プチ炎上の覚書 CBTの限界について
少しまえ、プチ炎上に巻き込まれました(笑)。実際は炎上というほど激しいものではなく穏やかなものでしたが、なかなか気を使いました。内容は認知行動療法;CBTについてです。
このツィートに触発されて、私も下のようにつぶやきました。
このnoteでは私のツィートとその一連の反応から思ったことについて、書き留めておこうと思います。
ツィートの背景と伝えたかった事
私が心配しているのは、過大な期待です。そして過小評価と感じられるところもあります。
効果がある人は多いという印象をもっていますし、エビデンスもそれを示しています。ただ、限界があって、うまくいかない人がいるということも、どこかでいう必要があるように思います。患者から報酬を受けるという利害関係のあるなかで、どんな疾患にも必ず効果があるという情報だけを喧伝をするのは、倫理的に問題があるようにも思います。
「IQ110が必要」というのは、私の考えではありませんが、誤解を招く表現だったと思います。この表現に至った経緯はこのツリーにあります。
この後もツリーが続きますが、私が「IQ110」をきいた周辺の事情を説明しておきます。
15,6年前かもう少し前かもしれませんが、私が単科精神科病院で働いていたころ、たまたま地域で行ける範囲で開催された、CBTの専門家の講演会に聴衆として参加しました。演者の先生の名前は失念してしまいましたが、内容はためになるものでした。講演の終了後、ご挨拶をした、そのついでにした質問が上記になります。講演会の枠の外での非公式なものですので、110という数値に何か根拠があるというよりはあくまで、雑感というところかもしれません。
でもこの110という数値は私にとっては衝撃的でした。CBTを実施している患者さん全員に知的な能力を図る検査を実施しているわけではありませんが、当時の状況を考えますと、平均よりやや低い方が多く、正常との境界や、軽度の知的障害を持つ方も含まれていたからです。むしろ、110という平均を上回る方の方がかなり少ない状況と思われました。この辺りは炎上する要素かもしれません。
110という数値については、演者の先生は、話の続きで日本人の平均ともおっしゃっていましたので、おおよそ半分くらいの人が身に着けられるという意味かなと思っていました。
つっこみ、ご意見、ご指導
この辺りで専門家の先生がたからの突っ込み、ご指摘、ご指導が入ります。
西川先生の突っ込み
https://twitter.com/gestaltgeseltz/status/1558062878476734465
また俗説のようですが、IQの国際比較で日本人は110前後というのがあったらしいです。この数値の真意は今は推し量るのみですが、私があまりにショックを受けていたので、ちょっと下げて少なくとも平均とおっしゃたのかなと思っていました。私の中では、「IQ110 =日本人の平均」という意味で書いたのではなかったのですが、笑われてしまいました。
私は、誰でも知っていることならば、知っているはずという前提で考えましたので、上記のように私がショックを受けたから平均と言い直したのかなと考えました。
西川先生のご発言は、
IQについて間違っている(私から見ると誤読)
=IQについて誰でも知っている知識を知らない
=CBTについても知らないやばい講師に習っているにちがいない
と、”過度に一般化”しているようにも見えます。
これに乗っかって私も、
=CBTについても知らないやばい講師に習っているにちがいない
=習っているやつもやばい奴だと言われている
と考えると軽く傷つきます。
もちろんCBTのご専門の先生ですので、認知のゆがみをそのままに、会ったこともない私を小馬鹿にするような発言があるはずもなく、私の被害念慮に過ぎないのですが、ツィッターの難しさを感じます。
柳澤先生のご指導
柳澤先生のご指導を受けて、確かに主語が大きかったかなとも思いました。私としては、ベックが開発して、RCTにも耐える構造化された認知行動療法を想定していました。対象としてはうつ病が代表的と考えていました。
直接の関係ではないのですが、これに関連して下のようなコメントもいただき、返信しました。
カウンセリングカフェさん
終結がいつになるかわからないそれまでの精神療法や薬物療法に比べて、認知行動療法は終結が明確であるところにも魅力的に感じていました。当時は保険収載前でしたので、イメージとしては厚生労働省マニュアルの方が後のようにも思います。
ちなみにNICEのCBTの用語解説はこれです。回数が決まっていることと、うつ病や全般性不安症を対象とするものが代表的なようです。
やまやまさん
構造化された精神療法の有効性についてはご批判もいただきました。
構造化することによってエビデンスを作ることが可能になっていますので、真っ向から否定するのは歯切れが良くて潔いと思いました。
認知行動療法が有効とか、対象者によって難しいという場合に、その要因については考えておく必要があると思いました。
私が思うところでは、それは技法の要因、実施者(セラピスト等)の要因、被実施者(患者さん)の要因です。これらは相互に関連していて、例えば今回は私にとって知的に高くない方にたいするCBTが難しいという話題ですが、ここには私の技量が低いということがあると思いますし、CBT自体にバーバルな能力を要求する傾向があるようにも思います。
バーバルな能力を要求するというところに議論が生じましたが、これは決して、この能力が低いひとにはCBTは効かない、無効という意味ではないです。また原因を患者さんのみに帰するものではありません。実施者にとっても、非実施者にとっても難易度が上がり、有効でなかったり、ドロップアウトする人が増えるという意味合いです。回数に規定があるような構造化されたCBTの適応には限界があると思います。最終的にはやってみないとわからないところはあるとは思います。
実際にやってみているからこそ、難しいとか限界を感じているのですが、この辺りはあまり伝わらなかったようです。全く効かないというわけでもないのですが、かけた時間やエネルギーに比して効率的とはいいがたいのです。この辺りが適応に限界があると考える理由です。
参考になった専門家の先生のコメント:
直接やり取りがあったわけではありませんがTLでみかけたツィートについて書きたいと思います。
岡崎純弥先生
いちは先生がRTしてらっしゃる岡崎先生は、大変立派な先生と思いました。1回あたり4000円から7000円の料金は、一般的な医師の給与からすると割安で良心的でと思いました。一方で、保険診療と比較すると割高で、実際、精神疾患を長く患って通院されている方では経済的には困窮ぎりぎりの方も多く、この値段での自由診療による認知行動療法は受けられない方も多いように思います。
岡崎先生のようなCBTの専門家と、一般の精神科医の間には、診療の対象としている患者に隔たりがあるのではないか、”層が違う”という指摘もありました。経済的な理由もそうですが、たとえば、「CBTを挑戦してみたいと考えている」時点で、動機付けは十分に保たれているように思います。一般の精神科診療では、治療を受けたくて来る方もいますが、そうでないことも多いです。周囲の人に無理やりに連れてこられた体であったとしても、診察に応じている時点で私自身は、治療動機はあると判断しますし、少しでも動機が存在するなら大きくすることは可能と思っています。それでも、最初の診察時点での「治療を受けたい」という動機の強さは、治療を成功に導きやすくしてくれるのではないかと思いました。
伊藤絵美先生
伊藤先生といえば、著名な認知行動療法家で、さすがというコメントでした。知的な問題などものともしない姿勢に心強さを感じ、勇気づけられます。
私としては、その工夫がどんなものなのか、ということが聞きたいのですが、著作や講演、スーパーバイズなど認知行動療法の教育を生業の一部にしてらっしゃる先生ですから、おいそれと尋ねることは大変失礼と思います。質問すれば、おそらく著書や講演会研修会などをご紹介いただけるとは思います。
やはり御高名な先生だけであって、発言も奥深く、「自身の内なる生々しい感情と自動思考にアクセス」するというのはどういうことなどだろうかと、深く考えさせられます。私自身は精神分析の専門家ではないのですが、分析家が治療の焦点の一つとしてきた防衛機制、なかでも抵抗、抑圧や否認などといった言葉で説明されてきたもののと違いはどこにあるのだろう、などとも思いました。
知りたかったら、ワークショップに参加してスーパービジョンを受けてね、ということでだと思いますので、機会を設けて学んでいきたいと思います。
専門性を高くすることには、少し矛盾を感じることもあります。
専門性が高まると、より意欲の高い患者が集まり、治療意欲の高い患者は治療を導入しやすく、効果も上がってますます、名声が高まっていくでしょう。そうすると、治療の難易度が高いような、治療そのものに対して拒絶的であったり治療者に対して攻撃的であったりする患者は、専門家が見ることはなくなっていくかもしれません。また、専門家として安泰な椅子は数が少ないと、競争になってしまい、新しく学ぼうとする人たちに対する教育の機会は減少し、あるいは高額となり、習得の難易度が上がって高額な費用が掛かかると、それは治療費に転嫁され、治療受けたい人を選ぶようになる・・・
このようなことを心配しています。
まとめ
認知行動療法はとても奥行きがあって幅広く、広義ととらえれば、適応に限界はないもののようです。保険収載されているような狭い適宜では、回数など構造化されたものですが、それでもかなりの労力を要求します。時間的な制限がある中では、限界があるように思います。
保険診療は、全体として金額を抑制する方向に働いており、新しい治療を導入するには、既存の治療と比べ、高い効果があるか、経済的な効率が良いかどちらかが必須です。CBTについては、既存の精神療法と比べて短期間でよくなる、終結が見えることが利点の一つと私は考えており、無制限に回数を重ねることは今後も難しいと思います。この意味で、認知行動療法には限界があると思います。
知的な問題がかかわるかどうかについては、私の中では、判断が難しくなりました。
代表的な技法である、認知再構成法では、自分の”こころ”の中で起こっていることを、言葉の連なりとして明文化し、状況と感情と”自動思考”を区別し、それらを操作して別の考え方を見出していくという作業が必要で、高度な言語的能力を要求しているように見えてしまいます。
一つ目の文献では、まさしく、知的な問題と認知療法の関連を直接テーマとして調べています。last authorは、近代CBTの開祖ともいえるアーロン・ベックです。この 研究では、序文で「理論家は、知能はCBTから受ける利益と正の相関があると推測しています」から始まっていて、結論としてはそれを否定する形になっています。この意味では、私の考えることはベックの時代の専門家と変わらず、否定されるべき古いものなのかもしれません。ただこの後この問題がよりエビデンスレベルの高い手法で研究されたことは少ないようでした。
わずかに知的な問題に言及していたのが二つ目の論文です。
この研究では、効果を予測する因子をRCTをもとに調べていて、慢性のうつ、年齢が高いこと、低い知能は、薬物療法と認知行動療法の両方に対して反応が悪くなる予測因子とし、結婚、失業、ライフイベントを多く経験していることをCBTの効果が高いことの予測因子としています。2009年の論文ですが、すでに10年以上前です。ざっくり調べただけですので、調べ切れていないかもしれません。
ほかのご指摘にもあったように、子供に対するCBTにも有効性が認められていることからすれば、知能は関係がないと考えても良いのかなと思いますし、子供の抱えている問題と大人の抱えている問題を一緒にしてもよいのだろうかとも思います。
私自身は、CBTをそのものの有効性あると思っていますし、実際知的な問題を問わず、認知行動療法的”アプローチ”をしばしば行っています。本当によくなる人では、初診時に少し余分に時間をかけて導入を図り、セルフトレーニングの本があると情報提供するだけで、次回にはよくなっていることも最近では非常によく経験します。
ツィッターは、知的な能力が高くない人に対するCBTが難しいか難しくないかで終始し、難しいと感じている私がどうしたらよいのかについてはわかりませんでした。これから勉強を続けていきたいと思っています。
でも、なんとなく、専門家の先生方もあたりが強いように感じてしまいました。
オタクの世界での、ガチ勢がライト層を駆逐すると、ジャンルが滅亡するという話をなんとなく思い出しています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?