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帰る暇ないんで富士から直接九州行きますね(重陽旅行3日目 2022/9/7)

【前回】
【1・2日目】取り残した青春を回収する旅


午前

 貸別荘の2回目の朝。皆早めに起きていた。この日は荷物をまとめて貸別荘を出、関東に帰る日だった。――私を除く3人にとっては。
 軽い朝食を済ませたあと、貸別荘の清掃をし、各自の荷物をまとめた。私以外の3人はこの日が最終日なので荷物はそこまで多くなかったが、これから九州に行こうとしていた私の荷物は膨大なものであった。テレビにつないでいたニンテンドースイッチを引き抜き、キャリーケースの中にしまった。ゲーム機などの精密機械を持ち運ぶのは気乗りしなかったが、皆が楽しんでくれたならそれでよかった。精密機器はキャリーケースの中心部に入れておくのが最も良い。その周りを衣服で囲ってしまえば、衣服が緩衝材の役割を果たす。
 7時半くらいに起きて、もう9時前には貸別荘を出ていた気がする。管理事務所でチェックアウトを済ませたあと、一昨日に通った国道138号線で須走まで走る。この日は朝から曇りだったが、138号の山道を抜けている途中から段々と天気が崩れ、ついに雨が降り出してしまった。須走に着く頃には傘を差さないとやりきれないほど降っていた。

道の駅すばしり

 道の駅すばしりでトイレ休憩をとる。私は別にトイレに行きたくなかったが、ずっと車内で待っているのも癪なので外に出て待機していた。ドアを開けると、草や土の匂い(ペトリコールというらしい)が雨によって一層強くなっていた。私は雨や湿気が苦手だが、ペトリコールは大好きだ。懐かしき故郷の匂いがする。心地よい空気を吸い、友人を待ちながら自動販売機で飲み物を買おうとした。自販機には、関東の、コンクリートで固められた海辺の街には絶対にいないような大きさのカマキリが留まっていた。全体の大きさはおそらく13cmくらいだったと思う。虫の苦手な人のために写真は貼らないでおくが(手遅れかもしれない)、まあ立派なカマキリだった。
 休憩を終えたあとは、車に乗り込み、一昨日と同じ道を途中まで走った。これから行くのは静岡を代表するローカルチェーン、「さわやか」だ。
 御殿場あたりでバイパスを降り、下道で長泉のさわやかまで行く。私は貸別荘のチェックアウト後、そのまま河口湖のトヨタレンタカーに車を返却するものだとばかり思っていたので、解散後の旅程も山梨中心のものにしていたが、B君は最初からさわやかに行く予定だったらしく、私は静岡経由で名古屋に行くことになった。別にそれが不服だとかそういう話ではないが、その時は少し戸惑った。思いがけずさわやかを食べに行けるなら反対する理由はなかった。御殿場線に沿った道。静岡県道394号線。

長泉

 左手に長泉なめり駅が見えたらそろそろさわやか長泉店が見えてくる。5月に頂いたさわやか以来だ。さわやかは静岡から出ないことを表明しているので、関東から食べに来るには御殿場とか長泉とかに来なければいけない。この日は水曜日だったのでそんなに暇な人は関東から来ていないだろうが(来たとしても御殿場のアウトレットに集まりそう)、開店1時間前にもかかわらずすでに行列ができていた。
 開店1時間前だったが整理券だけは配布していたので、整理券は受け取っておく。暇ができたので、トイレ休憩も兼ねて長泉の街を少しだけ歩いてみることにした。静岡県道87号線、またの名を池田柊線。本当に短距離の散歩だ。さわやかに来る途中の車窓にローソンを見つけたので、そこまで歩こうと思う。
 一雨降ったあとの九月の静岡はやけに蒸し暑く、ムワッとした熱気が身体を包み込む。車内もずっとエアコンをつけている訳にはいかないから、車内に戻ってもただ暑いだけだ。
 大型の家電量販店・ノジマの脇を通る。向かい側には郊外にあるような大型のウェルシアがあった。見た感じ県道の周りは栄えているようだったが、商品は大量にあるに越したことはない。ウェルシアの隣にはスーパーのフレスポがある。スーパーと言っても結構大型で、大きめのマルエツのようにスーパー部分だけでなく他のテナントも入っているようだった。典型的な県道や国道のロードサイド、という感じだった。フレスポの隣にローソンがある。そこでトイレを済ませた。何せ静岡県内の電車にはほとんどの場合トイレがついていないからだ。少しでも尿意を覚えたら行けるときに行っておいた方がいい。

さわやか

モザイク

 しばらく待てば、開店の時間になる。入口に張り出されていた少年野球のチラシが印象的だった。少し郊外のレストランには、少年野球や剣道やピアノや英会話のチラシが所狭しと貼られている。私は地域に根付いたレストランで食事を摂るのが、地元の人達に溶け込んでいるようで好きだ。ましてさわやかのようなローカルチェーンでは、一層特別感が増す。仙台の時も同じようなことを書いたが、旅行者にとっての旅行や旅行先は「ハレ」の日であり場所であるのだが、旅行先を地元としている、いわゆる地元民にとってはそれは日常、「ケ」となるのだ。そのコントラストが濃ければ濃いほど、私は感傷に浸ることができる。 そんな感傷に浸りながら、店内に入る。
 さわやかで食べるのはもう決まっている。げんこつハンバーグのオニオンソース。4人全員がそれを注文した。げんこつハンバーグはさわやかの看板商品で、250gの肉塊を軽く焼いて客の目の前で切るパフォーマンスが有名だ。ハンバーグが来る前に紙を渡される。さわやかのパフォーマンスは焼き立てのハンバーグをアチアチの鉄板に押し付けるため、油がとんでもなく跳ねる。その油を防ぐためにB4くらいの大きさの紙を渡される。ハンバーグを客の目の前で切る店は大体やっている。私の母方の実家が北関東にあるので、私は帰省の途中にフライングガーデンによく連れて行ってもらっていた。フライングガーデンもまた大きな俵型の爆弾ハンバーグを客の目の前で切る店なのだが、そこでも紙が人数分用意されていた。だからさわやかに初めて来たとき、私はこのシステムを知っていたため、すぐに順応することができた。 あらかじめ紙は縁のところを折っておくといい。大体、想像の倍くらいは油が跳ねる。
 ついにハンバーグが来た。さわやかのげんこつハンバーグはいつ見ても圧巻だ。ひき肉の塊の表面だけ焼くので、ピーク時でも提供される時間も長い。そして運ばれてきたハンバーグは、恒例のパフォーマンスをもって完成する。動画はここから見られるようにしておく。

うまそ〜〜〜〜〜

 食べ盛りの大学生にかかれば(ずっと食べ盛りな気がする)、げんこつハンバーグくらい10分で食べきることができる。今回は特にライスも追加しなかったため、本当にすぐ食べ終わってしまった。本当に美味しいんだから仕方がない。それどころか、足りないとまで思ってしまった。

パフェ

 さわやかは季節ごとのパフェを用意している。コンビニのスイーツほど安い訳では無いが、少し背伸びして買うことができるくらいにはお手頃だ。まだまだ暑いとはいえ、9月なのでさわやかのカレンダーでは「秋」に入る。秋にしか味わうことのできないパフェを頂く。サツマイモと栗が盛りつけられたパフェは、ねっとりと甘かった。

別れ

 さわやかを後にし、車に乗りこむ。さわやかを食べるために御殿場ではなくわざわざ長泉まで来たのは、私を三島まで連れて行ってくれるかららしい。長泉町には長泉なめり駅があり、その駅は御殿場線の駅である。御殿場線は沼津駅を終着点としているが、長泉からは三島の方が少し近い。自動車ならば鉄道路線は関係ない。三島まで最後のドライブとなる。

上に長泉なめり駅、右側に三島、左下に沼津

 三島駅北口のロータリーの中には駐車場があり、そこに車を停めて荷物を下ろした。ここで、ここまで行動を共にしてきた友人3人とはお別れとなる。3日間、どうもありがとう! 楽しかった! 感動した!

 ここで3人とは別れ、九州への単独行動となる。私と別れた後、3人は山梨に戻り富士五湖の沿道をドライブして特急列車で帰ったらしい。

午後(静岡・愛知)

三島(12:29)→修善寺(13:04)

 この日は最初にも書いていると思うが、元々私は山梨の富士山駅で別れて富士山駅から単独行動しようと思っていた。そのため名古屋までの時間は結構多めにとっていて、名古屋で2番目に大きな金山駅を出る夜行バスに22時40分に乗る予定だった。しかし今、私は静岡県の三島にいる。必然的に、三島から行動する必要が出てきた。

本来の予定

 三島からJRで直接金山まで行こうとすると6時間程度かかる。午後の時間帯をまるっと自由に使える私にとっては、非常に短い時間であったことは言うまでもないだろう。三島で友人と別れたのが12時過ぎで、金山のバスに乗るのが22時40であるから、ざっと4時間40分の暇が生じる。せっかくの旅行なのだから、無駄にはしたくない。そう思った私は、三島駅から出ている私鉄、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗ることにした。
 伊豆箱根鉄道駿豆線は三島駅から南に伸び、伊豆半島中部の修善寺駅までを結ぶ。修善寺には温泉街が形成され、観光地・静養地として関東近辺の温泉地としては非常に人気のある場所の一つとなっている。東京方面から出てくるJR東日本の特急「踊り子」も、東海道本線を走ったあとに三島駅から修善寺にやってくる運用がある。
 駿豆線の三島駅は南口から出ている。今私は北口にいるため、南口まで行く必要がある。普段なら南北を連絡する陸橋や地下道を探すが、今回は青春18きっぷがある。駅構内を堂々と通り抜けても大丈夫なのだ。
 北口の駅員さんに判子をもらい、駅構内へ入る。北口には新幹線の改札があるため、迷わないようにしたい。 三島駅は新幹線を除く全てのホームが地上に設置されており、それぞれのホームに向かうには地下道を通る必要がある。跨線橋のない神奈川新町とか近鉄富田とかに見られるスタイルだ。
 南口に駿豆線のホームはある。今まで通っていたJRの構内を抜け……る必要はない。なんと、駿豆線の改札はJR三島駅の改札内に存在しているのだ。つまり、駿豆線に乗るには必ずJRと伊豆箱根鉄道の2つの改札を通る必要がある。私は既にJRの構内に入っているので、そのまま伊豆箱根鉄道の改札を通れば良い。三島から修善寺までは520円だ。今(2023年6月)では30円値上げしている。
 早速駿豆線の車両に乗り込む。乗客を降ろしたばかりの車内はがらんどうで、ロングシートなのも相まって広く見えた。私は列車のほとんど先頭の席に座り、発車するのを待った。 しばらくすると、列車が動き出した。出発してからしばらくは三島の市街地を走る。三島広小路駅から三島二日町駅あたりまでは市街地の中を縫うように走る。本当に地域に密着したような路線で、時間帯的に学生の姿はなかったが、同じ車両に乗っていたおばあさんが大音量で電話していたのが印象的だった。

基本的に単線

 しばらく乗車すると、伊豆仁田駅に到着する。伊豆仁田駅では特急列車の離合を行う関係でしばらく停車する。前述の通り、駿豆線にはJR東日本の特急が乗り入れてくる。
 伊豆仁田駅は函南町に属している。三島市の三島駅から伊豆市の修善寺駅まで、駿豆線は2つの自治体を経由する。一つが函南町、もう一つは伊豆の国市である。函南といえば東海道本線に乗車すれば行き着く駅であるが、函南町の中心部はむしろ伊豆仁田駅に近い。伊豆仁田駅周辺は開けており、都市圏も三島市から連続しているため、そこまで田舎な印象は受けない。一方、JR函南駅は丹那トンネルを抜けた直後にある駅なので、山の中の駅という印象を受ける。
 伊豆仁田を抜けると、間もなく原木駅に到着する。原木は北条義時のゆかりの地らしく、それに関連した案内が多くあった。 原木駅の次は韮山駅。韮山駅の近くには、近代化産業遺産の一つである韮山反射炉がある。駅もその案内で埋め尽くされていて、その主張が車内からも分かるほどだった。

強い

 韮山を抜けると、伊豆の国市の中心部に入っていく。伊豆長岡駅は非常に賑わっていて、立派な駅舎も作られていた。 伊豆長岡は伊豆半島を流れる狩野川の中流にできた街で、市街地の北部からは人工的に造られた狩野川放水路が伸びている。狩野川の本流は沼津市あたりまで流れる。駿河湾まで、つまり伊豆半島の西側までは山を超える必要があり、もっぱら駿豆線に沿って三島方面に抜ける場合が多い。面白いのが、伊豆の国市役所は伊豆長岡駅周辺にあるのではなく、少し山に入ったような場所にあることだ。
 伊豆長岡を出て、さらに南下する。修善寺は少し奥まったところにあり、大仁・牧之郷あたりで駿豆線はカーブを描く。山が一気に迫ってくる。牧之郷駅を出ると、すぐに修善寺駅だ。

修善寺駅

修善寺駅

 修善寺駅に来た理由は、伊豆箱根鉄道の乗り潰しの目的もあるが、何より一目見たかったものが2つも集まっているからである。いずれも修善寺にゆかりがあり、その名前に修善寺を冠している。

かわい〜〜〜な

 ウオ〜〜〜ッ可愛い〜〜〜〜!!! やっぱり本物は違いますね〜〜〜〜!!!
 一人目は鉄道むすめ・修善寺まきのちゃんだ。何年か前に友人だった人からまきのちゃんのクリアファイルをもらったことがあり、それからずっと気になっていた。伊豆箱根鉄道は駿豆線だけでなく、箱根方面で大雄山線を運営しているが、そこにも塚原いさみちゃんという鉄道むすめがいる。向こうが黒髪の少しクールな感じなら、こちらは亜麻色の髪でキュートな雰囲気を持っている。伊豆箱根鉄道はこの二人をよくコンビにしている。

かわい〜〜〜ね

 いやはや本当に美人さんだな ただでさえ暑いのにもっとアツくなっちゃうよ!! 可愛いね〜〜〜〜〜!!!
 二人目は温泉むすめ・修善寺透子ちゃんだ。改札を出た先、駅舎の中にある売店の前にパネルが掲示されている。修善寺透子ちゃんは不幸体質にもめげない健気な子で、読書、とくに尾崎紅葉の『金色夜叉』が大好きらしい。『金色夜叉』は主に熱海が舞台の小説であり、また作中の「一生を通して、一月十七日は僕の涙で必ず月を曇らして見せる。月が曇ったらば、貫一(主人公)は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ」という一説は非常に有名なものとして知られている。この一節が元ネタなのか、透子ちゃんの誕生日は1月17日となっている。
 修善寺の二大巨塔を見た後、透子ちゃんのパネルを掲示していた売店で透子ちゃんの缶バッジを買う。あまりお金に余裕がなかったので1枚だけ購入した。この他にも、2022年は大河ドラマで度々伊豆が取り上げられることが多かったことから、伊豆箱根鉄道全体で大河ドラマを盛り上げようとしていた。
 修善寺の街を歩こうとしたが、外は生憎の雨だった。まして修善寺の温泉街は修善寺駅から歩いて30分ほどのところにあり、もし日帰りで温泉に入っても30分間雨に打たれることを想定して、今回は行かずまたの機会にしようという判断をした。

修善寺駅西口広場

 修善寺駅の駅前は整備されており、晴れていたらかなり快適だったと思う。私がどこかに出かけようとすれば、何故か必ず雨が降る。結局富士山も最後まで見ることはできなかったし、私は雨男なのかもしれない。結構雨が激しく降っていたので、駅前からは動かなかった。駅舎の中にいれば雨は凌げるし、何より旅程が不透明で時間通りに金山に間に合わないかもしれない。

入口

 修善寺の駅前は段差のある地形をしている。駅のそばを走る道路は下の方に見えるが、西口広場の方まで来れば同じ高さになっている。駅前にはロータリーがあり、坂を上ってロータリーに到達することができる。2車線道路にはオレンジ線が引いてあり車線変更ができないようになっているが、ロータリーの出入り口部分のみオレンジ線が途切れているので、両方向からロータリーにアクセスできる。

でかい運賃表

 券売機の上部には運賃表が掲げられているのだが、カバーする範囲が非常に大きい。駿豆線内の運賃表はもちろんのこと、JRと直通する特急列車が運行されることからJR線内の運賃表も掲載されている。神奈川県の戸塚駅から静岡県東部の藤枝駅までの運賃が細かく記載されている。前述の通り、三島駅の改札は少し特殊な構造をしているためだろうか?

修善寺(13:26)→三島(14:02)

 ここから先は、修善寺から三島に戻る。先ほどは修善寺両氏のパネル見たさから改札をすぐ飛び出してしまったが、今度は駅構内をじっくり見ようと思う。 20分ほど待っても雨は止む気配がなかった。折り畳み傘を持参してきていて本当に助かった。
 伊豆箱根鉄道の駅名標は最近改修が行われたらしく、矢羽根状のデザインの施された、紺色を用いた駅名標となっている。平仮名を大きく表示し、その下に漢字表記、さらにその下にローマ字、ハングル、中国語簡体字が並ぶ。次駅・前駅は平仮名とローマ字が併記されており、漢字はない。

新しい駅名標
無理だと思う

 駅名標の下にはサイクルトレイン、つまり電車の中に自転車を持ち込めるサービスを行っている広告が張り出されていた。地元の中高生が通学の際によく使っている印象だ。左側にはシティサイクルを運んでいる振袖姿の女子が描かれているが、この状態ではまず乗れないだろう。この手のフレームの自転車は後ろからまたいで乗るのが一般的だが、振袖では足の動きが大きく制限されてまず大股を開けないし、開けたとしてもペダルを漕ぐのにひどく難儀しそうだ。
 駅名標の観察はこれくらいにして、列車に乗り込む。3両編成の列車は、先頭車両と後ろの車両はロングシートだったが、真ん中の車両はクロスシートになっていた。私はクロスシートのほうが好きなので、率先してクロスシートを選ぶ。隣の席にキャリーケースを置いて、誰も座りに来ないようにした。この時間帯の駿豆線は空いているので、座席が全て埋まることはない。間もなく列車は動き出した。

修善寺にもアピタあるんや

 依然として雨脚の弱まることはなかった。すぐ近くに見える山に雲がかかっていた。雨の影響で気温はそれほど高くなかったが、それ以上に湿気が酷く、汗がなかなか蒸発せずにベタベタと不快だったのを覚えている。
 再び伊豆長岡に着く。ホームの壁にはたくさんの地元企業の広告が掲げられており、その様は昭和末期から平成初期を彷彿とさせる。私はこの様を見て、昔に訪れたひたちなか海浜鉄道那珂湊駅を想起していた。

なつかしさがある

 やはり伊豆長岡や伊豆仁田あたりで結構な量の人が乗ってくる。しかしそれでも、すべて埋まるほどではなかった。意外だったのは、三島田町・三島広小路でかなりの人が降りることだった。駿豆線は地方民鉄にしては本数が多く、毎時3〜4本が運行されている。地元住民に頼られる交通インフラとしての機能を果たしていると感じた。
 ほどなくして、三島駅に到着した。三島駅は起終点駅であるから、もちろん人の乗降は激しい。三島駅に降りたところにいた車両には、当時放送していた「鎌倉殿の13人」のラッピングが施されていた。ドアのところで、北条義時役の小栗旬が両手を広げていた。

三島(14:28)→清水(15:22)

私の乗っていたいずっぱこの電車

 少しのトイレ休憩の後、ついに西への大移動が始まる。去る8月の仙台旅行で1日消費した青春18きっぷで再びJR駅構内に入る。ここから静岡も浜松も豊橋も抜け、名古屋市中区、金山駅まで移動する。
 三島駅のホームに着いても、すぐに電車が来るわけではない。基本的に静岡県内の東海道線は毎時3~4本の運行であり、10分以上待つことも珍しくない。何もしないで待っているのも面白くないので、ホームを観察してみる。 ホームが欠けている。整備が行き届いていないから欠けている、というのではない。意図的に、そこだけをきれいに工事して抉っている。

線路に合わせてえぐれている

 これはJRから伊豆箱根鉄道に直通する列車があるのが原因だ。伊豆箱根鉄道に直通するJRの特急「踊り子」号は、JR三島駅のホームで客の乗降を行い、伊豆箱根鉄道の線路に入っていく。線路の配置の関係で、その際に車両の境目は少しホーム側に寄る。線路内に人が落ちないように、ホームは常に車両スレスレに配置されている。その影響で、ホーム側に寄った車両はそのままホームにぶつかってしまう。それを避けるために、ホーム側を少しだけ抉って車両とホームが干渉しないようにしている。
 しばらく待つと、島田行きの電車がやってくる。やってきたのは211系、静岡地区の東海道線をよく走っている全席ロングシートの車両だ。ロングシートな上にトイレが付いていないことが多く、青春18きっぷを使って移動をする旅行者、所謂18きっぱーには不人気な車両だ。私は211の前面のデザインがとても好きなので、多少の不便も許すことができる。この211系に乗って、静岡県を西に移動する。
 沼津駅を出たあたりで睡魔が襲ってきた。ウトウトとした後に寝てしまったが、吉原駅でまた目が覚めた。吉原駅は岳南電車と乗り換えることができる駅で、今でも切符を全て人力で発行していることで知られている。小さい会社だが、魅力的な会社、魅力的な路線で、私は乗ってみたかった。ちょうど吉原に着いて目が覚めたが、岳南電車に乗ろうと席を立った瞬間に電車のドアが閉まってしまった。思いがけずお預けを食らった。ここからしばらくは私鉄と乗り換えることのできる駅はない。
 吉原の次は富士に着く。富士市は日本でも有数の製紙都市で、富士市からは富士製紙と大昭和製紙という製紙会社が生まれている。富士製紙は王子製紙に、大昭和製紙は日本製紙に吸収合併されたが、合併以前は非常に大きな製紙会社であった。北海道にはそれぞれ富士製紙と大昭和製紙を前身とした日本製紙釧路工場と日本製紙北海道工場白老事業所が存在し、そこで生産される紙を輸出するために鉄道駅が設置された。それが根室本線の新富士駅と、室蘭本線の北吉原駅である。駅名は富士製紙と大昭和製紙の創業地である富士市と、富士市に合併された吉原市にあやかって付けられた。
 富士市自体も製紙都市として発展しており、特に田子の浦は工業港として整備されている。

工業都市・富士

 富士を抜けると、山が海岸線まで迫ってくる区間を走る。この山はそのまま海へ落ち込み、深い駿河湾を形成している。海岸まで山の迫っている地形の興津を出ると、清水駅へ到着する。

清水市街散策

 静岡市清水区は静岡市の東部に位置しており、その市街地は巴川に形作られた平野に構成されている。『ちびまる子ちゃん』に出てくるあの巴川である。といっても、実際の巴川のほうがかなり大きい。ちなみに巴川のイントネーションは「と」だけ低く「もえがわ」は全て高い。LHHHHである。「かつら剥き」と同じ発音だ。

もう来てる

清水駅の構内にはちょっとしたちびまる子ちゃんのパネルが設置されていた。作中では「清水市」と呼んでいるが、静岡市に合併された今では「静岡市清水」となっている。「あそびにおいでよ!」と呼びかけてくれているが、もう既に私は清水にいる。

結構でかい

 構内は想像以上に広かった。地上に設置された駅で、巨大な跨線橋を線路の上に架けた後、その途中に改札やコンコースを設け、線路の間に設置されたホームに出られるようにしてある。いわきや久留米にこういった形状が見られる。都市部の中型の駅としては最も一般的な構造だと思う。
 乗っていた列車は島田行きだったが、私は清水駅で降りた。金山に行くことが目的ならばそのまま島田まで乗ってしまえばいいのだが、私は清水駅で降りた。少し寄り道しようと思ったからだ。 清水駅には乗り換えられるような私鉄は存在しないが、少し歩いたところに静岡鉄道の新清水駅がある。静鉄に乗って静岡市内を少し観光しようと思った。
 清水駅の巨大な歩道橋を降りると、ロータリーの真ん中に人型の像が向かい合うように3つ設置してある。その間には金属球が置かれている。サッカーだ。1人はキーパーで、残りの2人は相手チームのおそらくフォワードだろう。フリーキックをしているように見える。清水は清水エスパルスというJリーグクラブのホームタウンである。駅前のモニュメントだけでなく、駅前ロータリーのバス停のひさしにもエスパルスの垂れ幕が掛かっていた。

サッカーやろうぜ!お前金属な!
サッカーやろうぜ!お前垂れ幕な!

 ここから静鉄新清水駅まで歩く。未だに雨は止まず、傘を差しての移動となる。地図をよく見ていなかったため、アーケードがしばらく続く清水駅前銀座を通り過ぎて、1本隣の国道149号線を歩いてしまった。写真まで撮っていたのに……! 清水駅から新清水駅に行く道路のうち7割くらいを清水駅前銀座が占めている。雨の日なら尚更真っ先にそこを通るべきだった。今Googleマップを見て猛烈に後悔している。

ここを通っておけばよかった

 屋根のついていない国道149号線を通ってしまったため、雨でかなり体力が消耗される。
 清水を少し歩いた感想だが、少しレトロな雰囲気が所々から醸し出されていた。清水駅前銀座の看板もそうだが、昔からの物を大事に使っている印象があった。悪く言えば「代謝が悪い」になるのだが、それが好きな私は、嗚呼良いなあと思うのである。

レトロさがある

 例えばこういう薬局は関東ではめっきり見なくなってしまった。シャッターに取り扱っている薬やその効能を書いているようだが、今でも取り扱っているのだろうか。ここは建物にひさしが付いており、実質的な清水駅前銀座の延長となっている。駅前銀座の中もこのようなレトロな店が立ち並んでいたのか……と思うと、ますます駅前銀座を歩かなかったことが悔やまれる。
 駅前銀座と国道の合流する地点では、同時にJRの線路も合流する。斜めに交わるため踏切の幅は大きい。混雑を解消するために主要な自動車用道路は高架に移されている。踏切を渡って間もなく、静岡鉄道新清水駅西口に到着する。

新清水駅西口
東口のほうが数倍でかい

 新清水駅は東口のほうが大きく、そちらの方が「地方鉄道のターミナル駅」然としており、見ごたえもあったが、私はそのことにすら気づかなかった。呑気に西口の写真を撮っては、案外小さいんだなあとか思っていた。

新清水(15:44)→狐ヶ崎(15:49)

 静岡鉄道には初めて乗る。そのまま終点の新静岡まで乗り通しても問題ないのだが、まだまだ時刻は16時を回っていない。少し寄り道したり、遊んだりする時間がある。静岡鉄道はその昔、「狐ヶ崎ヤングランド」という遊園地を経営していた。今から約30年前に閉園し、その跡地にはイオンが建てられた。私が今回行くことにしたのがそこだ。
 関東圏、とくに京浜地域にはイオンが殆どない。その代わりにイトーヨーカ堂が大量に建てられている。私が普段着ているGUの洋服も、大森のイトヨで購入したものである。イオンに行くのは専ら旅行の途中であり、そういった点でイオンは私にとって「ハレ」を象徴する物だった。
 まあ、イオンに行くだけが目的ではない。イオン清水店の屋上には昔の遊園地の名前を冠した「ヤングランドボウル」なるボウリング場がある。そこで少しボウリングをしようと思い立った。
 切符を購入し、静鉄の車内に乗り込む。静鉄A3000形電車は最近に製造された車両で、車内の照明がLEDだったり、液晶ディスプレイの案内表示がなされていたりと、近代的な印象を受ける。車体には静岡に因んだ7つの色がそれぞれの編成に1色ずつ塗られている。私が乗り込んだのは駿河湾で獲れる桜エビをイメージしたピンク色の車両だった。車内までピンク色に塗られているわけではなく、どの編成も同じデザインとなっている。

あと6色分ある
横長のディスプレイは関西私鉄の車両によく見られる
関東ではあまり見ない

 2両編成の小さな列車だが、運行本数が多いので輸送力が少ないというイメージは無い。私の乗った車両もすぐに動き出した。
 入江岡駅辺りで東海道本線と合流する。東海道本線にビッタリと並走するさまは相鉄本線の横浜〜西横浜を彷彿とさせる。新清水から狐ヶ崎までは5分ほどで到着した。

狐ヶ崎駅

 狐ヶ崎駅は小ぢんまりとしている。複線の線路の間に設置された島式ホームから階段が伸び、跨線橋と繋がっている。駅を出てからすぐに坂が続いている。目の前を横切る道路は東海道であり、ここが街道筋であったことを今日に伝えている。東海道もアップダウンの激しい道となっている。
 坂道を上ると、イオン清水店、そしてヤングランドボウルの入り口が見える。

ヤングランドボウル

茂っている

 入り口に入ってからも、隠し道路のような所をしばらく歩いた。木が生い茂って薄暗かったが、案内はしっかりしていたので正しい入り方なのだろう。木のトンネルを抜けると広い駐車場とイオンの本館が見える。折り畳み傘を畳み、イオンの建物に入る。じんわりとした冷気が身体を包む。雨で蒸発できなかった汗をぐんぐん冷やしていく。早速エスカレーターを使って屋上まで行く。
 屋上には駐車場が設置されており、ヤングランドボウルはその端に建てられていた。雨は降っていたが、ごく短距離であったので、小走りでボウリング場の建物に入った。
 中は、入り口付近にUFOキャッチャーや名前を知らないバスケットゴールに大量にボールを入れるゲームの筐体の置いてある小さなゲームセンターになっていて、ボウリング場のレーンはその奥にあった。早速ボウリングを行うために受付で申し込む。投げ放題でもよかったが、金銭的・時間的・身体的な面から3ゲームだけ投げることにした。私は運動音痴でボウリングのスコアは高い方ではないのだが、球を投げるという行為に特別感を覚えるから、ボウリングが好きだ。基本的に10ポンドの球を使う。

うまくないらしい

 1ゲーム目だけ写真を撮っておいたので、そのスコアだけは思い出すことができる。101点。インターネットで調べたところ、平均より少し低いらしい。平均スコアには興味がないが、もう少しスコアが取れると楽しくなるだろうと思う。具体的なスコアは覚えていないが、2ゲーム目と3ゲーム目は1ゲーム目よりも低かった。
 投げ終えると、ボールを持っていた右腕が熱くなってくる。両手の掌にボールの油が移ってヌルヌルしてくる。イオンのトイレで手を入念に洗って油を落とした。
 小腹が空いたので、イオンの1階にあるフードコートで軽食を摂る。ミスタードーナツでココナツチョコレートとハニーチュロを2つずつ頂く。水分の少ないチュロスに半強制的に水分補給をさせられる。食べ終わって外に出てみると、ボウリングをする前よりも暗く、雨が激しくなっていた。
 少し駆け足で狐ヶ崎駅へ戻る。ここからは一気に新静岡まで行く。

狐ヶ崎(17:33)→新静岡(17:52)→静岡

狐ヶ崎駅 右側はJRの線路

 静鉄は狐ヶ崎駅を出ると、JRの線路から離れて独自のルートを辿るようになる。夕方の退勤ラッシュと被ったからか、やってきた電車には既に多くの人が乗っていた。数駅は立って乗っていたが、草薙駅でごっそり人が降りたので車両の端の席に座った。静鉄は県総合運動場駅から古庄駅の間でJRの線路とオーバークロスする。その区間は車窓の情景が目まぐるしく変わり、見ていて楽しかった。
 暫くすると駅の間隔が急に狭まり、間もなく新静岡駅に着く。

新静岡駅

 新静岡駅は地方私鉄らしからぬ非常に大きなターミナルとなっていた。バスターミナルも整備されており、静岡市中心部の中核の一つとして機能していた。ここからJR静岡駅までは少しだけ歩く。雨の中を、少し道を間違えながら進む。

マジで急に見えたのでビビった

 えっ!!あらあらあらあら!!静岡歯科じゃないですか〜!!!こんな一等地にあったのね?!?!?!
 静岡歯科は言わずと知れた、多分日本で一番有名な歯医者である。静岡県内の至る所に理事長の顔をでかでかと印刷した広告を張り出していることで有名だ。静岡中どころか、北海道や沖縄にまで静岡歯科の広告が張り出されている。黄色の背景に青色の医療用スクラブを着た理事長の写真、そして青い「静岡歯科」の4文字が一際目を引く。目立って記憶に残りやすい点では一種の広告の完成形と言える。京都や鎌倉では絶対に出せないタイプの広告だと思う。あんなに派手で目立つ広告を出しているのに、実物は垢抜けた都会の歯医者さん、といった感じがして、そのギャップに驚いた。

静岡(18:12)→浜松(19:11)

 新静岡駅から静岡駅に行くまでには、少し時間がかかった。静岡駅が想像以上に広く、通路が地上にあったり地下にあったり、そもそも夕方の退勤ラッシュで人が多かったりしているせいで肝心の静岡駅コンコースになかなか辿り着けなかった。自治体の人口では浜松市のほうが静岡市より多いが、駅の規模なら静岡駅のほうが大きいように思える。
 やっとコンコースに到着した。静岡駅は静岡県の中心駅であるが、乗り換えられる在来線が存在しないため、東海道線のみの案内となっている。まあ、静岡県の北側には巨大な赤石山脈が走っているため、北側に抜けるような路線は富士駅から出る身延線や沼津駅から出る御殿場線くらいしか無い。
 浜松方面の時刻表を確認すると、「ホームライナー浜松」なる快速列車が出ることを知らせている。快速列車は青春18きっぷで乗ることができる。青春18きっぷで乗れないのは、特急と新幹線と現在は殆ど走っていない急行列車のみで、ライナー系の快速列車やグリーン車などには、チケットを購入して、追加料金を払った上で乗ることができる。
 ホームライナー浜松1号の発車時刻は18時12分。現在時刻は18時09分。またとない機会だから是非乗りたい。しかし乗り遅れれば快速乗車券は紙屑となる。初めて来た駅で、チケットを購入するのならば10分は欲しいところだったが(この時私はチケットの購入方法すら知らなかった)、もう時間がない。改札の前で逡巡している間にも刻一刻とホームライナーの発車時刻は迫っている。一か八か、私は券売機でチケットを購入し、大急ぎで改札を通り抜けた。青春18きっぷを駅員に見せれば快く通してくれる。発車する番線を確認して、キャリーケースを持ちながら階段を一段飛ばしで駆け上がる。
 ホームライナー浜松1号は、まだホームにいた。

たかが330円、されど330円

 間に合った。私の乗り込んだ直後に列車のドアが閉じたので、本当にギリギリだった。列車は全席クロスシートで、指定席ではなく自由席だった。つまり、どこに座ってもいいし、乗車した後に席を変更してもいい。クロスシートの内、2席とも空いている場所は無かった。とりあえず一番優しそうなおじさんの隣に座る。キャリーケースは網棚に載せることができる。
 大急ぎで乗り込んだので、席につくと一気に汗がブワッと噴き出る。幸いにも車内は冷房が効いていたため、10分ほどで汗は乾いていく。その頃になると次の停車駅である藤枝に到着する。これまた幸いなことに、隣に座っているおじさんは藤枝で降車したため、窓側の席に座ることができた。
 ホームライナーは静岡県内の唯一の快速列車として運行されている。県内の主要駅を経由して、通常より早く主要な都市にたどり着くことができる。例えば静岡から浜松まで普通列車で行くと1時間12分かかるが、快速なら59分で到達できる。13分の短縮である。よく18きっぱーは「静岡県内は長い上にトイレの無いロングシート車両を掴まされて困る」と声高に騒いでいるが、ほんの330円を課金するだけで幾分かは楽になる。まあ、そもそも快速列車が朝と夕方にしか運行されていないから、快速の恩恵に与れるのは18きっぱーの中でもごく一部だろう。

 列車に乗っているうちに陽は沈み、夕方から段々と夜になっていく。菊川に着く頃には完全に夜になっていた。まだまだ雨は止まない。菊川市の市街は、市内を南北に流れる菊川によって形成されている。菊川駅はその北端にある。遠州と駿河に挟まれた地域は山がちで、例えば隣町の掛川や島田からアクセスすることは難しい。通勤・通学の足として菊川駅は重宝されていることだろう。
 掛川あたりからの記憶はない。おそらく眠っていたのだろう。気がついたら浜松駅の直前だった。19時11分、浜松駅に到着する。

右の電車がホームライナー浜松

 静岡県は東西に広い。ホームライナーの到着した線路の隣に211系が止まっていたが、その方向幕には熱海と書いてある。浜松から熱海までは150km以上ある。2時間半以上かかる計算になる。それほど同じ電車に乗っているのなら、「長くてきつい」と音を上げる旅行者がいるのも頷ける。

浜松(19:28)→豊橋(20:00)

 ここまで来れば、金山は近い。豊橋行きの普通電車に乗って豊橋を目指す。車内には部活の終わった高校生が多く乗車しており、大きなスポーツバッグを抱えている。舞阪・弁天島・新居町あたりで巨大な浜名湖の水面が見えるはずだが、今は夜。光を発さない海は完全な闇となって車窓に車内の様子を映す。新居町まで来ると湖西市に入る。湖西市は小さな町村が合併して成立した市であることから、これといって大きな市街地が形成されていない。浜松市に近い新居町、市役所やさわやかに近い鷲津、天竜浜名湖鉄道天浜線との乗り換えができる新所原とで異なった発展の仕方をしている。
 また浜松から豊橋までの区間は快速列車がほとんど運行されない。県境を越えるからなのだろうか、ホームライナー浜松は豊橋まで走らないし、名古屋から出る特別快速は浜松まで走らない。決して人口が少ない訳ではないのだが、この点については不憫に感じる。
 湖西市は静岡県の西端に位置しており、新所原駅は湖西市の西端にある。つまり新所原駅は静岡県の西端にあり、新所原駅を出るとすぐ愛知県に入る。ここからしばらく乗車すると豊橋に到着する。

浜松から豊橋まで乗った313系

 豊橋駅に来るのは2回目だ。1回目は豊橋駅に着いてすぐに名鉄に乗っていったので、駅前を見たりはしていない。今回は少し時間が取れるので、駅前に繰り出してみようと思う。

豊橋駅

 雨だ。静岡県内、長泉から浜松までずっとついてきた雨が、豊橋でも降っている。雨だから外に出るのは億劫だったが、このまま電車で金山まで行くと到着が早くなりすぎてしまう。雨が降っているという点で気乗りはしなかったが、それよりも豊橋駅に対する好奇心が勝った。
 駅構造は、やはり特殊なものだと思わざるを得なかった。特に飯田線・名鉄線ホームは初めて来た人を迷わせるための構造をしている。一応名鉄線に乗る人のために無人駅にあるようなICカードリーダーが設置してあるが、有人駅の自動改札に慣れ過ぎてICカードリーダーに触れたことのないような人間にとっては、使い方もまともに分からないのではないだろうか?
 そもそも、JR東海の飯田線は国が主導して建設した路線ではなく、4つの私鉄会社がそれぞれ建設したものである。それを国鉄が買収して1つの長大な路線にしたのが飯田線だ。飯田線豊橋~大海間は豊川鉄道が建設した区間で、つまるところ飯田線と名鉄線のホームには私鉄しか乗り入れていなかった。そのうち豊川鉄道が買収されて国鉄となったため、片方が国鉄(解体後はJR東海)、もう片方が名鉄のホームという、非常に不思議な構造となっている。

右が飯田線乗り場、左が名鉄線乗り場

 豊橋駅のコンコースは、所々に数段の階段がある構造をしている。目立たないが壁際には車椅子やベビーカー用のスロープが設置されている。コンコースの中で階段が続くのはあまり見たことがなく、珍しく見えた。

東口と西口とで出入口の高さが違う
新豊橋のファミマ

 豊橋駅西口はペデストリアンデッキになっていて、地上に降りることなく豊橋鉄道新豊橋駅の近くまで来ることができる。新豊橋駅の改札や乗り場はすべて地上にあるので地上に降りる必要があるが、ロータリーの上はペデストリアンデッキで覆われていたし、駅前は非常に発展している印象を受けた。流石、三河南部の交通の要衝である。

豊橋(20:34)→金山(21:25)

 豊橋駅から名古屋方面に行く東海道線には、普通列車だけでなく様々な種別の列車が出ている。名古屋近郊に入ったので沿線の人口も増え、増大する需要に普通列車だけでは足りなくなってくる。東海道線では6つの種別が設定されている。並走する名鉄に客を取られないように、昔からサービスの向上や速達化が図られている。
 今回私が乗ったのは新快速。豊橋から名古屋を1時間足らずで駆け抜ける。停まる駅は蒲郡・岡崎・安城・刈谷・大府、そして金山。愛知県内の主要都市の中心駅のみに停車する。乗車した313系はクロスシートだった。どこで話したかは忘れたが、ロングシートよりもクロスシートのほうが尻の負担が少ないから私はクロスシートが好きだ。
 夜の車窓ほど面白くないものはない。特にトンネルの連続する山は何も見えない上に電波さえ圏外になる。しかし中京圏のうち人口の稠密な地域、豊橋から名古屋の間は途切れることなく電波が繋がる。この区間はおもにツイッターを見て時間を潰していた。

実況中継

 刈谷駅は名鉄三河線と乗り換えができる駅だ。名鉄三河線は刈谷市と三河地方の西部、高浜市・碧南市・知立市・豊田市を結んでいる。刈谷駅はJRと名鉄を結ぶ交通結節点で、乗降客数も非常に多い。ほとんどガラガラだった新快速は、刈谷で大量の乗客を乗せた。大量の乗客を乗せたまま、列車は金山に到着する。

ついた

金山

 やっと金山に到着した。本日の最終目的地だ。親にLINEで金山に着いたことを知らせる。駅のホームが豊橋駅よりも眩しかった。階段を上った先の改札もまた眩しかった。金山駅の駅舎は巨大で、中にショッピングモールのミュープラットが入っていたり、コンコースを挟んで名鉄に乗り換えられるようになっていたりしている。名鉄は何かにつけてμ(ミュー)を使いがちで、ミュープラット(μPLAT)も名鉄が運営している。この駅は「金山総合駅」であり、JRと名鉄の両者を区別していない。金山総合駅は、21時半を回っても人でごった返し、大きな賑わいを見せていた。

同じ建物に両方の改札がある

 金山に着いたはいいが、ここまでずっと移動しっぱなしだった。そろそろ夕食を頂きたい。せっかく名古屋に来たのだから、味噌カツやひつまぶしなどの名古屋らしいものを食べたい。しかし、お金をどれだけ使うかわからないし、そもそもそういった食事を提供してくれる店が21時半まで都合よく開いているとも限らない。悩みながら金山駅前の大通りを歩いていると、とある店を見つけた。

照り焼きって美味ッすね〜〜!!

 マクドナルドは旅行先の都市部で最も信用できる味の店に成り上がる。全国津々浦々、どこに行っても味が変わらない上に、夜遅くまでやっている店が多いからだ。金山でも赤字に黄色いMの看板を見つけてしまったため、急に引力が働いたように身体が引き寄せられた。私は普段から浪費癖が激しく、基本的に常に金欠で、主に安い価格帯のチキチーを食べているのだが、今回は久しぶりに照り焼きマックバーガーも頂くことにする。やはり価格が150円も違うとバンズや肉のジューシーさが1段階上がるように思える。
 22時過ぎに食事を済ませ、いよいよ本日の予定は「バスを待つ」のみになる。
 本来であれば、マクドナルドを22時20分くらいに出て、そこからバスをふらふらと待っているのでも良かったが、金山は初めて来た場所だし何かと不安だった。早めにマクドナルドを出て、バス停のある場所でしばらく待つ。この頃になるともう雨は止んでいた。止んでいて本当に良かった。ここでもし雨が降っていたのなら、30分ほど雨曝しになっていたところだった。
 三菱UFJ銀行の花壇の縁に腰を掛けて待つ。道路の向かい側には、「キング観光」というパチンコ屋があった。蒲田でもこれくらいの店は探せばあるだろうが、大通りに面して堂々と建っているその姿に圧倒された。
 バスを待っていると、私の様にキャリーケースを持った人が周りに増えているのに気付いた。この人たちも皆、バスに乗るのだろうか。到着時刻が迫るにつれてその数はどんどん増えていき、しまいには10人強になっていた。
 大通りには数々の高速バスが行き交っていた。中々目当てのバスは来ない。 22時35分。やっとバス停に巨大なバスが止まった。これから乗るバスは福岡行き、私は用があって北九州市の小倉で降りる。
 3列独立シートの右側の席に乗り込んで携帯電話やモバイルバッテリーの充電を行って、しばらくは車窓を眺めていた。巨大都市・名古屋はこの時間帯になっても活発に動いている。三重県に入ったあたりで、私は睡魔に身を委ねた。振動があるからか、はたまた旅行の疲れがそうさせるのか、夜行バスは普通の布団よりも心地よく寝られる。バスは一路、福岡を目指して西へ突き進んでゆく。

【次回】
【4日目】九州来たしとりあえず3回横断しとくかあ
【5日目】3年ぶりにじいちゃんばあちゃんに会いに行く


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