その街には人がみえない。どこかには、いるのだろうか。少し進んでいくと、小さな坂があって、その脇の家の子供が、一人で縄跳びで遊んでいる。空は青く、家々の間から覗いている。風景がぼやけてきて、今は近くの学校の緑のフェンスが、少しみえる。

近くに書道の先生の家があったが、どうも1、2回通っただけでやめてしまったようだ。どうも母親は、息子の字が下手だったらどうしようと、だいぶ早くから心配していたようだ。しかし、本人の字もそんなに上手ではなさそうなので、それは子供の問題ではなく、何か自分自身にこだわりがあったのであろう。子供の方は、そんなことは知ったことではないし、付き合う必要もないのである。
その書道の先生の家にも子供がいて、鬼太郎の笛の、武器にもなるあの笛のオモチャを持っていて、それがとても魅力的にみえた。その子のことは、全く覚えていないのだが。
ある道を突き当たると、家に囲まれてはいるが、広場のようになっている所があって、子供たちは群れると良くそこで遊んでいた。壁にボールを蹴って、跳ね返ってきたボールをまた蹴る、のような遊びをしていたと思うが、この高い壁をボールが飛び越えてしまうことが、良くあった。登りづらい壁であったので、こうなったときは随分と遠回りをして、この家の正面から中に入れてもらわなければならなかったが、こういうときは、誰となくその役割を買って出る子が、いたものだった。また、この広場に面している家の一つに、英語の先生が住んでる家があって、外からみえる庭は、洋風に設えてあった。後に、外国に初めていくことになった際、何故かこの英語の先生に教わりにいくことになったのだが、大量のプリントを渡された気がするが、それが何か役に立ったようなこともなかったようで、言葉などは、現地で実際に使いながら覚えていくのが、良いようである。


その時の乗り換えがあったコペンハーゲンの空港は、建物に木が使われていて、空港にしては、落ち着いた雰囲気であった。ドイツに入国の際、入国理由を聞かれて、サイトシーイング、などと言ったのかもしれないが、チェロを持っていて、観光が入国理由なるようにも思えないが、あるいは他のことを言ったのかもしれない。なんの問題もなく入国することができた。ドイツで滞在していたチェロの先生の家は、トゥッティングという湖の近くにあり、そのほとりを、毎日散歩していた。土は黒っぽく、湖もなんだか黒く縁取られているようだった。南ドイツではあったが、それでも空は重々しかった。
ある小さな古い田舎町にも滞在したが、日中は本当に人っ子一人いない、静かなところであったが、ある時、ホットドッグの移動式屋台がやって来て、その時だけ、子供たちが何処からか出現するのだった。


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