約束をしている。
兎とは小学校からの親友でピョンと呼んでいる。友達になったきっかけは忘れられない。習字の授業で、自分の名前の名の部分を書くように、言われた時だ。光にとっては、どちらかと言うと、らくちんなお題だった。
同じ一文字の名前でも、光の向かいの席で悪戦苦闘していたのが、ピョンだった。兎という名前はキョーレツすぎて、自己紹介の日にすぐに覚えた。実際、小柄でくりくりした二重の瞳のピョンは、兎によく似た可愛らしい女の子だ。その子が、
「いやになっちゃう」
と、顔に墨をつけて吐き捨てたのだ。
「いくら可愛い名前でも兎はないわよ。ウサギって、動物じゃない。パパとママは子供が生まれた嬉しさのあまりどうかしていたんだと思う」
ピョンは、兎という感じを何度か書きつけた。止め、跳ね、点、バランス、めちゃくちゃだ。そもそも、怒りながら書いているので筆に墨を漬けすぎだ。何枚か書いた後、ピョンは顔を上げて、光という一文字を見た。
「あたしは苗字を書くと、もっと悲惨なことになるの。霧島よ。筆で書くと線と線の空間がなくなってしまって、どうがんばっても墨の塊になるの。霧の字ってね、一体、何画あるかわかる?」
「えっと……」
光が指を折って数えると、
「両手をすべて折り返して、一つ引くの、十九だよ」
ピョンは苦笑した。
それから、悲劇は他人にとっては喜劇でもある、と小難しいことを言った。ピョンの趣味は読書だった。それともう一つ熱烈な趣味があった。アイドルグループの追っかけだ。仲良くなってしばらくして、光はピョンに告げられた。
「ヒカルにだけ言うわ。あたし、一度だけ警察に保護されたことがあるのよ」
さすがに、光は身構えた。二人で下校していた時だ。
「悪いことでもしたの?」
「良いか悪いかは解らない。でも、ルール違反は間違いないわね。ルールって大勢の大人が勝手に決めるものだから、自分と関係ないと思っていても、違反ですよって怒られちゃうから、困ったものよね」
あの時も、ピョンは冷静に世の中を分析していた。
保護の経緯はこうだった。コンサートを終えたアイドルの姿を一目見たくて、ピョンは一人、ホールの裏口で段ボールの中に隠れていたのだという。潜んでからまもなく警備員に見つかり御用となったが、ピョンは名前も年齢も言わなかったそうだ。
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「今日は、つきあってくれてどうもありがとう」
待ち合わせた近所の児童公園で、ピョンは光の姿を見つけると深々とお辞儀をしてお礼を言った。
「ううん、どうせ部屋でごろごろしていたから」
大げさなピョンの挨拶に、光は頭をかく。
それに、今は気分がいい。思い切って祖父母からのプレゼントの袋を開けて、ジャージのタグを切った。上着の袖を通す時には久しぶりにドキドキした。ズボンの裾は長めだったので折り返した。最高なのはシューズだ。なに、この履き心地、すごい! 思わず、叫んでしまった程だ。早く走り出したかった。
「ヒカリ、図書室で走りだしそうね」
「今、走る!」
「きゃーっ、待ってぇ!」
ピョンは運動が苦手だ。
しかも、今日は黒いブラウスと黒いフレアスカートを着て、赤い花の付いた黒いサンダルをひっかけている。おまけに、リボンの付いたつばの大きなお気に入りの帽子まで被っている。
図書室へ行くのに、どうして? と首をひねりたくなる恰好だが、それを言っては光も同じだ。
二人とも一番好きな服を着ているだけだ。
でも、ピョンの恰好の方が、本日の目的には合っているかもしれない。
二人のお目当ては図書室にあるノートだ。
【言霊ノート】と呼ばれるそのノートには、不思議な力が宿るという。願いを叶えてくれたり、愚痴を聞いてくれたり、悲しかったことに寄り添ってくれたり、嬉しかったことや楽しかったことを共に喜んでくれたり。
まるで生きているノートだ。
コトダマという響きは魔術的でもある。
「あたしの願いはただ一つ!」
「空くんのパネルでしょう?」
「すごい、なんでわかるの? ヒカルって超能者ね!」
光はやれやれと首をふる。ピョンは大好きなアイドルの等身大パネルをもらえる抽選に外れたと大騒ぎをしていた。
「私はすごくなんかないよ」
光の声は暗かったのかもしれない。
「その声は、ただごとではないな」
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中学校の正門をくぐると自転車置き場は半分くらい埋まっていた。月ノ島中学校の図書室は、土日祝日は地域の人にも公開されている。
「聞くことしかできないけど、よかったら聞かせてよ」
ピョンが微笑みかける。
光はなるべく明るい口調で、スカートを履くのが嫌なことを話した。
実際、ピョンは聞いているだけだった。
それでも、時折頷きながらちゃんと話を聞いてくれた。光はピョンに伝えるために言葉を選んだり探したりした。随分と考えて自分の心の中をさ迷った。もう言葉がない。
「ピョン、ごめんね、かんぺきな迷子になったみたい」
「謝らないで。まずは話してくれてありがとう。それから、ちゃんと迷子になっているヒカルは偉いよ。声を上げる人たちもいるけれど、考えることから逃げている人たちがたくさんいるのに」
図書室に着いた。
二人とも初めて来る。
言霊ノートは探すまでもなく、小さなコーナーが設けられていた。しかもノートは一冊ではなかった。ピョンはさっそく椅子に座って一心不乱に願い事を書き始めた。光も水色のノートを手に取った。それから目を閉じて深呼吸する。
自分の願い、これからの人生。
私は……、ゆっくりと鉛筆を動かす。
「お気に入りの服を着て、一番好きな私になりたい」
今はまだ難しいことはわからない。
今はただ、それだけが願いだ。
〜創作日記〜
連載依頼を頂いたとき、「ノート」がテーマでした。
最後らへんに「ノート」がこじつけで出てきますが、テーマは完璧にLGBTQxになっていますね(笑
OKをくれた編集様、ありがとうございます。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。