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産休1ヶ月目、Webデザイナーを目指すことに決めた日。vol.1

〜プロローグ〜34歳、Webデザイナーを目指す。

noteは、コーディング経験ゼロ人材がどのようにしてWebデザイナーへ成長していくのか、そもそもなれるのか、を記録するために始めました。第一弾は、そもそもshioshioのキャリアと、Webデザイナーを目指すことになった経緯について記しておきたいと思います。

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ファーストキャリアについて

新卒入社で人材系ベンチャーだったCDC(気付けばもう一部上場企業)に入社して以来、12年間ひたすら走り続けていた。求人広告の制作部に配属になり(本当は編集部希望だったけど、制作部の方が同期がたくさんいて切磋琢磨できて結果オーライ)、毎日ひたすら取材、撮影、設計、ライティング、デザイン、入稿、効果修正、並行して別の企業の取材、撮影・・・とループ&ループに求人広告を作り続けた。

そんなこんなで入社7だか8年めの28歳で目標にしていたマネージャーに昇進。プレイングマネージャー(Pマネ)だったので、メンバーを見つつ自分も広告を作り続ける日々。しかしひょうんなきっかけで(話すと長いので割愛)、制作部の新卒採用を担う制作採用推進課へ異動になり、「クリエイター」から「人事」にキャリアの大転換が起きる。人様の企業の人事にエラソーに採用ノウハウを並べていたくせに、自分が人事になると右往左往する毎日で、とにかく大変だった。でも自分が採用した17、18、19新卒の子はめちゃくちゃ可愛い。賞を取ったり昇進したりするのを見聞きすると跳ね上がるくらい嬉しい。実際跳ねてたと思う。

婚活の努力実り、32歳で結婚。

そんな人事2年目の秋、私は結婚することが決まった。これも話すと本当ーーーーに長くなるが、shioshioは社内でも「結婚しないんじゃなくて、できないんです」人材として超有名だった。婚活アプリは常時7つを併用。婚活中であることを大々的にPRし、合コンやデートのために早め(といっても19時)に帰る時も、みんなから盛大に激励と共に送り出されていた。というのも、おそらくみんな私のことを、絶対にすべらない婚活ネタを拾ってくるだけの結婚とは縁遠い存在だと思っていたんじゃないかと私は感じていた。そんな私に彼氏ができ、プロポーズされ、結婚が決まると、さぞかし上司も慌てるかと思ったら、案外普通に祝福してくれた。「shioshioがプロポーズされましたー!」とフロア全体に響き渡るように大宣伝された時は流石に恥ずかしかったけど、嬉しかった。そして、入籍が終わり結婚式の準備を進めていた2018年の春、制作部への異動(出戻り)打診があった。実は、採用推進課はプロパー1人と派遣のアシスタントさん1名の計2名で回していたため、私がもし妊娠、その後産休・育休をとろうものなら回らなくなる。つわりがあれば出張もできなくなる。なので、いつ妊娠してもいいように人事を別の人に引継ぎ、私は制作部へ戻ってはどうか、と。この時、とても合理的で現実的で、何より優しい会社だなと思った。誤解の無いように書いておくが、制作部へ戻ることは決して左遷ではない。むしろ、PマネからGマネ(ラインの管理職)での異動なので、以前いた時よりも給料が上がっている以上に、責任は重い。ミッションも増える。だけど、採用推進課よりも制作部の方が他のマネージャーもいるので、例え妊娠して思うように出社できなくなったとしてもカバーしあえる。そういうことも踏まえての打診。やりがいといざという時の保険も兼ね備えた異動。前向きにお受けして、後輩に人事ポジションを譲ったのであった。

入社11年目、33歳で妊娠

というわけで制作部(クリエイター)→制作採用推進課(人事)→制作部(マネージャー)というキャリアを辿ってきた11年目の夏。33歳、第一子を妊娠。発覚直後、すぐに食べづわりが起き、毎朝吐いてから出社。上司に報告後は、取材あり(外出)案件の同行は控えさせてもらい、完全内勤にシフト(※マネージャーは後輩育成のために週3〜4は取材に同行していた)。上司の対応はめちゃくちゃ早かったし、配慮もありがたかった。しかしこの夏、マネージャーの中で、1人退職、2人異動、1人兼任が決まり、私の妊娠(つまりゆくゆくは産休に入る)も相まって、制作部がマネージャー不足に陥る。が、1人昇進が決まって増えたのと、手前味噌な言い方ではあるが、持ち前の団結力?でこの危機を何とか乗り越える。こんな人材不足の中で産休に入ることに後ろめたさを感じもしたが、「大丈夫、お前ぐらいいなくても何とかなる!」とぶっきらぼうに言い放った上司には本当に感謝している。実際、これまで幾度となく訪れた危機を何とか乗り越えて今がある制作部は、本当に頼もしいし、大好きなチームだ。

そんなこんなで1月31日の産休前最終出社日は大々的に見送られた。昼の部・夜の部の2部構成でセレモニーを催してくれたのだ。あと1ヶ月遅かったらコロナの影響で飲み会禁止になっていたのだから、私の運の良さったら。この日何を話そうかと、半年くらいずっとシミュレーションしていたのだが、一番伝えたいことは、「CDCは色んなチャレンジを後押ししてくれる会社である」。そして、「CDC制作部での経験は、色んなキャリアに繋がっていく」ということ。「求人メディアを運営している会社で、求人広告を制作する部署」と言ってしまうと、求人広告生産工場のように見えてしまうが、この12年で私は、取材、撮影、ライティング、デザイン、動画制作のスキルを身につけ、広告制作、新卒採用、マネジメントの経験を積んだ。とにかく、濃かった。どこへ行っても「ある程度」使えるスキル・経験は積ませて頂いた。これも一重に、実力主義を掲げる厳しい競争環境の裏に、手を挙げた者には挑戦させる、成長へのバックアップは惜しまない、熱量と愛がこもったCDCならではの社風があったから積めたものだと思う。

さあ、産育休どう過ごすよ?

しかしその一方で、CDCを退職した元上司にこんなことを言われた。「井の中の蛙になるな。」私が今やれることは、「CDC制作部」の中でできることであって、外に出た時に「ある程度」ではなく、「期待以上の」パフォーマンスを発揮できるかというと、自信はない。こんなことも言われた。「もっと外を見てスキルアップを目指せ。忙しい気になるな。子育てしようが何しようが、時間は作ろうと思えば作れる」。確かに。毎日が100%子育てになったら、きっと私は息が詰まると思うし、赤ちゃんは寝る時間が15時間くらいだから、自分の時間もきっとできる。一生に一度しかない、“第一子の育休”。職場復帰した時に、退化したと思われないように。パワーアップして帰ってきたと思ってもらえるように。やりたいこと。それが、「Webデザイナーとしてのスキルを身につける」でした。

なぜ「Webデザイナー」だったのか?続きはコチラ




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