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私がめっちゃ頑張らなければIQ18の次郎は消される?!/映画「夜明け前のうた~消された沖縄の障害者~」を観て

タイトル写真の次郎(右)は、姉の結婚式に、満面の笑顔で出席している。4年前のことだ。次郎は、晴れの席にスーツで出席して、皆と同じコース料理を食べてご機嫌だった。母親である私はといえば、結婚式にもスーツにも、晴れの席にもコース料理にもあまり関心がなく、次郎が服を汚さねばいいが、、、と思っていたくらいだった。

けれど、兄弟三人が手をつなぎ、退場する演出には、込み上げてくるものがあった。よくぞここまで大きくなってくれたと。そして、深々とお辞儀をする次郎の姿(↓写真右)も、感慨深かった。

IMG_5266 お辞儀結婚式

この日の為だっといってもいい学校の授業があった。

その話をする前に、次郎が普通の知的障害児が行くことがなかなか叶わない学校に行った話しをしよう。

次郎は、公立の支援学校高等部を卒業後、2年のブランクを置いて教育移住をした。私立の支援学校の専攻科に進学するために、九州から中部地方へ移住したのだ。知的障害児に高等教育など必要ないと文科省は思っているから、公立の高校卒業後の知的障害児の学校はほとんどない。なので、私立の支援学校の高等部専攻科への進学をしたのだ。

というと私が教育熱心な親に思われるだろうから言うが、私は健常児の高等教育には関心はない。学歴社会の上位に行くための大学進学ならしない方がいいと思っている。子どもたちに「勉強なんてするな!」と言い放つ親だった。だから、上の二人は、好きなことを見つけ、好きなことをするために好きな場所に行き、自分の力で好きなことをしている。

そんな姉と兄を見ていて、きっと次郎も、いろいろな経験がしたいだろうと思っての移住だった。公立の支援学校高等部で学校に嫌気がさしていた次郎だったが『この学校なら来たい!』と言った学校だった。私もシングルだし、仕事は介護福祉士だし、どこへ行っても暮らしていけるだろうと思った(もちろん、シングルで定職もない私が移住するのは、簡単なことではないと後々思い知るのだけれど)。

IMG_8520 卒業証書

この写真は、その教育移住して通った学校の修了証書授与式の写真だ。この学校では式典でスーツを着るように言われた。一生で何回着る機会があるかもしれないスーツを買う余裕もなくて困っていたら、助けて下さる方が居て、頂くことが出来た思い出のスーツだ。

この学校では式典の他にも正装をする機会があった。年に1回スーツを来てコース料理を食べに行く授業があったのだ。私はそれこそ、次郎はコース料理など食べる機会もないだろうに・・・と思ったものだったが、先生の説明によれば、兄弟などの結婚式に出席するための練習だということだった。兄弟の結婚式さえ出席出来なかった時代があった障害児たちが、自信をもって出席できるようになって欲しいという願いを込めた授業だった。

先生方の願いは見事叶い、次郎はこの日、実に堂々と席についていた。その顔は『ボク、これ、やったことある!』と自信に満ちていた。

これら写真を見たり、次郎の様子を見るにつけ、「重度知的障害なんて嘘でしょ?」とか「IQ18って、そもそもIQって何?ってことよね」と言われたりする。

私は、IQをスマホの容量に例えることにしている。皆が100ギガバイトのスマホをもっているのに対し、次郎は18ギガバイトのスマホを持っているというわけだ。その18ギガには、次郎の好きなことしかインストールしていない。だから、今でも次郎はしゃべれないし、書けないし読めない。箸も使えないし、ボタンも止められない。紐も結べないしほどけない。ところが、買い物に行って好きなものを買えるし、お金の計算なら計算機を使って出来る。算数は1から10まで数えることも書くことも出来ないのに。

容量が小さくても、興味のあることは伸びてゆくし、好きなことは好き。言葉のない次郎の心の動きを言語化するのが私の仕事と思って努めて代弁してきたからか、次郎は、豊かで複雑な人の気持ちを理解することも出来る。

そして、次郎を大事に育ててくださった、たくさんの人の手で、次郎が豊かな人生を送ることが出来ていると思う。

障害者を障害者たらしめているのは経験不足だと思うから、次郎が自分で経験を積むことが出来ない分、親の私が様々な経験をする場を用意した。とりわけ、障害者と区別され、障害者だからと閉じ込められることを避けてきた。次郎自身も閉じ込められることをとても嫌がった。

閉じ込められることを避けてきたら、いつの間にか、私たちは、けものみちのような舗装されていない道を歩いていた。何度も私たちの前には道がないと感じた。

舗装された綺麗な道を歩けばいいと思うかもしれない。けれどその道は、頑丈な扉のある巨大な施設に繋がっているのだ。

それは現在がひどいという話ではなくて、そもそもこの国が障害者に酷いことをしてきた国だからだ。時々「昔はよかった」と過去を懐かしむ人に出会うけれど、私は障害者の人権を考えた時、1ミリも過去には戻りたくない。

ちょっと振り返ると、見るのも辛い過去がある。辛いけれど知らなければならない事実だ。日本が国の制度として、障害者を閉じ込めていた事実がある。

「夜明け前のうた」という映画がある。

映画「夜明け前のうた」は1900年に制定された『精神病者監護法』に基づき行われた『私宅監置(したくかんち)』をテーマにした映画だ。1950年『精神衛生法』により『私宅監置』が廃止されたが、日本から切り離されていた沖縄では1972年まで『私宅監置』が残された。沖縄があらゆる犠牲を払わされる中で、障害者はさらに酷い境遇に置かれたのだ。

『私宅監置』は国の制度に基づき行われた”障害者の監禁”だということを覚えていてほしい。申請者は家族だったことが、その後、家族や遺族を苦しめることになる。制度があるということは、『私宅監置』をしなさいと国に言われているようなものだ。家族が届け出して役所が把握するということの中に、あまりにひどい状態をなくそうという思いがあったにしても。

精神障害者の話しだから次郎とは関係ないと思ったら大間違いだ。知的障害者は、この『精神病者監護法』により『私宅監置』されてきた。医師の診断書には『白痴』と書かれて。次郎たちは、知的障害児と呼ばれる前は『精神薄弱児』と呼ばれたのだ。精神障害者と知的障害者は一緒にされて、社会から隔離されてきた。

その歴史を痛感する書類がある。行政の福祉サービスを受けようと申請書をもらう時、その用紙には『身体用』と『精神用』しかないのだ。そして、知的障害者は、『精神用』の用紙をもらい、なんと精神科医の診断書を提出しなければならない。それは障害年金でも同じだ。

私は、行政の窓口でも、障害年金の窓口でも、何度も「知的障害って精神疾患ではないですよね?」と聞いてきた。「精神科医にかかっていないのに、精神科医の診断書の提出が必要っておかしくないですか?」と。もちろん、窓口業務の方は、「そういうきまりになっています」と答える。だから聞く。「あなたは、知的障害を精神疾患だと思っているのですか?」と。すると窓口の人は「知的障害は精神疾患ではないということはわかります」とは言ってくれる。だからよ!精神疾患でもなにのに、どうして精神科医の診断書を出せと言うのだ?!

医師の診断書が必要とあれば、かかりつけの医師が一番その人のことをわかっているはずだ。かかったこともない精神科に行って、診てもらったこともない医師に診断書を書いて欲しいということの矛盾。実際「いきなり診たこともない患者さんの診断書は書けません」と言われるし、それは医師として正しい返事だと思う。

障害者手帳には「身体」「知的」「精神」の三種類があるというのに、どうして、手続きは「身体」と「精神」の二種類しか用意されていないのだろう?私は、この手続きをする度に、精神障害のある人と知的障害のある人が、この国によって隔離されてきた歴史を思い出す。それは今のなお変わらないこの国の姿勢として。


映画「夜明け前のうた」は文化庁映画賞・優秀賞を受賞した。映画が広く知られる意味でも素晴らしいことだと思う。けれど、記念上映会が延期になっている。記事では『受賞作の発表後、遺族から贈賞と上映会の取りやめを求める連絡があった。遺族側との問題が解決しないうちは人権を傷つける可能性があり、延期を決めた。ただ、選考委員から「作品全体への評価には影響がない」と判断があり、贈賞は2日に行った。文化庁は「当事者間で解決されれば上映する」としている。』という。

今は消されているけれど、YAHOO!ニュースのコメント欄に、私は以下のようなコメントを書き込んだ。

『文化庁は「当事者間で問題を解決すれば上映する」としているが、この問題の当事者は国だ。1900年に制定された『精神病者監護法』に基づき行われたのが『私宅監置』なのだから。国が家族を引き裂いた制度だった。しかも申請者が家族だったことから、家族は被害者であり加害者の側面を持たされてしまった。その苦しみが遺族に繋がっているのだと思う。国は被害者と被害者家族、遺族に謝罪すべきだ。国が社会的けじめをつけなければ、ご遺族の気持ちは収まりようがないと思う。』


闇から光へ

原義和監督がご著書「消された精神障害者」<高文研出版>に書いてくださった言葉だ。

かつてこの国が、障害者にたいして、どのような態度であったのか?国によって傷ついた人、命を失った人、人生を奪われた人、その家族、遺族にその過ちを認め、謝罪することを求めたい。

その過ちを認め、反省することなしに、これから障害者と共に生きてゆく社会など作れないではないか?

現に「障害者は施設に入ってろ!」とか、「障害者は社会のお荷物だ」とか言う人は後を絶たない。それはかつての国からのメッセージとして残っているからに他ならないと思うのだ。

そして、そのメッセージは、だれもが障害者になる可能性がある限り、すべての人を怯えさせるメッセージだ。怯えているから攻撃をするのだ。


どうか、映画「夜明け前のうた」を観てほしい。

そして、国の制度によって消された人々に思いをはせてほしい。それがせめてもの供養となるはずだ。


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