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水中考古用語集 え

え~  どうしよう。 やっぱり、エルトゥールル号しかないだろう。ほか、「塩素」とかにして脱塩処理・保存処理も考えたのですが…。

ご存じの方も多いであろう。1890年、和歌山県串本町沖で嵐に遭い、座礁、海水がボイラー内に入り大爆発・沈没したトルコ軍艦。日本とトルコの友情のきっかけとなった船だ。トルコの使節団を乗せた船で、明治天皇謁見後、横浜を出港した後の出来事。


数百名の死傷者を出したが、串本・大島のジュ民が懸命の介護を行った。沈没後の窃盗などもなく、また、義援金も多く集められた。日本人の助け合いの心を見たトルコの人々は感動し、今でも続く親日国になったと言われている。

2000年代後半、トルコの水中考古学者を中心としたメンバーでこの船の調査が行われました。まあ、私もかかわっていたんですよね。懐かしい。探査機器を使用して周辺海域のデータを集めましたが、まあ、相当な爆発だったのか、ボイラーなど木っ端みじんになっていたようです。潜水調査でも遺物が広い範囲に散らばっているのが分かりました。

この調査、どちらかと言えば日本とトルコの親睦を深める意味が大きかった。日本でもエルトゥールル号が広く知られるきっかけとなりました。トルコでは、もともと有名なお話だそうです。


数千点の遺物が引き上げられ、現地の串本で保存処理が進められています。

この調査には、水中考古学の父ジョージ・バス先生、あのピカソと並ぶ画家アンリ・マチスの孫にあたるクロード・デュテュイ氏も参加していました。クロードさんは、スキューバを開発したクストー氏の右腕ダイバーだったとか…。海のコンディションが悪く潜水できなかった日、皆さんを熊野古道に案内しました。個人的にとても良い思い出として記憶に残っています。残念ながら、おふたりとも数年前に他界されてしまいました…。


お弁当を食べるバス先生!

調査団長を務めたトゥファン氏の奥さんであるベルタさんは保存処理を担当していました。彼女はとても明るく積極的に日本のみんなと交流を進めていましたが…若くして難病になり…悲しくも、もう会うことができません。

数年前、トルコ・日本合作映画『海難1890』が話題となりました

ネタバレ注意!

この映画、海の撮影は串本近辺で潜るダイバーの方の協力を得て作成されたとか。発掘の調査に係っていたプロのカメラマンさんです。監督は引き揚げられた遺物なども実際に見ています。香水の瓶がちょっとした映画のアクセントになっていましたね。実は、香水瓶は発掘調査で発見されています。基本は男ばかりの船内で香水瓶があったのはなぜか…。発掘チーム内でもちょっぴり話題になっていました。

あと、この映画は、イラン・イラク戦争時のエピソードも絡めています。有名な話ですが、イラクはイランに攻撃を告知、24時間後に航空機など含めて攻撃を開始すると…。その時イランにいた外国人は一斉に国外脱出をはかりますが、日本は航空機を派遣できず、日本人の多くがテヘラン空港に取り残されてしまうところ…1台のトルコ航空機が日本人救出に現れます。そのおかげで時間ギリギリに日本人は脱出することができました。トルコが日本人を救出した理由?それは、「エルトゥールル号事件の恩返し」だそうです。困ったときに助けてくれたのだから、日本が困っているときに助けるのは当たり前だと。


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