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あなたは何故、ハーバードを目指そうと思わなかったのでしょうか?

「君たちは、ハーバードを目指そうと思ったことはないの?君たちが育ってきたぐらいの環境なら、目指そうと思ったら目指せたはずだと思わない?だって、ハーバード出たら初任給ウン千万の世界だよ?人生勝ち組。でもそもそもそんなこと、頭にもなかったんじゃない?」

ゼミで教授に言われた言葉。一見しょうもなく見えるこの言葉は、「自分て、視野が狭いんだなあ」という気付きをもたらし、「もっと社会構造に着目してみよう」と思うきっかけとなった。

「何で自分はハーバードを目指そうなんて夢にも思わなかったんだろう」

自分の学力が足りなかったから、といえばそうとも言える。自分の情報収集が甘すぎた、というのもちょっとあるのかもしれない。でもそれ以上に、自分がハーバードについて考えてみよう、と”思えなかった”ことに一番の問題があるような気がしてならない。

静岡生まれ、静岡育ち。ユニバに小4の時に行って以来、洋画にどハマりし、それ以来洋画、洋楽無くしては生きられない。そんな自分でも、大学受験には海外の大学を目指そうという選択肢が頭に浮かぶことはほぼ無かった。チラついたことはあったけれど、本気でそれを考えるなんてことは一回もなかった。

もしかしたら社会の構造に問題があるのかもしれない。個人の責任だ、なんて言ってしまえばそれまでなんだけれど、そこで終わることのできない問題なのだと思う。

東大を最高峰とした、日本の競争。いい会社に入りたい、なんて考えなくてもいい学歴を持っていたいという欲求から勉学に励む。外国の肩書は評価されないかもしれない、日本に戻ってこれなくなるかもしれないという暗黙の空気もそこに漂う。

「いい子ちゃん」だった自分は、その外側に選択肢はなかった。というより「外側」そのものがなかったとも言えるのかもしれない。「国連に入りたいから外大に!」なんて自分で考え抜いて見出した理由もその範疇に収まってしまっていた、というわけである。

それ以来、自分はずっとある路線の上に乗っていて、必死に考えて出してきた選択肢も所詮決められた路線上のことでしかなかったのではないか、と思い、恐れ始めた。人は色々なところから知識を集め、考える。しかしそれすらが既にある種ハマった状態にあるのかもしれない。言ってしまえば、メタ的な「井の中の蛙」に陥っているのかもしれない。

それまでは、大学での専攻がラテンアメリカ地域だった僕は「ブラジルに行く!」と叫んでいたが、その時からもっと離れた場所に身を置いてみたくなった。自分の視野の狭さを強制的に広げ、自分の立ち位置を客観的に省みるためには、環境を大きく変えるのが一つ、手っ取り早い選択だと思った。自分の経験的に、感覚的に体験したことのない場所、できるだけ遠いところに行ってみたいと考え、アフリカに行くことを考え始めた。

しょうもない質問に見えるかもしれないけれど、自分にとってはとても大切な気付きであった一つの問い。是非これをきっかけに、読んでくださった皆さんにも一度考えてみてほしいな、と思います。

「あなたは何故、ハーバードを目指そうと思わなかったのでしょうか?」


(photo by Harvard University)


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