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「障害者」という表現について

私が子供の頃は、障害者という書き方をされることが、ほとんどであった様に記憶しています。
しかしながら、社会の意識の変化もあって、今では「障がい者」と「害」を平仮名にしたり、「障碍者」という漢字を使ったりする場面も目にするようになりました。
「障碍」という言葉は、物事の発生、持続にあたって妨げになることを意味する仏教用語で、明治頃までは「しょうげ」と呼ばれており、今になって使われるようになったものではないようです。そして、戦後になり、「当用漢字表」や「法令用語改正例」で「障害」が採用される事となり「障害者」という表現が一般的になりました。
このように特別な意味を持つ「障碍」という表現に左右されることなく、「害」の持つネガティブなイメージを払拭するために用いられる表現として「障がい者」という表現が生まれたようです。

物事を難しくするのが大好きなお利口さんの「言葉あそび」やめてくれませんか?

言葉使いの大切さを否定するつもりはありませんが、「障害者」でいいんじゃないですか?「障碍者」という言葉に歴史的価値がある事は事実ですが、「障害者」という言葉は、間違っていると言えるのでしょうか?私は「No」だと思います。もし「Yes」という人がいたら、それは自分の意見に合わない人を認めないという考えであり、その考え方自体が大きな問題だと思います。
「障碍者」も「障害者」もどちらも間違っていない考え方である以上、「当用漢字表」や「法令用語改正例」で採用されたことで一般的となった「障害」で統一しておくのが一番わかりやすくて良いと私は考えています。

その人を障害者にしている原因は「害」である。この考え方の、何が間違っているのか分からない

私を障害者にしている「パーキンソン病」、他にも様々な障害がありますが、私にとって障害者であることは、害悪以外の何物でもありません。「障害」という言葉を用いるとき、その障害を「障害者本人か社会のどちらの側の問題として考えるか」という議論がありますが、私の大嫌いな「障害はその人の個性である」という言葉に酔いしれて「害」は悪いイメージだからなどの理由で平仮名にする人、いい加減にやめて欲しいですね。

社会一般的に用いる言葉はシンプルに!物事をややこしくするのが大好きなお利口さんの目的は何?

少々、感情的な文面になってしまいましたが、「障害者」問題に関しては「害の文字をどうするか」というようなことではなく、もっと本質的なことに、こだわって欲しいですね。それにしても、どこの世界にも存在する、物事をややこしくするのが大好きな、お利口さんの目的ってなんなんだろう?

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