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桃花の瞳に映るのは ガールバンドクライ#1-#3

桃花は駅前の壁面広告を見上げていた。広告には、ガーリーなユニフォーム的なステージ衣装を着たかつてのバンド仲間<ダイヤモンドダスト>。しかし、桃花の表情は何も映していない。怒りも悲しみも、ぶつけるはずの感情を見出すことができなかった。

アニメ的な表現では、無表情は怒りに分類される。この意味で桃花は無表情ではない。うっすらとほほ笑んでいるようにも見える。しかしそれは、本来あっていいはずの、怒りでも憎悪でもなく、嘲笑でもない。

第1話で桃花は、かつて自分が作った曲である、「空の箱」は翌日から歌えなくなると説明している。バンド脱退と残りの仲間のメジャーデビューにむけて、そういった権利を手放す契約を結んだのだろう。

かつての仲間たちのメジャーデビューは、上京してから自分が全力を傾けてきた、バンド活動の痕跡をすべて奪うものであったのであるなら、そこには、強い感情が生じていいはずである。桃花の表情は何を意味するのだろうか。

ガールズバンドクライは、毎回、”ロックとは何か?”を問いかけている。よくしられているように、各回のタイトルは、邦楽ロックのややマニアックな曲名がつけられている。そして声優を務めるトゲナシトゲアリのメンバーを選考したオーディションは「Girl’s Rock Audition」と銘打たれていた。

では、ロックとは何だろうか。
一話で示されたのは、やや古典的な意味での、「反体制」だろう。仁菜は高校を中退し、3年になる春に上京し、桃花に出会う。

”私は間違ってないのに、まるで私が悪いみたいな空気になって、それに負けたくなくて”
”負けちゃだめだって、私のテーマ曲です”

仁菜

詳細はまだ語られていないが、学校という体制の中で、異分子としてはじきだされそうになり、それでも自分を曲げずに、「負けたくなくて」地元から飛び出す。半ば逃げるような気持ちもあるのかもしれない。が、自分を曲げず、”負けたくない”という思いは、ロックだ。

第2話で語られるロックは、ひがみと嫉妬と自己嫌悪、孤独という「闇」である。しばしばロックは、社会の影を映し出す。普段表に出せないような、どろどろとした感情をあえてさらす、露悪的なふるまいをすることがある。その理由は、「嘘をつけないからだろ、弱いくせに自分を曲げるのは絶対嫌だからだろ」という桃花のセリフに現れる、一話で示されたロックと通底している。
嘘をつかず、ネガティブな感情をぶつけてしまうからこそ、バンド活動はしばしば苦しい。それでもなお集うのはなぜか。

第3話で語られるロックは、大勢の中にいても感じる孤独である。2話で登場したすばるは、いわゆる”陽キャ”である。初対面でも積極的に話題を振り、鍋のシーンでは、積極的に料理を取り分ける。相手の表情にも敏感に反応して、よく言えば気が気が利くし、悪く言えば顔色をうかがうことに敏感である。しかも、アクターズスクールに通う、女優の卵であり、美人の範疇にあるのだろう。このキャラは、学校一の美人で友達も多いという、仁菜がいじめられていた相手と重なり、実際容易に仁菜は反発してしまう。しかし、すばるも、大勢の親し気な友人に囲まれつつも、目指しているものがちがうことなどから、孤独を感じているように見える。
第3話で提出されるのは、一見すべてを持っているように見える陽キャにも孤独があるという事実である。私たちは、大勢に囲まれているとしても(孤立していなくても)孤独を感じてしまう。親しい知り合い、例えば家族の中にあってもしばしば孤独から逃れることができない。孤独はマイノリティーだけのものではなく、より普遍的な感情である。
さらに第3話のライブのシーンでは明示的にロックがしめされる。桃花は、鬱屈した感情のエネルギーをもっていることがロックであると宣言する。それは、第2話でしめされたロックでもある、感情を素直に開示するということ、率直さ、まっすぐであること、の前提条件であるかもしれない。

ロックが、鬱屈した感情もち、それを率直に表現することだとしたら、バンドを形成するのはなぜだろうか。孤独を抱えたそれぞれが、しばしば傷つけあいながらも、結びつく。バンドには文字通り束ねるという意味がある。仁菜、桃花、すばる、それぞれが抱えた孤独が、結び付けられることが、バンドの意味かもしれない。

さて、冒頭のシーンにもどろう。ロックの定義に従うなら、桃花はかつての仲間たちになにを重ねていたのだろうか。それがもし、怒りや嫉妬や復讐心であるならば、まさしくロックかもしれない。あるいは、お仕着せの衣装で仲間を縛る大人が作った体制への反発かもしれない。しかし、彼女の表情には何も映しこまれていない。

ここで私が思うのは、仮に、かつての仲間が偽りの偶像として祭り上げられるようにプロデュースされていく、アイドル的な売られ方に対する反発を、桃花らのキャラクターが感じるのだとしたら、それを演者としてのトゲナシトゲアリはどのようにとらえるのだろうか、という疑問である。
トゲナシトゲアリは、ガールズ・ロックバンドとしてアニメ放送の1年前から活動を開始し、小さなライブ、学園祭、対バンなどを経て、1000人収容のワンマンライブを成功させるという、バンドとしてサクセスストーリーを歩んでいる。アイドル的な、量産的な手法ではないものの、大人の手による演出が着実に絡んでいる。つまり、彼女たち自身が、劇中で批判されうる売られ方をされているとも考える。彼女たち自身は、どのようにこの構造を見るのだろうか。
彼女たちは本作品で声優デビューであり、劇中と同様のバンドを組んでいることからも、キャラクターと演者は、容易に重ね合せられる。ここに葛藤は生まれていないのだろうか。


先日、ラジオを聴いた。すでに素人とは思えないラジオ・パーソナリティぶりを発揮していた。アニメを語る口ぶりには、演技者・演奏者としてのプロフェッショナルな感想がある一方で、まるで軽音部の部室のノリのような、同好の趣味を持つもの通しの気安い交流があるようにも聴こえた。すこしほっとした。

今後、どのように物語が構成され、現実のバンドメンバーがどのように成長していくのか。期待している。



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