就活ってやつは

僕は今、ひげを生やしています。

モザンビークから帰国し、それと同時に就活シーズンがやってきました。

今年の4月から4年生になる自分は、世間一般的に言うと就活生です。

と、言うことで一回合同説明会に行ったり、興味のある企業で働かれている方とお話をしたり自分なりに就職活動てやつをちょっとずつやっています。今この時期の選択肢が現役大学生にとってはものすごく広い!と言うのは承知しているのですが、それにいまいちピンときていない自分は、今年中に次の一歩を決められればいいな(と言い聞かせながら。やっぱりどうなっちゃうんだろう、自分の未来、的な恐れは常に心に持っています。)ぐらいの気持ちでいます。

「少し就活したりしてますよー」
「お前ひげ剃った方がいいよ。スーツも着てけ。」

とある先輩との会話。僕にとっては違和感満載のこの言葉。

ひげ剃った方がいいよ、スーツ着てった方がいいと思うよ。心配していってくれているのなら素直に「ありがとう。」となります。が。「お前就活なめてんじゃねーよ」てスタンスでこれを言われると、「就活に飲まれてんの、あなたの方じゃないですか?」ってなります。なっちゃいました。

「就活 私服」でググると、「私服でご来場ください」と言う文言はスーツを着ていけと言うことですといった趣旨の文章がゴロゴロ転がっています。ここに考える余地がある気がするんです。

「就活=スーツ」これは多分、多くの人が連想できてしまうことだし無意識的なルールになっている人も多いことでしょう。無意識的なルール。怖いのは、ここな気がします。

ルールって、何か理由があるからルールになっていく。何か問題があって、それをなんとか解決するためにルールが生まれてく。法律だって、家庭内のルールだってそう。ただ、時にこれらのルールは形骸化します。何のためにルールがあるのか分からず、ルールがあるからと言う理由で人の行動を縛っていく。

急速な社会の変化とともに、ルールを決めていた根っこの部分の文脈だったり、そのものだったりが変わっていく、そんなことごまんとあるでしょう。逐一それについて考えていかないと、ルールは血の通わない、何のためにあるのか分からない怪物になってしまう。

「私服でご来場ください」この文言も、その社会の流れに沿って生まれてきたものではなかったのでしょうか。今まではスーツで出勤が当たり前だった社会、そこにクールビズが生まれ、今では私服で出社する人もだいぶ増えたように思います。そのほうがストレスが減り、快適に仕事に打ちこめる環境を実現できたりするなんてこともあるでしょう。

就活はどうか。無意識的な「就活=スーツ」に人は飲まれていないだろうか。

スーツを着ていくにあたり、「相手に与える印象をよくしたい」といったような自分の確固たる理由があるならいいと思う。(それで印象が本当によくなるのか、と言うのはまた別問題。)ただ、何も考えずとか、私服の方が良さそうだな、と思っていても何となく怖いからスーツでいってしまうとか、そう言うの、怖い。

就活は誤解を恐れずに言えば一種のゲームだと思っています。就活生vs企業のゲーム。そこには就活生が思考する余地があって、選択することができる。企業だって、そこから人を選んでいく。

企業に大きな比重があるように思えるこの就活ですが、「見せたいものを見せる」余地は就活生に大きくあると思うのです。それを考えて、見せる。もちろんそれは自分の責任下で。

スーツを着ていくのではなくて、私服とヒゲでいく。それはあえて選択したことです。スーツを着ていったら、今の時代、まるで同調圧力に負けたかのように写ってしまう。(私服で来てくださいと言われているのだから!)そうやって人に見られたくない、と言うより思考した自分を相手に伝える隙間を作りたい。そう思って私服とヒゲを選んでいます。

「ひげ剃ってけよ。スーツで行けよ。」

そういう言葉がススっと出てきてしまうのは、無意識的にそのルールに従っているのではないですか。

それともう一つ。自分は偉そうに語れるほど知らないのだけど、大学の授業で取り扱ったホロコーストのアイヒマン裁判(記事もぜひ!)。

凡庸な悪、と称された彼は、「上からの命令でやった」と裁判中、動揺もせずに話す。その結果多くの命が失われた。

思考を失った人が行うその行動が、人の命を殺めることにも繋がってしまう。その歴史は忘れてはならないものだと思います。

時々記事にもなりますが、就活においても人の命は失われています。同じことをしなければならないという同調圧力だったり、この時期に進路を決めないと人生が終わってしまうという息苦しさだったり、そういう空気が作り出され、その就活で失敗した人は自ら命を絶ってしまう、ということがあるのです。

これは就活生が悪い、ということを言いたいのではありません。別に経団連が〜といったことを言うつもりもありません。ただ、就活生が就活ルールに沿って動かないと「就活」と言うものはそもそも存在しないし、逆に言えば学生側にもたくさん選択肢があるのかもしれないと言うことです。

「就活」というもので人の命が失われているかもしれない、と考えたら、それに沿って何も考えず動いてしまうその一人一人の行動が、またその死に繋がっていたのかもしれない。それは意識しておきたいなあと思います。

就活というゲームの中で次の選択をするにせよ、他のところで選択するにせよ、自分の頭で考えて、進んでいきたいなあと思った出来事でした。

#エッセイ #就活



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