銭ゲバ感想

ジョージ秋山作の漫画『銭ゲバ』がなぜかamazonで無料だったので読んだ。すごいおもしろかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

※以下いきなりストーリーまとめ&もろネタバレです



金がなく病気の母が死に、それをきっかけに金を得るために邪魔な人間を殺し、会社を乗っ取り、自社の引き起こす公害とそれに対する批判を無視し、政治家にまでなった風太郎。

しかし「人間の幸福について」という文章の執筆を頼まれ、ごくごく平凡に働き家庭を作り信頼しあう風景を思い浮かべたあと、自分のこれまでやってきたことが脳裏に浮かび、拳銃で頭を打ち抜いて死んでしまう。

といっても、最後の最後の表情とセリフを見ると悪いことをやってしまったという悲観には見えない。ラストのシーンで、主人公の蒲郡風太郎は

いつも私だけが
正しかった
この世にもし真実が
あったとしたら
それは私だ
私が死ぬのは
悪しき者どもから
私の心を守るためだ
私は死ぬ
私の勝ちだ
私は人生に勝った

と書き残す。

悲観的ではないが、絶望的だなと思う。

銭ゲバ、金の亡者でいることが(生存するためには)正しいことであり、それを遂行したからこそ風太郎はすべてを得た。が、この文章の「私が死ぬのは悪しき者どもから私の心を守るためだ」を逆に言い換えると「風太郎は死なないと悪しき者どもから心を守れない」ということになる。

つまり、欲しいものは得たが、その状態でいると自分の心(銭ゲバであることが正しい)が崩壊してしまうことを風太郎は認めていることになる。

風太郎は人生に「勝った」が、問われたテーマでもある「幸福」だとは書いていない。銭ゲバであることは生存のためには正しく、人生には勝てるが、その結果心が耐えきれずみずから死ぬことになる、それが真実であり風太郎自身である、というメッセージ。


んや〜〜〜現実には70になっても80になってもこんななけなしの良心の呵責すら起きない政治家やらなにやらがたくさんいるんでしょうね…と思わざるを得ない昨今。

しかし、「生き延びる」ということを考えると、一度銭のために悪事を働くともう戻れない、戻ると不正を責められて死ぬということになってしまうので、銭本位の行動は好転するはずがないんでしょうね…。逆もまたしかりで、銭ではなく信頼や愛のために生き過ぎても風太郎の母のように死んでしまう。

人には「愛」とか「良心」とか「悪」があるんではなくて、金を通して加速し続けるか止まるかの間を揺れ動いているだけじゃないのか、とたまに思うのですがどうでしょうか。


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