世の中の8割が知らない努力の真実
みなさん、「努力は報われる」という言葉を聞いたことはありますか。また結果よりも頑張った過程が大事だ、とも聞いたことがありますか。努力は非常につらいことで、大変なことです。ですがみなさんはその努力の本当の意味に気づいていますか。それを私とともに考えていきましょう。
まず抽象的な話をしてもわかりづらいので、具体例を使って考えていきましょう。努力の定番「受験、主に大学受験」です。大学受験は多くの人が通る人生で最も過酷ともいわれる努力の代表例だと思います。こちらを使って努力とはなにか、考えていきましょう。
皆さんの共通認識として努力は「夢を叶えるため、目標に到達するためにある困難や苦難を乗り越えること」というものがあると思います。もっと簡単にいえば、「つらいことに立ち向かって頑張る」ということでしょうか。それは間違ってはいないと思います。確かに努力はつらい時が多いです。なぜなら自分が頑張ったなと感じるのは、より多く時間と労力をかけたときだからです。当然勉強しなくても受かる大学に受かってもそこまで嬉しくはないです。しかし必死に勉強して受かったときはものすごく嬉しいとなると思います。思い出などは感情が絡むと記憶に残りやすくなります。なので当然ハードな勉強で自分を追い込んで受かったら、おそらくは一生、記憶からは消えないいい思い出になるでしょう。ですがここで言いたいのは、もし受かったとしても、落ちたとしても誰があなたの勉強の努力を評価できますか。勉強しましただけでは足りません。何冊参考書やりました、何時間やりました。それだけでは評価はできません。なぜならその参考書をどこまでやりこんだのか、その勉強時間のうち、スマホいじった時間、集中してない時間はどれほど含まれているのか、そんなものは他者からは客観的に評価できないからです。それはあなたの努力を直接見てないからです。ではどう評価しているのか。その代表例が就活関連でよく聞く「学歴フィルター」です。そうどの大学に行ったのか、卒業したのかだけです。あなたが頑張って勉強しても、そこまで偏差値が高くない大学行ったのなら、その学歴フィルターの前では無力に等しいのです。「学歴だけではない」という考え方もありますが、ではあなたにはなにがあるんですか?と聞かれたときにすぐに特技や資格などが答えられない、もしくは評価する側からして価値がないものしかあげられないのならば、あなたはどう自分をアピールするんですか?証拠がない状態で、自分は何ができると言おうが、軽く流されるだけで終わりです。学歴は資格の一つです。学歴フィルターの存在は「あなたにとても強力なアピールポイントがないのなら、そもそもいい大学に行ってない時点で論外である」という企業からのメッセージです。成果がなければ、努力を過程を語るはずの土俵に上がることさえさせてもらえないのです。
ここであなたが「いや、努力した過程が大事では?」と言い張っても、あなたの努力を保証するものがなければ、ただの主観的な主張でしかないものとなります。実績がなければ客観的に評価することなど不可能なのです。つまり成果がない人に努力を語る資格なんて存在しないということです。では努力は必要ないのでしょうか。私はそれはいいえだと思います。なぜなら努力がなければほぼ確実に成果はついてくるなんて夢のようなことはないからです。得るものがなにもない努力は確かに意味がないと思います。ですがそもそも得るものがあるまで続けて初めて努力と呼べるのではないかと私は思います。継続は力なりという言葉からもわかるように、何事もまずは続けてから成果はついてくるんです。
現実は本当に残酷だと思います。能力がある人はどんどん成功して、能力がない人は切り捨てられる。この構図は資本主義、いわば実力社会であるが故の弊害であり、文明の発展のためには目をつぶらなければならない、変えることのできない決定的な事実なのです。これは自然界のほうが顕著です。そもそも能力がない者はすぐに食べられたり、獲物を捕まえることができずに野垂れ死にするという人間社会よりも圧倒的な格差社会です。人間とほかの動物・植物とは違うといいたい気持ちもわかりますが、もともとは人間もこの社会の一員だったのです。ですが知識があったから、頭がよかったから狩猟や採集の能力がなくとも生き残れる社会ができたのです。現代社会のシステムを見ても、能力がない人間は能力がある人間によって生かされているという構図なのです。生活保護はその典型ですよね。生活保護は税金から支払われています。それは稼いでいる人から払われたものです。経済ではこのことを所得の再分配といいますが、要するにお金がある人が税金を払ってくれているから、お金のない人が生きられるということなのです。では能力がない人間が、能力がある人間に勝つためにはどうすればよいのでしょうか。
私はその解決策こそ努力、それも他とは違う努力だと思います。ただ努力するだけでは、みんなしているので勝てません。ですが、そこにオリジナリティ、自分にしかできない努力を重ねることで、自分が得意な土俵で戦うことそれに自分の土俵を作るができるんです。現代はグローバル化や多様化によってさまざまなジャンルで戦うことができます。お金を稼ぐこと一つとってもいろんな方法で稼ぐことができます。しかしそれは努力なしには、継続なしには成しえないものです。つまり今求められているのはただの努力ではなく、「人とは一線を画すまたは人とは違う努力」なのです。
一番最初でも触れたようによく努力は報われるといわれます。この考えははっきり言って間違っていると言わざるを得ません。正しくは努力自体に価値はないが、努力しなければ成功もないということです。先ほどの段落でもふれましたが、努力は客観的評価できません。あくまで評価されるのはその成果でしかないのです。ですが努力がなければ私たちは何も得ることはできません。そう努力だけが大事なのではなく、「努力して結果を出すこと」が大事なのです。そこで初めて結果も、努力も評価することができるようになります。では、努力は報われるがなぜ間違いなのか。先ほどは努力自体に価値はないと言いましたが、別の観点からそれを述べていきたいと思います。
問題点は「報われる」という表現です。これは非常に受動的な意味だということがわかりますよね。努力をしていれば必然的にそれに価値がつくなんて夢みたいなことはありません。競争がキーポイントの資本主義社会ならなおさらです。現実的に考えて、社会と学校は違います。学校では「努力」が褒められてかもしれません。ですが社会では誰も努力なんて褒めてくれないと考えるのが妥当だと思います。では努力はなんなのか。少なくとも主体的で積極的なものであるということは言えます。努力は自ら進んでやるものだということです。先述の通り、私は努力は夢や目標に向かって頑張ることだと思っています。そしてそれは自分で頑張り、自分で叶えるものだと思います。人の評価はそこにはありませんよね。よって自分が目標を達成するために自分から進んでするもの、それが努力なのではないでしょうか。
ここまでついてこれているでしょうか。もうすぐ終わりなのであと少し読んでいってください。後悔はさせません。では次は努力が実を結ぶということです。努力が実を結ぶというのは努力を続けていれば、いつか結果はついてくるということです。しかしこの言葉は甘い罠のようなものだということをここでは言いたいです。なぜなら努力したからといってそれが必ず成功につながるなんてことはあり得ないからです。これは私の前の作品で取り上げたギャンブルの一種です。確率はありますが、100%では決してありません。では成功するのに努力に関係はないのか。関係はあるが、それがすべてではない、というのが答えだと思います。それはなぜか。エジソンの有名な言葉にこんな言葉があります。「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」これは皆さんもよく知っていると思います。この言葉は裏返すと、天才は99%の努力はあっても1%のひらめきがなければなりえないということです。ひらめきははっきり言うと「運」の一種です。「運も実力のうち」という言葉もありますが、運がなければいくら努力しても成功はありません。言い方を変えれば機会、チャンスがなければ、努力があっても夢は叶わないということです。ここまでだと「努力なくても運があればいいじゃん」と思うかもしれません。はっきり言うとその通りだと思います。運があれば成功はしますし、夢も叶います。ではここで努力の役割はないのか。否、当然存在します。それは「運の確率を上げること」です。努力をすれば相応のチャンスがやってきます。努力をすればあり得ないほど低確率なことも、もしかしたら叶うかもしれない確率になりえるのです。皆さんはあたりが1%のくじと、90%のくじならどっちを引きたいですか。大半が90%を選ぶと思います。努力をするというのはこの確率を操作する可能性を秘めているのです。あきらめなければチャンスは訪れるというのは漫画でよくあるセリフですが、これは本当です。掴むかどうかはその人自身ですが、間違いなくチャンスは訪れます。つまり努力とはいわば、運のドーピングのようなものなのです。奇跡のような確率を現実的な確率にすることができる魔法、これこそ努力なのです。
もちろんここで強調しますが、あくまで確率は確率です。99%でも当たらないものは当たりません。0.00000001%であっても引くときは引くものです。しかし努力によってその運を引き寄せることはできるということです。しかし先述の通り、努力は努力でも「自分にしかできない」努力が必須にはなります。ここでこの「自分にしかできない」努力について触れていきたいと思います。
この「自分にしかできない」努力に必要なのは挑戦です。くじも引いてみなければ当たりか外れかはわかりません。それは挑戦しなければ当たることは決してないということです。先ほど使った言葉をもう一度使うと、土俵にすら立てないということです。努力自体は価値がないとはいいました。ただそれは成果の有無で比べたらの話です。最初からあきらめている人間と努力している人間ならどちらが成功しそうか、明らかですよね。努力は自分のためにするものだと何度も言いますが、これが本質です。だから人から評価されないのです。だからこそ人と違うことが大事になるのです。誰も挑戦したことないことに挑戦することははっきり言ってギャンブルです。現代に生きる人の多くはリスクを恐れて挑戦することへ消極的になっている傾向があります。この記事を読んでいるあなたはチャンスがやってきています。なぜなら今市場が、マーケットが手薄になっていて、挑戦することに対してライバルが少ないという現状を知れたからです。こんなところでビビっていても仕方ないのです。現代はそのリスク思考のせいで成功する人とそうでない人の差がどんどん開いていってます。競争相手が少なくなっているんです。インターネットの発展は私たちの生活を便利にした一方で、私たちを楽なほうへ押し流そうとしています。そこで抗う努力をしている人間がどれほどいるでしょうか。私は非常に少ないと思います。便利なツールに飲み込まれるのではなく、効率よく使うんです。やるべきことは自分でやる。これを現代社会で徹底出来たら、努力できたら圧倒的な差を簡単につけることができます。それはつまり、今は少ない努力で夢が叶いやすくなっているということです。今は努力すること自体、あたりまえのハードルがかなり下がっています。だからこそ今あなたは努力するということはとても希少で価値あることとなりえているのです。
しかしここまで言った通り、努力に見返りを求めてはいけません。努力は成果がでて初めて意味あるものだと実感するでしょう。ですがそれには膨大な量と途方もない時間が必要です。そこで長期的な努力のモチベーションはどう保つのでしょうか。答えはとても単純明快なものです。その行い、努力そのものを「ルーティン化」させることです。人間に生まれながらに備わった能力の一つに「環境に適応する力」があります。いわばいろんなものに「慣れる」力のことです。たとえ始めはしんどい努力でもそれをルーティンとして、毎日欠かさず行うことで、努力の力を最大限引きだしつつ、次第に続けるのが楽に、自然になっていきます。そうすれば続けるのは容易でしょう。さらに強くモチベーションを上げるためには「大きな夢」が必要です。やりたいこと、なりたい自分、それを頭の中で思い描くことです。少年漫画の主人公も「でっかい夢」を掲げることから物語がスタートしますよね。それは現実世界でも同じことです。まずはその努力のゴールがなければ何も始まらないし、始められません。だからこそこれからなりたい、叶えたい「でっかい夢」を持ってください。そしてその夢を基軸にして毎日生活して、毎日誰かにその夢を言えるようになりましょう。大きい夢は最初は周りの人も「かなうわけない、ありえない」と否定されます。ですが、あなたは否定しなければ、あなたがあきらめずにアクションを起こし続ければ、いつかチャンスがやってきます。それは100%です。小さくても大きくてもそのチャンスをつかみに行って下さい。それまでは見返りは考えないでください。そんな小さい成果のために、あなたは必死に頑張ってるわけではないのです。
だからこそあなたはあきらめては、現実から、努力から逃げてはいけないのです。
最後に長くなったのでまとめます。まず努力とは自分のためのものです。そして夢を叶える手段の一つです。そして誰でもすることができることでもあります。当然、努力をしたからといっても夢が叶うとは限りません。ですが、限りなく成功する確率をあなたに引き寄せてくれます。その努力が積み重なればなるほどあなたはチャンスが掴みやすくなります。そして現代社会ではそもそも努力する人が減ってきています。そこで努力することへのハードルがかなり低くなっているのです。ここまで言えば皆さんもわかるでしょう。今こそ努力を積み重ねるチャンスだということです。今、便利になった世界で苦しんで努力することができれば、ほかに圧倒的な差をつけることができるのです。それは先ほども言った通りマーケットが手薄になっているからです。この文章で散々繰り返しているように、努力は自分のためにするんです。そして挑戦こそが成功を導く努力の入り口です。人と同じではなく、自分のやりたいことへ果敢に挑戦してください。そして、ダメージを受けても、うまくいかなくても折れないでください。努力は積み重ねることで大きな力になります。インターネットによって便利になった現代だからこそ、コツコツ積み上げてみませんか。そしてそれを実現するために、なにより自分を好きになれることを目指してください。自意識過剰やナルシストのことではありません。自分が自信をもって行動できるマインド、自分で掲げる夢が絶対に叶うと信じつづける自分になってください。そのために毎日、自分と約束をする、それがルーティンです。その約束をどんどん積み立てていってください。自分が信じられる自分になるために日々精進しましょう!本当の最後にこの文章を読んであなたが正しい努力をすることで成功することを祈っています。非常に長くなりましたが役に立ったら幸いです。
著 雛田 遊鳥
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?