何年もかけて。

できる限り時間をかけて
長い長い手紙を書いているような。
人生はそんなものなのかもしれない。

見上げると空には星が瞬いていて
明日に繋がっている。

続ける人がいれば
辞める人もいて
手を差し伸べる人がいれば
その場を去っていく人もいる。
当たり前の話だ。

永い長い時間をかけて
たくさんのそれらを繰り返した。
いつの間にかそれにも慣れて
悲しみは溶けて
諦めと優しさに変容する。

あの頃の悩みが今から考えると
何ら大したことのないものに感じるのは
それらを乗り越えて生き抜いてきたからだ。
だから、今抱えている苦しみも
いつか大きくなった自分が
笑って話せる日が来るのだと思う。

その日が来ることが
少し寂しく感じるのは
なんでなんだろうね。

苛立ちと悲しみが
諦めと優しさに変わった後、
残るのは満足感と寂しさなのかもしれない。

せめてこうやって過ごしてきたことを
誰かに受け取って欲しいのだ。
受け取ってもらったうえで
要らなくなるまでは
大事に抱えていて欲しいのだ。
要らなくなったら
それを必要としている誰かに
渡して欲しいのだ。

ほんの少しだけ。
ほんの少しだけでもわかり合えたら、
それで良いんだ。
崇高なる夢ではなく
小さな光を手繰り寄せて
歩いていくことが
贅沢な命の使い方なのだ。
授かった身体と
借り物の言葉で
あの日見つけた崇高なる夢を叶えるために

空を見上げると
小さな光が瞬いている。
一つずつ手繰り寄せて
愛しい君に会いにいく。

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