こっちの水は苦い。
抗がん剤でやっつけたがん細胞が体から出て行くよう、沢山水を飲んでトイレ行ってめぐりを良くするといいとのことで、いろはすの段ボール3箱を病室の壁に積んでこまめに飲んだ。
いま自分でできることといえば水を飲むこと。助かる可能性が少しでも上がるなら何でもしたい。すがる思いでガブガブ飲んだ。もちろん、可能性上がるなんてものではないのだけど。
そのうち水が苦く感じられ飲みづらくなった。味覚障害が出てきたのだ。水を緑茶やスポーツドリンクに変えると飲みやすくなった。
沢山飲むから夜中に何度も起きて点滴棒引きながらトイレへ。そのたびまたお茶飲んで寝る。また起きる。
毎クール、この味覚の変化を繰り返すたびに童謡のホタルの一節が浮かんだ。子どものころ、家にあった童謡のカセットテープでよく聞いた。
あの頃も「こっちの水は甘いぞ」とか「苦いぞ」と誘う詞に、幼子の賢しさと何とも言えぬ暗がりを感じてた。ホタルが舞う空間の暗さではなく、異世界に引き込まれどうな気配の仄暗さ。
私がいま口にする苦い水は、あの世の風味。あの世フレーバー。でも飲んでやるさと、ペットボトルの黄緑のキャップをひねる。
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