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白熊杯俳句部門・審査員賞 「汐田大輝賞」

 こんにちは。汐田大輝と申します。昨年の1月末頃からNOTEに詩などを投稿させていただいている者です。今回、不可思議ななりゆき(あるいはちょっとした手違い)によって、白熊杯の俳句部門の審査員をさせていただくこととなりました。
 私に審査員になるような資格があるとは思えないのですが、この大会は「何でもあり」のようです。個人的にはそれなりに俳句に親しみ、読んだりつくったりもしてきたので、審査の仮面を被った自分の世界観の表明のようなものをしてしまっても許してもらえるのではないか、と思い、つい引き受けてしまいました。
 お役目を仰せつかった以上、全ての俳句を私の読解力の限りで読み込むとともに、楽しませていただきました。一方、これだけ多くのいろいろなタイプの俳句が集まってくると、自分の中の俳句観のようなものも揺れてきます。これは悪い意味ではなく、白熊杯の審査員に携わったことは、私自身のものの見方を広げてくれたといえます。たいへんありがたいことです。
 選句の明確な基準などはありませんが、作品を読んでいて、ありありと映像が思い浮かんできたり、新鮮な驚きがあったりなど、心情や感覚にシンクロしたもの、勢いのあるもの、あるいは俳句の可能性を感じるようなものを中心に選ばせていただいたつもりです。気分は日々揺れ動いているので、別の日に選んだら違う選句になっているかもしれません。見落としてしまった名句も多いのではないかと心配しますが、選句できる数も限られていますので仕方がないですね。恐縮ですが、そんなものだと思って見ていただければ幸いです。

 では、「汐田大輝賞」大賞句6句を発表します。1位~3位はオリンピック競技に倣って、金賞、銀賞、銅賞としたいと思います。もったいぶることなく、金賞から順番に発表します。

<大賞句6句>

☆金賞☆

Am(エーマイナー)奏で砕氷船北へ

雪ん子⛄️さん

 いきなり俳句らしからぬAm(エーマイナー)なんて言葉を持ち出して来て、砕氷船とつなげてしまうなんて、尋常ではないですね。この俳句のいちばんのすごみは、音の発見にあると思います。砕氷船が氷を砕く音がAm(エーマイナー)に聞こえるなんて、実際に聞いたことはないので、本当かどうかは知りませんが、そんなことはどうでもよいのです。私はこの俳句を読んで以後、この世の中のあらゆる音をコードネームに結びつけないではいられなくなるでしょう。いろいろな雑音が音楽に聞こえてくることでしょう。優れた芸術作品は、その作品から感銘を受けるといった次元を超えて、世界の見方を変えてしまうものだと思います。
 よって、歴史に残る名句とであると勝手に認定し、金賞とさせていただきます。

☆銀賞☆

くたくたの大根オゾン層崩壊

チューダ(知遊陀)さん

 斬新な感覚に一気に引き込まれました。全く関係のないはずの言葉・イメージがぶつかりあって、シュールで詩的な映像をつくり出しています。煮すぎてくたくたになった大根とボロボロになった大気圏がダブって見えてくることで、ユーモアを漂わせつつも、何やらおそろしげなのです。このままで地球は大丈夫なのかという危機感が漂います。この俳句を読むことで、読者は地球環境問題に向き合わざるをえなくなるのではないでしょうか。
 衝撃的なイメージをエネルギーにして、俳句が社会に向かっていく力を感じましたので、銀賞とさせていただきました。

☆銅賞☆

腕太き祖母万物をおでんとす

はねの あき さん

 何とも豪快な俳句です。句全体に祝祭感・躍動感があふれていて、引き込まれました。「万物をおでんとす」は強引な表現にも見えますが、この遠慮のない大胆さこそがこの句の魅力だと思います。
 確かにおでんは何でも放り込んで煮てしまえる混沌とした宇宙のようです。その創造主である祖母のたくましさと力強さに圧倒されます。万物をおでんにしてしまう「腕太き祖母」は、まるで多産、肥沃、豊穣をもたらす大地の母なる神のようであり、神話的な広がりのようなものすら感じました。
 他に類をみないパワーに満ちた俳句だと思いましたので、銅賞とさせていただきます。

☆4位☆

「生きてる」を圧しつぶしたる雪景色

 せきぞう、さん

 雪もある一定量を超えると何やらすさまじい重圧感を感じるようになります。私も一時期、雪国に住んだ経験があるので、その感じがよくわかります。名詞を使わずに「生きてる」と少し言葉足らずの動詞でいったところがとても効いています。雪をあまり知らない人がイメージする物見遊山的な雪景色ではなく、生きとし生けるものを押しつぶしていくリアルな雪景色が迫力ある表現で描かれていると思いました。自然はそんなに優しくはないのです。

☆5位☆

缶蹴りを終わらす合図冬鴉

 月夜案山子さん

 ノスタルジックな記憶を呼び起こされました。缶蹴りには終わりのない遊びという印象があります。鬼になって置き去りにされてしまったときの寂しさ・不安を思い出したりしました。冬鴉という季語も効いていると思いました。
 最近の子どもは窮屈で、時間に縛られているように見えます。時間の消えたような世界で遊び続けるような経験を持つことができないのではないでしょうか。かつては身近にあったはずの遊びの世界や時間感覚を思い出させてくれるとても印象深い一句でした。

☆6位☆

ことりともいわず新年そこにおり

マー君さん

 時計の針が午前0時を刻み、暦が変わったとしても、何か特別なことが起きるわけではないですよね。身のまわりはひっそりとしていて、時計を見たら、気づかない間に年が変わっています。新しい年が来たという感慨は静かにやって来ます。この句では、そんな感覚を「新年」を擬人化することで見事に表現していると思いました。
 余談になりますが、私はこの俳句を読んだときに、渡辺白泉という前衛的な俳人の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という俳句を思い出してしまいました。もちろん、詠んだ対象もテーマも全く異なる俳句なので、並べて語るのは変な話なのですが、「新年」や「戦争」が擬人化されて、まるで「もの」や「生き物」のようにそこにいるような感じが似ているのです。そういうわけで、私はこの俳句を読んだときに「新年」が妖怪でもあるかのような何気に怖い感じも受けたのです。


 以上が汐田賞<入賞>6句です。どの俳句も素晴らしく、順位をつけるなんておこがましい限りです。賞品など何もご用意できず、申し訳ありません。きっといつの日か、額に入れて飾らせていただければと思います。

 ところで、6句では選び足りないので、<佳作>6句(順不同)を勝手に発表させていただきます。ほんとうは、<入賞>にしたかった俳句たちです。

<佳作6句>

ワイルドの対義語は何冬苺

のんちゃ さん

 巧妙な俳句だと思いました。一見、理屈っぽい印象もあるですが、苺の多面的な姿をリアルにとらえた句としても読むことができるのではないでしょうか。
 ケーキに載っている苺は、飼いならされた上品(ワイルドの対義語?)な果実のようにも見えますが、野にある冬苺は野性味(ワイルド)にあふれているものだと思います。ワイルドではないような、ワイルドであるような、この俳句の中の冬苺はそのような相反するイメージの間で揺れ動いていて、苺の複雑な味わいが伝わってきます。

手まり突くてんつく地突く未来衝け

てまり さん

 リズム感があり、音調もよく、律動感があります。文字の使い方(「突く」「つく」「衝く」)も工夫されていて、視覚的にも手まりを突く感じが伝わってきます。「天」「地」と来て、最後の「未来衝け」で、どーんと突き抜けていく流れがとてもよいです。現代の新しい手まり歌が聞こえてくるような俳句です。

深深と雪雪と唯六花

十六夜さん

 九文字中七文字が漢字であることや、深深(しんしん)と雪雪(せつせつ)という音が響き合い、六花(むつのはな)という言葉の美しさが相俟って、印象的です。雪が静かに降り積もっていく様子を眼で見ているというよりは、心の中で深く感じているような句です。

空風よいつだってうまくいかない

リコットさん

 何がうまくいかないのかはよくわからないのですが、うまくいかずに空まわりして、少しいらいらとしてもどかしいような感じが、「空風」という季語に凝縮されています。

迷子のわたし混々と雪止まず

大橋ちよ さん

 「迷子」と「雪止まず」が響き合い、心象風景と視覚的な風景とが重なり合っています。「混々と」という表現も絶妙です。迷子になってしまった「わたし」の心理状態がリアルに伝わってきます。

夜神楽の農夫は神になりにけり

鮎太さん

 民俗と神話の世界が俳句になったような作品です。農夫が神に変身する神聖な瞬間を捉えています。「古代」が眼前によみがえってくるようです。

 以上、僭越ながら「汐田大輝賞」なるものを発表させていただきました。講評は、私の読み方・感じ方を紹介させていただいたものです。俳句は音数がとても少く、いえる内容が限られてきますので、読者の想像に委ねる部分が圧倒的に多いと思われます。作者と読者の共同作品のようなものです。100人いれば100とおりの読みがあり、よい読者を得ることで、作品も光り輝いてくるのだと思います。
 私がよい読者の一人になれていることを祈るのみです。


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