見出し画像

喜望放浪~母なる大地アフリカの旅~河口正紀著<武蔵野書房>を読んで また読んで

「よしこさん、おせーよ。やっと僕の偉大さに気づいたの?」

「ごめんごめん、32年もかかったよ」

「いいよ。間に合ったじゃん。33回忌を終えると僕は神様の世界に行くからさ。気づいてくれて嬉しいよ。」

なんて、河口君は言ってる気がする。

1989年4月19日に南アフリカで23歳で逝った河口君が残した日記を元に、お父さんと旅の仲間が出版した「喜望放浪」は1992年発行の本で、おそらくなかなか手に入らない本になってしまっている。けれど古本屋や図書館で探してみてほしい。そして、もし手に入ったら、じっくり読んでほしい。

河口君が日本を離れたのは、1987年の春のことだった。一度インドから、「やっぱりインドはいいよ。よしこさんも早くおいでよ。」とはがきをもらった。長い旅になると聞いていた。

その間にも、河口君は旅の詳細な日記を書き続けていた。真面目か!今風にツッコミたくなる。りっぱだよ。出来ることじゃない。私は、書くべきことも、伝えたいこともたくさん体験してきたのに、ネタだけ溜め込んで、なにひとつ形にしてもいない。年だけ取ってしまった。

「喜望放浪」は、河口君が2年間にわたる旅で書いた日記のうち、アフリカのケニアを離れてから、カヌーで1,800キロにも及ぶザイール河を下り、南アフリカで亡くなるまでの132日間の記録だ。

その貴重な体験もさることながら、河口君が書き残した言葉は、今の私たちが考えるべきことのヒントをたくさんくれる。

例えば、カヌー20日目の日記に「経済万能主義の日本人ならこれだけの時間があるとすれば、それをいかに有効に生産的に使うかに目の色を変えるに違いない(P101)」と書いている。

まさに今、日本社会では、生産性とは何か?が、大きな課題となっている。

そして、繰り返し繰り返し、ザイール河一帯のジャングルに生きる素朴で陽気で優しい人々のことを書き残している。

まさに、日本社会が失った優しさを考えるヒントがここにある。

「自然と共生しながら、自然のリズムに添って生きている人々に強くひかれる~中略~文明を享受した代わりに失ったものの空しさをいつも感じている。(P47)」と書いている。

画像1

そう聞くと、河口君は自然崇拝の旅人のようだけれど、文字通り地を這うようにしてたどり着いた南アフリカの大都市、ヨナネスブルグ(ヨハネスバーグ)では、「人間の作り出した都市という芸術の素晴らしさに、しばらくは時の経緯を忘れていた(P250)」と書いている。

画像2

自然と共生して生きる人々の暮らしが、いつまでも続くことを願いながら、都会の魅力にも素直に喜びながら、河口君は「誰にも拘束されないで、自分の好きなことを自由にやれるというのは、現代人にとって、最高の幸せである(P81)」とも書いている。

幸せだと言える、なんて素敵な人生を生きたんだろう。

河口君が書いたように「このザイール河一帯のジャングルの中に生きる人々、その素朴で陽気な人々のことだけは、絶対に忘れたくない」

そして、「人間らしい、自由な生き方。出来ることなら、そのように生きて行きたいと思う(P158)」

という言葉通り、私もそのように生きて行きたいと思う。

そして、あなたのペンの力は、私たちを変え続ける。

かつて私たちが夢みたように、ペンには力があるのだ。

あなたが愚直に、真剣に書き綴ったように、私も書くことを止めないことを約束する。

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。