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何を求められるかと何をしたいかは違う

 こんばんは、しおさいです。今から書くことには根拠の薄い自分の主観が多量に含まれているので、ただの戯言と思って読んでいただければ幸いです。


 3年もネットでクリエイターをやっていると(職業ではないですが)、うすうす気づいてくることがあります。

「全部自分のやりたいように進めると、伸びない」

これです。

 たとえば↓この記事。

三陸旅は相当気合を入れて執筆したシリーズだったのですが、アクセス数は正直なところあまりよくないです。

 逆に↓こちらの記事はどうでしょうか。

出してから1年以上経ちますが、いまだにスキの数がじわじわと増えています。閲覧数は全記事通して一番多いです。

 この2つを見比べて、何が違うんだろう、と考えてみました。
 前者は、写真少なめ、文超多め。本を意識して書こうと思った結果です。
 後者は、写真多め、文そこそこ。ブログ形式で書くならこれかな、と考えました。

 これは全てに当てはまることではないと思いますが(僕の記事でも例外があります)、差が表れるのは「その場の特性」ではないかと思います。noteにおいては、前者のようなギッチギチに文を詰め込んだものよりも、後者のような適度に写真を挿入してあるものの方が目を通されやすいのでは、ということです(あくまで個人的感想)。
 ……あらためて見てみると、文字がぎっちり詰まっているのはたしかに読みづらいなあ、と感じました。本を読む時はまったくそんなことがないのですが、どうしてなのか。

 「場の特性」は動画配信でもいえることです。僕はニコニコ動画とYouTubeの2つのプラットフォームに動画を投稿していますが、コンテンツの性格はだいぶ異なっています。もちろん、両方で爆発的な人気を誇る動画も多く存在しますが、一方では大バズりしているけれど、もう一方ではそんなことない、というパターンは結構あるように感じます。

 執筆も動画投稿も、「やりたいことを皆と共有したい」という思いから始めたもので、自分が見せたいものを目一杯つくるのが自分としては一番いいのですが、やっている以上見てもらわなければ意味がない。画面の向こうに自分がつくったものを見ている誰かがいてこそ、自分のコンテンツが成立するということを、意識せずにはいられなくなってくるのです。「伝える」ことを主軸にするなら尚更です。
 また、需要が足りているものに突っ込んでみたところで、供給過多になって伸びずに終わる、というのもありがちなことです。自分が本当にやりたいことを突き詰めても、読み手や視聴者がほしいものと一致するとは限らないのです。

 見る側を意識するべきか、自分のやり方を取るべきか。片方に寄ってしまうと、他の人の作品に似せて個性が薄れてしまったり、逆にそれを強調しすぎて敬遠されてしまったり……。トレンドをつかんでうまい具合にバランスを保っていくのが、結局は理想形なのかな、と個人的には思います。
 「つくる」って難しいな、と感じた僕でした。これからも手探りでいろいろなものをつくって伝えていきたいです。

 それではまた。


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