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プロレス:『学生プロレス-入門編-』

大学に入学してから何日目の事だったのか正確には覚えていない。
ハッキリ覚えているのは、明確に行く先を決めてその場所に一目散に向かっていた事。

大学で行われたオリエンテーション。
配布された冊子には、様々な部活やサークルの紹介文と、どこに行けばそこに所属する人達から直接説明を聞けるのかの地図が記載されていた。
俺にとっては、どの授業を取るのかはハッキリ言ってどうでもよかった。
この大学に来たのはたった一つの目的があったから。
それ以外は本当にどうでもよかった。
俺は、その冊子を見ながら「色んな部活とかサークルがあるんだなあ」なんて事を思いつつも、たった一つのサークルがどこにあるのかだけを探していた。

そのサークルは、様々なサークルが勧誘を行っている一角に、ひっそりと机を出していた。


そこにいたのは数人の、どう贔屓目に見ても“華の大学生”という風貌とは縁遠そうな、お世辞にもカッコいいとは言い難い、むさ苦しい男が数人座って、俺より前に話を聞きに来ていた新入生と思しき2人組の学生に対して、一生懸命勧誘をしていた。
むさ苦しい、いかにもな男子大学生数人の先輩達と、新入生然とした2人組。そして、順番を待つ、俺。

少し離れたブースでは、所謂“チャラい”サークルが男女の先輩達が入り乱れて新入生の男女に声をかけまくって、勧誘を行っている。
そのサークルに所属していると思しき男女の学生たちは、みんなおそろいのスタジャンを着ている。どうやら、あのサークルのオリジナルのデザインらしい。ブースの机には、サークル名の入った横断幕のようなモノや、かわいらしいぬいぐるみが置いてあったり、とにかく華やかだ。どうやら、この大学に通う学生ならほとんどが知っている、チャラくて有名な大規模サークルだ。スタジャン以外に身に付けている物は、まるでファッション誌から抜け出してきたような流行の物をしっかり身に付けている男女ばかりだ。髪の毛の色も様々に明るくて、THE“華の大学生”と言った風情の男女がたくさんいる。その当時は、こんな言葉はなかったけど、今の時代で言う“イケてる”人達が揃っている。女子学生も当然みんな可愛く見えるのだ。これぞ、大学サークルと言ったところか。

かたや、俺が順番を待っているブースには、これと言った装飾もされていない。紙に手書きでサークル名が書いてあり、ただそれを置いてあるだけ。
机の上には、このサークルに所属する人間の愛読誌であろう週刊誌と、新入生の名前を記入するための名簿替わりの大学ノートが置いてあるだけ。

俺に気づいた一人の男子学生(もちろん上級生である先輩)が話しかけてきた。


「君、プロレス好きなの?」
もっさりした風貌には似つかわしくないような弾けんばかりの笑顔で声をかけてきた。

家族と友人以外の人間と話をするのが極端に苦手だった俺は、
「はい。プロレスやりたいんです」そう答えたのを覚えている。
もちろん、この時の発声は、この文字の様にスッキリと言えたわけじゃない。正確に文字に起こすなら、

「はははい、プププロレスややりたいんですう」

こんなありさまだったのもハッキリ覚えている。

大学に入学したという事は、当然だけど『入試』というものを受けたという事になる。
勉強が苦手で、やらなければ大学に入学する事ができない受験勉強ですら全然できるようにならなかった。というより、勉強に集中するという事ができなかった。いや、今思えば受験勉強のやり方がわからなかったというのが正しかったんだと思う。俺は、受験勉強の成績が良くなかった。
5教科の中で比較的得意な科目を3つ選び、その科目で受験できる大学を探した。3教科で受験できる大学は比較的多かったのが俺にとってはラッキーだった。その3教科だけを勉強していたが、3教科中一番不得意な英語は、模試の点数が常に平均よりかなり下だったのは覚えている。そんな俺でも、なんとかこの大学に入る事はできた。というより、受験したいくつかの大学の中で合格したのはこの大学だけだった。後から考えると、自分の実力よりも上の大学を受験していたというだけの話だったが、その当時の俺はそんな事にすら思い至らなかった。“受験生”からしたら当たり前に知っていないといけない情報を、俺は全く知らなかった。なにしろ「大学は学問を学ぶ場所」そんな当たり前の事すらも俺は考えていなかった。俺が考えていたのはたった一つの事だけ。そのたった一つの事だけを基準にして受験する大学を決めていった。

「大学に入ってプロレスをやる」

ただのこれだけだ。

受験生なのに大学受験の事すら知らない俺が、いつどこで知ったのか今となっては覚えていないけど、大学の中には『学生プロレス』というものをやっているサークルがあって、そのサークルがある大学はそんなに多くは無いという事だけを知っていた。その情報を元に、インターネットがまだ無かったあの時代に、どうにかこうにか『学生プロレス』ができる大学を調べて受験する学校を選んでいった。「大学に入ったらプロレスをやる」これだけが、俺が大学に行く理由だった。

これを書いている2018年のこの時代は、プロレスは広く知られていて昔よりもプロレスを“やる”という事に対しての敷居が低くなっている。今では、アイドルが簡単に(厳密に言うと簡単にではないと思うけど)プロレスラーを名乗れる時代だ。俺の回想の舞台である1990年代と比べると格段の違いだ。プロレス団体だけでなく、格闘技道場も其処彼処にあり、あの頃は雑誌を見て形を覚えるしかなかったような技すらも、いや、それよりも遥かに高度な関節技も道場に通いさえすれば教えてもらう事ができるし、都会に行けばプロレスそのものを教えてくれる場所もある。プロレス団体がプロレス教室を主宰している事もあるくらいだ。素人がプロレスを“やる”という事の敷居が非常に低くなっている。

しかし、あの頃、1990年代はまだまだプロレスに幻想があった時代だ。
「プロレスラーは死ぬほど厳しいトレーニングを日々行っている」
「プロレスラーの肉体は超人的に鍛え上げられてるからどんな大技を喰らっても大丈夫」
「プロレスラーはどんな衝撃も受け身で逃がすことができる」
そんな様々な伝説めいた話を俺は信じていた。
いや、もちろん、今も信じている。
だけど、あの頃無条件で信じていたように信じているわけではない。
自分が、身をもって経験した様々な体験と比べて、「やっぱりプロレスラーは凄い」という事が身をもって分かったうえで、信じている。

そんな風に、“プロレスの神秘性“を真正面から受け取っている俺は、自分がプロレスラーにはなれないという事を高校生の頃には既に認識していた。何しろ、入門テストの要件である身長制限に遥かに届かない身長だったから。もうそれだけで「俺はプロレスラーにはなれない」と決めてかかっていた。今から考えると努力次第では恐らく不可能ではなかったのかもしれないけど、どっちにしろ、身長制限で「無理」と決めてかかる俺のような人間には到底なれるはずのない存在だったという事だ。

だけど、
「プロレスラーにはなれないけど、プロレスをやりたい」
この気持ちはどうにもできなかった。
だから、素人でもできるプロレスである『学生プロレス』をやろうと思い立った。その為だったら苦手な受験勉強もとりあえず何とかやる事にした。
もちろん、そんなモチベーションなのでやれどもやれども身にはつかず、挙句、受かった大学はたった一つという結果だった。でも、それで良かった。それが良かった。あの時のこの結果があったからこそ、今の俺に繋がっている事が分かる。もちろん、この当時の俺にはそんな事は分からない。大学に合格したのを知った時には、「これでプロレスができる」それしか考えていなかった。

「プロレスをやりたい」


こんな願望が俺に生まれたのはいつだったのか。俺は、中学生の頃にプロレスファンになってからずっとプロレスファンであり続けた。高校生の頃は、格闘技ファン色の方が強かったが、いわゆるU系プロレスもずっと追っていた。雑誌で言えば、“格闘技通信”をこよなく愛し“週刊プロレス”は必ず読む、そんな、ある意味当時のプロレスファンの主流派だったと言えるんじゃないだろうか。もちろん、格闘技ファンではあるが、プロレスへのリスペクトを忘れた事は無い。“ストリートファイター2”をやる時にはザンギエフを使い、“バーチャファイター”をやる時にはウルフを使う事は忘れない。どんなに出しにくい技が使いこなせなくても、何度負けても、“プロレスラーは強い“それだけを胸にいつも闘っていた事を今でも思い出す。

そんなプロレスファンの俺が、自分でもプロレスをやりたいと思ったきっかけは、やっぱり『長谷川咲恵』の試合と『最狂 超プロレスファン列伝』の存在が大きい。

「あの人みたいに、心から楽しめる事がやりたい」
多分そんな事を思ったのがきっかけだったんだと思う。


「あの人達みたいに、心から好きな事に没頭したい」
多分そんな事を思ったのがきっかけだったんだと思う。


そのどちらもが、俺の心に強く深くずっと突き刺さっていたんだと思う。
そして、あの日、俺を一目散にあのブースに向かわせたんだと思う。
プロレスをやりたかったという話をする時に、後付けの理由として俺がよく言うのは、「プロレスだけが唯一“やる”事を前提にした競技じゃない」というモノだ。プロレス以外の例えば格闘技はそのほとんどが“習う”事が可能だ。空手・柔道・合気道・ボクシング・レスリング・サンボなどなど、そのどれもが習う事ができるモノばかりだ。だけど、唯一“プロレス”だけが習う事を前提としていない。プロレスだけは“観る”事を前提としているのだ。だから、せめて超人じゃない一般人がプロレスを“やる”事が可能な場所である『学生プロレス』をやってみたかったんだ。そんな話をする事がある。これはこれで説得力があるので、恐らく、当時の俺の中にも言葉にはならないながらも“存在していた”話なんだと思うけど、だけどやっぱり一番は上に書いたように、“あの人”と“あの人達”が心に残っていたからなんだと思う。

「プロレスをやりたい」
ただそれだけで受験をした。
ただそれだけで大学を選んだ。
ただそれだけでサークルを選んだ。
ただそれだけでこの先の4年間の過ごし方を決定した。

高校時代、毎日「行きたくない」と思いながら高校に通っていた自分にとって、「これがやりたい」と強く思うようなモノはこれまで何も無かった。だけど、そんな鬱屈した俺の気持ちが人生で初めてと言っていいほどに強く向いたのがプロレスへの想いだった。

本当に、これだけで良かった。

1990年代中盤4月某日。
かねてからの念願が叶った。
“学生プロレスをやる”サークルである、『プロレス研究会』(通称:プロ研)に入会を決めたこの瞬間から、俺の大学生活が始まった。

そして、これまでの人生で、全く出会う機会の無かった人達、そして、全く出会う機会の無かったモノゴトに出会いまくる日々が始まるのをこの時の俺は全く知らなかった。
ただひたすらに、これから始まる『学生プロレス生活』に思いを馳せてワクワクしていたあの頃の気持ちを今でも思い出せる。


それと同じく、

あの後、何度も自分の中に沸き起こった「自分が不甲斐無さ過ぎて消えてなくなりたい」という気持ちを今でも、というか、いつでも思い出せる。

そんな、良い事ばっかりだった訳じゃないけれど、学生プロレスに没頭した4年間は、まさに”青春の日々”と言うのに相応しい毎日だった。

あのブースにドキドキしながら向かったあの日の事は、この先もずっと忘れる事は無いんだろう。

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