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「野球で話せ」に寄せて:ブラックジャック的ストーリー・テリング


オアシス再結成するそうですね。知ってた。
マンチェスターシティとかいうイギリスの野球チームが4連覇して以来、ずっと言われてたじゃないですか。
機嫌がいいから再結成するぞって。たぶん来年負けたらまた解散しますよ。
チケットが取れなかったからこんなことを書いているわけではありません。




「野球で話せ」、いい漫画でしたね。

こういうのって今どこを探せば読めるんでしょうか。
なんというか、アンケート順だとかマネタイズとか海外展開とか考えなくていい漫画。
最初と最後だけ切り取られて高校生の国語テストの現代文読解に出てくるような漫画です。

もちろん、台詞回しやキャラクターが昭和すぎるとか、他にも「こなれていない」ところは多くありますが、作者の言いたいことはしっかりと書ききっており、1話の漫画として読みやすいという点で素晴らしい作品だと思います。

【ブラックジャック的な読みやすさ】


さて、結局のところこの漫画の読みやすさとは、どこから来るものなのでしょうか。

もし自分がこの漫画の書評を頼まれたとしたら、それはブラックジャック的な人物構成とストーリー・テリングに則っているから、という分析ができると思います。

この漫画とブラックジャックに共通する人物構成、それはつまり、

・話の主人公であり変化成長好転する善人A
・それに干渉したり感嘆したり見守ったりする観測者BJ
・善人Aとブラックジャックに敵対するが最後はやられてしまう悪人C

という構図です。

この漫画で言えば、善人Aが牧斗選手、ブラックジャック(BJ)が医師の健太郎、悪人Cがナベツネ球団オーナーということになります。善人Aに対して医師BJが治療なりアドバイスなりで何らかの干渉を行い、成長好転した善人Aが悪人Cの目論見を痛快に打ち破る、というのはまさしくブラックジャック的文脈であり、この漫画は野球マンガというよりもむしろ、その描写に割いているページ数に反して医療マンガにカテゴライズできる面を持っていると言えます。

あるいは、これが医療マンガではなく野球漫画に見えるとすれば、その原因は医師・健太郎のキャラクターが(もしかすると意図的に)薄められているからです。牧斗選手の内面は慎重に描かれているのに対して、医師の健太郎は作者のメッセージを代弁こそするものの、その内面はほぼ描写されません。

要するにつまり、これはブラックジャックのどこかの巻にあっても不自然ではない物語、手塚治虫という漫画の巨人の肩に乗って描かれた物語ですね、ということです。

我々はこういったブラックジャック的ストーリー・テリングに非常に慣れており、そのためそれに沿って展開される話はとても読みやすい、ということとが言えます。なお、私はこのような人物構成で展開されるお話をブラックジャックまでしか遡れないので「ブラックジャック的」と言っていますが、このストーリー・テリングの手法に何か特定の用語があるのであれば教えてください。

【ドクトル・ノンベ的なこなれなさ】


では、最初に言及した、この漫画の「こなれなさ」とはどこにあるのでしょうか。

やはりそれは、特にラストシーンにおける文脈の描写不足にあると思います。つまりこの漫画、ラストがわかりにくいんですね。牧斗選手が最終的にどうしたいか、どうなるのかがわかりにくい。

いや自分はわかった。解説もできる。でも妻は分からなかった。他にも分からなかった人がちらほら。

そこで問題です。先ほど国語テストの現代文読解と言いましたが、もしこの漫画が国語の課題で出されたとして

「問5. 牧斗はなぜ年俸0円の契約書1を選んだのか。
そして彼は席を立ってその後どうするつもりなのか。
課題中の描写と言葉を根拠に推測して書け」

(所要時間・5分)

あなたはこの問いに解答できるでしょうか?

おっと…「すべてを読者の想像に任せている」という解答は、作者がせっかく描いてくれた文脈と描写を読み取る能力にも、読み取るやる気にも欠けているバカの言い訳です。ごめんなさい。言い過ぎましたね。そんな解答をするのは、赤点の国語テストを前にして「出題者≠作者なんだから、作者がなに思って書いてたかなんて出題者もほんとは知らないだろwww」と言い訳しているバカです。誰も作者の心理分析をやれとは言っていない。文章中から根拠を探して論を立てろと言っている。だいたい、任されたわりにたいした想像もできないバカに限ってそういうことを言います。

さて、こうしてあなたを煽って怒りで思考を奪っているあいだにも時計は進みます。あと3分。はいおわり。

答えは

「牧斗は最初から叔父に契約を任せるつもりであり、ハッタリとして契約書1を選んだ。

その根拠として[1]叔父にロビーで待っていてくれと伝えている。[2]そのことをオーナーに伝えている。この2点の描写が挙げられる。

彼はオーナーから失言を引き出すことでその後の叔父の交渉が有利になることを期待しており、そしてその目論見どおりに『言葉の力でもって』オーナーよりも上位に立ち、新しい野球人生に挑戦しようとしている。彼の叔父がどのような契約をするか、またはしないかは描写されないが、少なくとも契約書2よりは有利な契約をオーナーから提示されるものと推測される。

ただし、それで彼らが最終的に契約するかどうかは描写が不足しており確定しない。もしも作中にチームメイトとの心理的交流(=金銭以外の契約動機)の描写があればそれは伏線であり契約する可能性が高いと論じることもできるが、そのような描写が課題中にないため、どちらかに確定はしないと論じるのが妥当」

です。

要するにつまり、こうだと断定できるわりに、読解の課題にできるくらいには描写が少ないんですよね。ハイコンテクストすぎるんです。誰にでも伝わるようになっていない。それがわざとなのかは分かりませんが。

感想の中には、牧斗選手は野球をやめて言葉の世界に生きる、もしかしたら落語家になるだろうというものもありました。流石にんなわけないだろう。いや、その可能性も否定できないわけではないですが、もしそうなら最後のコマは寄席をやってる牧斗選手になるよね?最後のコマで叔父を出す意味がなくなるよね?と。

落語家や関西人でなくても、ハナシにはオチをつけなくてはなりません。漫画にとって最後のコマは非常に重要で、つまりオチです。なので、叔父によって契約はやり直されるだろう、というのがシンプルにこの漫画のオチ、ということになります。

【手塚治虫ならどうする?】


じゃあ、分かりやすくするにはどうすればいいか。
ブラックジャックはもっと分かりやすく描いてあります。

だとしたら、もし、これを描いたのがあの漫画の神様なら?
もし、この話がブラックジャックのエピソードの1つだったら?

そういった思考実験をすれば、最後のシーンはおそらくこうなるでしょう。

病院のロビーにて。

牧斗「わがまま言ってすみません。けど、契約更新にはどうしても、まず僕だけで話をしたいんです」
牧斗「ブラックジャック先生はここで待っていてください」

BJ「おまえがこれからどうしようと自由だが、相手はおまえのような野球バカじゃない。海千山千のすれっからしだ」
BJ「あわてて契約せず、まずはじっくり考えさせてください、と言うんだぞ」

BJ「それに、きみの今年の年俸はぜんぶわたしがもらうんだからな。しっかりやってくれよ」

牧斗「だいじょうぶですよ。もう昔のぼくじゃありません。先生もきっとおどろきます」

牧斗、後ろ姿を見せて去る。それを見つめるBJ。

BJ「チェッ 人がかわってペラペラしゃべりやがる。かわいげがなくなっちまったぜ」

(改ページ)

〜中略〜

牧斗、0円の契約書を持って消える。

オーナー「なにをしている!みんなも引きとめろ!」

(改ページ)

病院のロビーにて。

秘書「失礼ですが、ブラックジャック先生ですね。
オーナー中島がお呼びです」
秘書、背後からBJに話しかける。
BJ、ベンチに座りながら。
顔だけ振り返る。無表情。

(改ページ)

秘書、腰をかがめて。何事かをBJに耳打ち。
BJ、座ったまま。目を見開いて驚いた表情。

BJ、顔アップ。すべてを理解。
ニヤリとする。擬音なし。

BJ「ほんとうにかわいげがなくなっちまったよ」
最終コマ。病院の廊下。
秘書と歩くBJの後ろ姿。

おわり。

こうなると思います。こうすれば分かりやすい。

ここまでやっても分からない人でも、最後にブラックジャックが笑っているのだから、最終的になんかいい感じになったのだろう、ということは伝わるはずです。もしこの漫画に編集者がついたら、たぶんそう改変されると思います。

【わかってもらえないことを恐れるな】


ですが、果たしてそれはいいことでしょうか。
分かりやすい、というのはそこまで優先されることでしょうか。
もし、この人の漫画を分かりやすくしたら、それは面白くなったでしょうか。

ならないですよね。分かりやすいかもしれませんが、それはこの人の漫画じゃなくて手塚治虫の漫画です。ブラックジャックならそれまでの話で内面も役割も説明済みですが、この漫画でもし叔父まで掘り下げたら、野球の部分が間違いなくぼやけます。

人生は国語のテストじゃない。何もかもを分かる必要はないし、分かってもらう必要もありません。国語の先生は分かりやすく書けと言いますが、それは誰にも分かってもらえないものを、誰にも分からない形で書く楽しみを潰していると思います。この世界には本当はたくさんのヘンリー・ダーガーがいるはずなのに、いない。他人に伝わらない・他人に分かってもらえないことに価値はないという強迫観念に押しつぶされて、生まれる前に消えていっている。けれど、ダーガーの絵はアパートの隅で埃を被っていても美しいはずです。

この漫画は手塚治虫という巨人の肩の上に乗っています。
でも、巨人の肩ですから、きっと野球ができるくらい広いんでしょう。

ブラックジャックというフォーマットを使いながら、自分の描きたいものを自由に描くという試みは、制約も多く難しかったと思います。分かりにくかった箇所も確かにあります。

ですが、それもまたこの人の漫画です。牧斗選手がラストでどうなるかはこの漫画にとって特に重要ではなく、その描写の分かりにくさも含めて、作者の言いたいことは本編の37ページ目で既に完結している、ということでしょう。

もしかすると私たちは、分かる・伝わるという意思のキャッチボールに価値を置きすぎて、自分たちの立っているこのマウンドがもっとずっと広いことに気がついていなかったのかもしれませんね。

というところで、この話はおしまいです。
きれいで分かりやすいオチがつきましたね。

野球の話だけに。








…それでは最後は2000年のオアシスのアルバム、

「スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ」から。
「ロール・イット・オーヴァー」です。

どうぞ。






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