見出し画像

水中・海事文化遺産 その1 (北海道)

さて、上の写真。海上保安庁の海洋状況表示システム(海しる)を使い、沈没船と海底障害物の位置を表示しました。沈没船の多くは、1910年頃よりも後のモノだと思います。海底障害物には岩礁・人工漁礁、そして、不明---つまりは、昔の沈没船の可能性もありますね。

海しるはこちら

画像20

日本全国の水中・海事文化遺産を見ていきます。全国網羅を予定しており、自分の中で時間制限を決めてリサーチしています。つまり、未完成の研究成果報告。とりあえず、最初は北の大地北海道から。

北海道...実は日本の水中遺跡保護に関しては先駆的な役割を果たしました。また、海に関する遺産、土木建築系の遺産もたくさん残されています。アイヌの歴史はまだまだ研究することがたくさんあります。中世の道南地方にも湊から港への変遷なども解明されていない部分が多いですね。

最初に水中遺跡を見ていきます。そのあと、船・舟関連の遺物出土遺跡、土木関連遺産、そして、文献史料。まだまだ勉強途中ですので、多くの情報が抜けているかと思います。海事文化遺産・土木・建築遺産。特に、近現代・明治以降の港の石積み、灯台などは、あまり調べ切れていません。専門は、考古学なので...ちょっと疎いです。まあ、こんな感じで全国を見ていきます。


画像7

北海道の水中遺跡と言えば、江戸幕府の軍艦開陽丸の調査。江戸幕府がオランダから購入した軍艦ですが、戊辰戦争の際に榎本武揚が奪い北海道へ向かいます。しかし、活躍する機会もほとんどなく、江差の港近くに停泊中、冬の嵐で沈没してしまいました。堤防拡張工事の際に改めて遺物が確認され、昭和50年代を中心に調査が行われています。遺物の保存処理は、江差の高校の協力をうけて実施されました。現在は、開陽丸展示館で見ることができます。開陽丸の復元模型の船内がそのまま展示館となっています。江差の港に鎮座する帆船が目印。

画像13

画像14

こちら、開陽丸展示館ー船の中が博物館になってます!入ると感動。


江差の調査の後、隣町の上ノ国漁港で改修工事が行われた際に大量の遺物が発見され、水中遺跡調査が実施されています。江戸時代、肥前から日本海を渡ってもたらされたもののようです。

画像16

上ノ国漁港遺跡の位置。中世の館や湊の位置など気になります。

画像15

漁港に行ってきました!この場所に遺跡がある…

また、森桟橋は明治初期の桟橋。陸から海にかけて杭が残っており、調査が実施されています。明治天皇も使用したとして、史跡にも登録されています。


最近では、東京海洋大学とオランダ政府が共同で咸臨丸を探すプロジェクトを行なったり、北海道開拓使船、昌平丸の調査も行われています。この船は、薩摩の島津斉彬が作らせた西洋式木造軍艦です。ペリー来航に先立ち計画されていることは、一つ注目に値します。琉球との交易に使用する船という名目で作っています。どちらもまだ発見されていません。咸臨丸はそろそろ発見なるか?咸臨丸は、遣米使節団の船であり、福沢諭吉さんも乗っていました。

他の遺跡ざっとリストアップ

画像1

〇釧路沖旧石器発見地~尖頭器を釧路沖で発見しているようです。

〇厚沢部川河口遺跡~昭和40年代に地元高校生などが調査。擦文中期の土器が出土。河口の場所が変化したため、位置を特定できないとか…

〇大沼湖岸遺跡~水位が低下すると遺物が見られる。これまで正式な調査・登録はないのかな? 個人的に調査中。

〇コムケ湖岸遺跡~縄文早期の包含層らしいです。

〇網走湖底遺跡~1960年代に調査が行われています!

〇松前町海岸採集品~松前海岸で、大量の遺物が収集された。肥前系陶磁器などが多いそうです。何か沖にありそうですね。

〇野付通行屋跡・番屋跡遺跡~幕府が設置した野付通行屋跡。発掘調査は行っていないみたいです。満潮時に一部水没する。

〇北前船遺跡~昭和20年代にダイバーによって北前船と思われる船体が7隻(?)発見されているとの報告あり。調査が実施されるも未発見。個人的に、もっと詳しく調べてみたい…。

〇朝陽丸~幕府軍艦。一部引き揚げ遺物が凾館市博物館に展示。発掘場所は埋められており、フェリー乗り場となっているとか。

〇あさり浜花崗岩~周辺に花崗岩が産出する場所がないのに、花崗岩の礫が多く散布している。沈没船から流出したものか?

さて、シブノツナイ湖底東遺跡をはじめ、他の遺跡もリストアップされていますが…。現在、調査中です。あ、調査中・不明というのは、個人的に調べているところ…という意味です。おそらく、情報はどっかにあり、簡単に見つかるでしょうが、私の時間的制約があり調べていません。

北海道は情報量多いですね。出展など気になる方はお知らせください。

水中遺跡のまとめ

北海道の大きさや自然・歴史環境などを考慮し、また、世界的な水中遺跡の統計からみると、道内には数百件の水中遺跡があるのが普通でしょう。しかし、今のところ、30件あるかないか...。それでも、他県と比べると水中遺跡への関心も高く、水中遺跡を守っていこうという風潮があります。今後、調査体制が整備されれば、注目しておいて間違いない地域ですね。


画像10

船材などが出土した遺跡

ここではすべては示していませんが、低湿地帯や河口、湖など水域の調査はいくつも実施されており、アイヌの舟や湊の施設なども発掘されているようです。アイヌは縫合船(舷側板・外板を結びつける船のつくり方)が有名です。ヴァイキング船や北米のイヌイトの船などもそうですが、実は古代ギリシャにも縫合船があったり、また、アラブのダウ船などもそうですね。世界の船とアイヌの船、比較研究をしたら面白そうですね。北海道は、丸木舟の出土数が滋賀県・千葉県に及ばずとも、多いです。時々、海岸でもひょっこり顔を出すことがあるそうです。

画像2

画像4

北海道埋蔵文化財センター調査報告書176  ユカンボシC15遺跡(5)

舟・船の民族事例などど合わせて研究してみたい…。


画像8

海事(土木)遺産

こちらは、主にリンクでご紹介。土木・建築関連の文化遺産は、リストアップを始めると、どこまで含んでよいものか...悩みます。灯台や明治期の護岸が残されている場所、たくさんあります。市町村単位で見ていくのが理想ですね。他県も同じように見ていく予定ですが、アプローチを変えないと、手に負えなさそうです。

〇北前船の係船跡 (江差)

船を止めるために杭を立てますが、その穴が残っている場所が結構あります。各地に残されており、地元の人も知らない場合が多いです。磯釣りで、丸い穴を見かけた人、いませんか?ちょうど手を洗うのに良い穴があるな…と思った人、いるはずです。

画像19

こちら、考古学的には、岩礁ピットと呼ばれています。こちらのピットは、江差ではありません。北海道某所。おそらく漁船など小さな船を泊めるために、このような穴が日本各地にあったのでしょう。また、大きな岩などにひもで括って泊めていた場所もあります。花ぐり岩とか、場所によってはいろいろな名前で呼ばれていることがあります。

〇チャシ跡 

画像11

チャシ…。正直、数年前にちょっと調べるまでは、遠見番所のようなものかと思っていました。そのような性格もありますが、城や砦にもにているようです。自然地形を巧く利用・残しています。半島など海が見渡せる場所に、作られていることが多いようです。う~ん、もっと調べたい。陸と海の接点の遺跡。海事文化の遺跡。

〇ニシン漁関連遺産などなど。

伝統漁に関する遺跡・遺構など残っていると思いますが、調べるのは今後の課題です。

〇その他土木遺産

湊・港周辺の石積み、護岸堤、荷揚げ場所、灯台、いろいろあります。これも今後の課題です。

〇トーチカなど戦争遺跡

戦争遺跡に関しては、多くの資料があります。Wikipediaなどのリストがあります。このニュースの写真が印象的ですのでシェアします。

画像12

ニュース記事はこちら


画像9

北海道の海難記録ー外国船

結構あります。九博・文化庁の史料だと海難記録178件のうち、外国の船は20件ほど。ロシアが多いです。19世紀から資料が増えます。おそらく、記録に残っていない漂流・沈没事故はたくさんあったことでしょう。九博・文化庁の史料は、市町村史に残っているものだけをまとめたデータです。船籍不明な海難が60件近くあります。

画像3

個人的に面白いのは、ラナルド・マクドナルドさんの「漂着」。某ファースト・フード店とは無関係。英領カナダで現地の部族長の娘とイギリス人の間に生まれています。自分の(母親の)ルーツは日本にあると信じ、日本行きを決意します。捕鯨船プリマス号で雇われていましたが、離脱、小型ボート転覆させ漂流を装います。アイヌの人々と10日ほど暮らした後、捉えられ長崎に送られます。そこで、言語の 才能を見出されれ英語教師として活躍します。日本初の英語教師ですね。ペリーの通訳を務めた森山栄之助さんも彼から英語を学びました。彼のボートがあったら…。現実的には難しいですね。

厚岸のイーモント号も個人的に注目しています。オーストラリア(英領)の船ですね。オーストラリアでは、日本と初めての交流を記念する船として知られています。日本ではあまり知られていないですが、本国オーストラリアでは、それなりに有名です。そして、なんと、船体が発見され引き揚げられています!厚岸町海事記念館で見ることができます。特に保存処理をしていないとのことですが、保存状況は悪くないようです。遺物もいくつか引き揚げられています。考古学的な調査ではなかったそうです。まだ、海底に遺物が残されている可能性もあるとか…。船体の記録を取る作業など実際に研究を進めていける良い資料だと考えています。

画像13

次に国内船の記録

画像6

15世紀ごろからちょくちょく記録が出てきます。択捉、奥尻などが多いですね。19世紀も離島の記録が目立ちます。函館周辺から松前を過ぎて江差あたりまでの記録が多い。ここでも示していますが、太平洋側で南の方で船の故障などで漂流した船が半年ほど経って北海道に漂着するケースが見られます。

どうして何か月も漂流するの?と思われるでしょう。どうも和船は舵が壊れやすい傾向にあるようで、また、荒らしなどに遭うと帆柱を切り倒すことが多かったようです。風にあおられて転覆するのを防ぐためなのですが…舵もなく、帆もない船にコントロールする術はほとんどありません。このような漂流船が運よく北海道に漂着すればよいのですが…実は、外国船が和船の漂流船を見かけることが記録されています。舵・帆がない船が多いのを不思議に思っていたようです。

幕末~開拓期の船たち。

開陽丸、咸臨丸、昌平丸など。幕末の軍艦ガイドなどもあります。

開陽丸、咸臨丸は上で紹介していますね。“日本で最初に建造が着工された洋式軍艦”である昌平丸(昇平丸)も北海道上ノ国で座礁しています。この船は、「日の丸」を初めて掲げた船だとい説もありますが、定かではありません。昇平丸を探すプロジェクトが行われていますが、見つけたいものです。


まとめ

というわけで...北海道をざっと見てみました。これから他県も見ていきます。最初ということもあり、ちょっと乱雑かもしれません。他県では、データの探し方、見せ方、書き方などを勉強していきたいと思っていますので、末永く宜しくお願いいたします。一度、落ち着いたら北海道は追記・書き直しも考えています。

都道府県の海事・水中文化遺産リストの他、別の記事も時々アップデートする予定です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?