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ライターになる夢を諦めた、高校生の私が、精神科医を目指した理由

若いころの夢というのは誰にでもあるけれど、叶えるためには少しの運をつかむことが必要になる。

高校生の頃、ライターになりたかった。本当は小説家になりたかったけれど、ちょっと大ぶろしきを広げている感じがあって、とりあえず何か書き物をして、食べていけるのがかっこいいと思っていた。今思えばそれほど読書家というほどではないのだけれど、自分がどうも周囲の友人より本を読んでいることに気が付いて、特に勉強していないのになぜか国語の成績が良い、という、吹けば飛ぶような根拠を糧に、いつか読んでいる本の向こう側へ回ってみたいと思っていた。

今でも覚えているちょっとイタい思い出は、高校入学直後のホームルームで自己紹介をした時だ。「白鳥裕貴です、しゃべりすぎる床屋が嫌いです」などと話したのだ。お気づきだろうか。そう、村上春樹のノルウェイの森で主人公がピロートークで話すセリフだ。誰も気が付くわけもなく、当然すべった。思い出したくない、ホラーだ。

当時私の生家は、自営の小売業で、バブルのころは2店舗経営していてそれなりに順調だったようだけれど、それから世の中は冷え込んだ。親戚の会社がつぶれた、家を売るらしい、なんて話も聞こえていた。高校生の私の目には、はじけた泡沫のシミすら見つからない感じだった。両親は表立って苦境に耐えている様子はなかったけれど、景気は良くない雰囲気が自宅をなんとなく底冷えさせていた。高校受験に気を取られている間は気が付かなかったのかもしれないが、入学してしばらくした頃、冷気に気が付いた。

それで、とりあえず、物書きになりたいという夢は高校1年の夏休み前にはあきらめた。物書きにあるために何か努力していたわけではない。何も挑戦する前に、あきらめたのだ。貧困への恐怖が強かったのか。あるいは単に、「夢」と語るほど、ライターに、大した思い入れもなかったのかもしれない。


手に職をと考えて、医学部を目指すことにした。なんとなく、作家が多いから精神科医にでもなれればいいかと、思っていたかもしれない。

で、アホみたいに勉強した。うまいこと地元の大学の医学部に入った。

ところで、医学部に入っても、何科の医者になるか決めるのは、最近は大抵、医学部卒業後だ。特に今は初期研修医制度があって、卒後2年間は各科をローテートするのが義務だから、初期研修中に実際に仕事をしてみてから決めるという人が多い。ある程度決まっていても、感じ悪くならないように、研修先には言わないというだけかもしれない。

私が精神科医になろうと決めたのは大学2年の時だ。今思えばずいぶん早い。大学2年は、1997年である。とある講義がきっかけだった。

公衆衛生の講義、医療経済学だったと思う。うろ覚えもいいところだが、「疾病構造の転換」についてだった。あまり正式な用語でないから、人口転換に伴う公衆衛生上のの主題の変遷とかそんな話だ。経済的な発展の度合いが、人口構造の変化を引き起こす。人口構造の変化に伴って、公衆衛生上の主題となるような疾病も変化する。

たとえば人口構造が多産多死の発展途上国では、乳幼児の死亡率が高く、疾病としては感染症(マラリア、コレラ、赤痢など、当時はHIVはメジャーな問題じゃなっかったっ気がする)が問題となる。

経済が少し拡大し、抗生剤がある程度普及し、インフラが整って衛生状態が改善すれば、乳幼児の死亡率が次第に下がる。多産少死となって、平均寿命が延びる。そうすると、癌など悪性新生物が問題となる。癌は克服されたとはいえないかもしれないが、早期発見・早期治療の二次予防、健康診断が普及すると癌の死亡率は、下がる。

経済が拡大し、健診が普及して、癌が減り、裕福に暮らす人が増えると、生活習慣病が問題になる。

私が大学2年、1997年頃の日本が、この生活習慣病対策の段階だった。調べてみると、それまで成人病と呼ばれていた、糖尿病、高血圧、高脂血症を、生活習慣病という名前に変え、”健康日本21”がスタートしたのが前年の1996年だったらしい。まだ始まったばかりで、当時は生活習慣病が、日本で最もホットな疾病だった。

この辺りが講義の本筋で、私が最も興味を引いたのが、余談として語られていたことだ。

日本の疾病転換は、欧米の10から20年遅れで進んでいて、当時、最先端は北欧。北欧で今問題になっているのは精神疾患だと、チラリと語られたのだ。

当時思ったのは、大学2年の私が6年間の医学部を終えて、医師になり、10年くらい修行して1人前になるとすると、あと15年。精神科を選んでおけば、15年後くらいには、そのフィールドが公衆衛生の課題になって、税金が投入されるから、くいっぱぐれることがないはず。

私は今では就職氷河期と呼ばれる世代だ。不況の波が引いてゆくのはもう少し先だったから、やはり貧困への不安が確実にあったのだ。

それで、なんやかんやで精神科医になって、しばらくたつ。周りを見渡せば、別に精神科でなくても生業に困ることはなさそうだから、トンチンカンな進路選択だったかもしれない。ただ、2007年に自殺対策大綱が策定され、2011年に五大疾病に精神疾患が加わり、精神疾患に対する関心や重要性が増してきたことからは、予想が当たったといえるだろう。

ところで、大学2年の時、公衆衛生の授業で扱われていた、北欧の精神疾患とは、なんだったのか。大学院にいる間に機会があって調べたところでは、恐らく、先生はゴットランド島の研究について言っていたのだろう。スウェーデンにある島で、1983年から84年、一般開業医に対して、うつ病診療の研修を行ったところ翌年の自殺率が低下した、という研究である。ゴットランド研究が出版されたのが1992年だから、時代的にはこの研究のことだったのだろう。

私自身は、大学院では、自殺対策にかかわる研究をして卒業した。大学2年の時に聴いた講義で専門を決めて、その時ちらっと触れられたトピックと同じ分野の研究をして大学院を出た。なかなかの偶然と思う。

ちなみに大学院は社会人コースで、在学中は、公立病院のいわゆる精神科スーパー救急病棟に勤務して自殺対策をした。そこでの経験を書いて、本を出版したのだから、私は高校生の頃の夢をかなえたともいえる。

こういう偶然のつながりを縁というのだろう。

ここまで読んでいただいた方と、私も、何かの縁があるのでしょうから、少し宣伝をして終わります。

キンドル版もあります。

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