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幽体離脱して自分を外側から見てみたい

【※主観的な意見なのでINFJ全てに当てはまるわけではありません。あくまで私の考えです。】

本当の自分はどんななのだろう…。幽体離脱でもして自分を外側から見てみたい…と思ったことはおそらく全人類があるのではないか。特に、自分を客観視することが難しい/自分の特性をあまり把握していない/必要であれば周りの環境に合わせて自分を変えることができるINFJにとっては、日常的な欲求なのではないだろうか。

༝ ༝

INFJは基本的に自分より周りを重視し、周りに合わせることが多い。周りに何かあれば自分のことはほったらかしでそれを解決しようとする。だから、本来の自分のことをあまり把握していないのだ。

私は小さい頃から「大人しい」「真面目」「優等生」「落ち着いている」などのレッテルを同級生、先生、ましてや両親にまで貼られて育った。みんながあなたのようになればいいのに、とよく先生に言われた。でも、それらは全部外側から見えている私の評価であり、私はずっとそれに違和感があった。

言った側は褒め言葉のつもりだと思うけれど、実際には「中身を見てもらえていない」ということにコンプレックスがずっとあった。だから、内面を見てもらえることが嬉しかった。内面に関する他者からの評価は、時には驚くものもあった。

でも、自分で自分のことが完全にわかることはなかった。何故なら他者からの評価は、本当にそう思っているのかお世辞なのかわからないどころか、その人自身の感性に影響されるからだ。

自分がもう1人いたら自分は物凄く嫌いになるだろうな、客観的に見たら嫌な奴だ、と思って20年間生きてきた。でもこれは客観視でもなんでもなくて、ただの自己嫌悪だ。本当の意味で自分を客観視することなどできない。だってここで言う「客」とは誰のことなのか?人の感性や感じ方は百人百様なのに、一体誰目線で見ればいいのだろうか?

༝ ༝

小学生の頃、「相手の立場に立って考えよう」「自分を客観視しよう」と教えられた。だが、これらの教育は本当に正しいのだろうか。

自分のことは自分のフィルターを通してでしか見られないし、相手のことだってそうだ。相手の感性や思考を通して物事を捉えるなんて不可能である。だからそのとき、「同じ物事でも全員感じることは違うから、お互いの気持ちを理解し合おうという気持ちは大事だけれど、本当に理解し合うことは不可能だよ」と教えて欲しかった。これを誰も教えてくれなかったから、私は他人と理解し合えるという理想を抱いたまま大人になってしまった。

一生を通して得られるのは自分の感性や思考のみで、他人のそれを知ることは不可能だ。だったら、相手と自分との境界線ははっきりと引くべきだし、それを混同してはいけない。自分と誰かを比較することは、条件が違うのだから間違っている。科学の対照実験だって、それ以外の条件が同じでなければ成り立たないのだ。

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