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喧嘩しても何しても母娘二人でいるほうが幸せ

我が家でとっている新聞は某全国紙である。
この新聞には、毎日読者からの相談とそれに対する識者からの回答が掲載されている、いわゆる人生相談欄がある。
実家ではもともと地方紙を購読していたのだが、
私が以前の家でこの新聞をとっていて、この人生相談を読むのが好きだったこともあり、契約更新時に母に頼んで変更してもらったのだ。
そのせいで、その後、地方紙の契約担当者が昼となく夜となくしつこく押しかけて来て大変な思いをしたのだが。
それはまた別のお話。

最初の頃は、地元の詳しいニュース(特にお悔み欄。年寄りはこの欄をとても頼りにしているのがわかった)がわからないとぶつぶつこぼしていた母だったが、母も母で、結構この人生相談欄を楽しみにしているらしく、また、記事の充実さからも次の更新時にも地方紙に戻ることなく継続してくれた。

「今日の人生相談、読んだ?」
「今日の人生相談を読んで、どう思った?」
と、夕食をとりながら、あるいは終わって一息ついた頃に何となく話題に出すのが私が帰宅してからの習慣となっている。
いつの頃かは覚えていない。
些細なことだけど、人に相談するくらい悩んでいるんだね。
今日の回答は的外れだよね。
などなど。
感想はその日によってさまざまではある。

この相談。
日々読んでいると人の数だけ人生があることを思い知る。
なかでも一番多い相談が「人間関係」のようだ。
若い世代の相談は、友人との付き合い方、自分と親兄弟との付き合い方についてのものがやっぱり多い。
年齢が上がるにつれ、職場での悩み、夫や妻、自分の子供との関係性、老いて来る親や子との関係性など、次第に重い内容が多くなってくる。
そして、ここ最近は
「子供が結婚しない」
という老いた親からの相談も目立つようになってきた。
やはり親というものは子供に人生の伴侶がいないというのはそんなにも気になるものなのか。
子供が結婚していなくても、充実した日々を送っているのなら別にいいじゃないか、というのは、子供のわがままなのだろうか。
まあ、結婚に結びつくような機会に恵まれなくて年を重ねている親からの相談が圧倒的に多いような気もするが。

このような私にとって「耳が痛い」相談であるが、「子供が未婚」問題の相談を読んだ母がどう思っているのか、ずっと気になっていた。
なんとなくこちらからは聞きづらく、放置していただけなのだが。

ある日の相談はまさに
「一人っ子の子供に出会いがなく、独身のまま年齢だけ重ねてしまった」
「今後、親も亡くなったらどうするつもりなのだろう」
というものであった。
識者の回答についてはよく覚えていない。
思い出せるのは
「お母さん、親ってそんなに結婚してほしいもの?」
「私にも結婚してほしい?(正しくは再婚であるが)」
と私が聞いたことだ。
母はしばし考えていたが、
「あなたの結婚は決して幸せだったとは言えないのではないか。
 自分自身の結婚も似たようなものである。
 であるからして、結婚しろ、結婚した方が幸せと言うつもりもない。」
というような事を言った。

そしてそのあと、
「喧嘩しても何しても、母娘二人で暮らしたほうが幸せよ!」
と言ってくれたのだ。
ずっと後ろめたいような、居心地が悪いような気持ちで暮らしていた気持ちがないわけではなかった私にはとても嬉しかった。
将来が心配じゃないわけではないと思う。
それでも、家から出た子供が幸せではない日々を送るほうがよっぽど心配だっただろうな、と今はわかる。
それだって、私は辛くても母に言ったことはなかったから、
母が知ることになったのは私が実家に戻ってからのことではあるが。

母の妹(つまり、私にとっての叔母)が、
四十歳を過ぎて一度結婚したが、出戻って家にいた長女(私の従姉になる人物)のことを
「戻ってきちゃって。早く(次の)結婚して出て行ってほしい」
と言っていたのとは大違いだ。

この先、母と一緒にいられるのも人生カウントダウン状態だ。
それも、心身ともに元気で何でも言い合える母と一緒にいられる時間に限っては。
人生の良き伴侶を得た私を見せてあげられる希望がないことについては
本当に申し訳のないことだ。
それでも、一人っ子の私が大好きな母と一緒にいることができる時間を、
運命からプレゼントされたと思っている。
当たり前の日常を過ごしていると、
同じような毎日がずっと続くような気がしてしまうけれど、
ふと気が付いた時にでも、その瞬間を大事に思える人間でありたいと思う。



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