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クリスマス・キャロル

毎年この時期になると、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を手にとってしまう。

それはまるで条件反射で、読んでいないとクリスマスを平和に迎えられないと本能が訴えているようなかんじ。

たぶんきっとイギリス文学を専攻していた大学生のころからなんだけど、でも、何年生のときだったか思い出せないし、もしかしたらもっと前だったかも。

そんなに長い物語ではないので、まだ読んだことがない人はぜひ。
本当に、全ての人に読んでほしいのです。

それも、クリスマスから年末にかけての、一年をなんとなく振り返ってしまうようなこの時期に。

慈愛に満ちた、すべてを肯定してもらえるような、たいせつな物語だから。

クリスマス・キャロル(Christmas carol)という作品名は、和訳すると「クリスマスを祝う歌」を意味している。
これが、ディケンズがこの物語を通して届けたかったことのほとんどを語っていると思う。

すべての人が素晴らしい。だから今日は、おたがいに祝福しあってしかるべき日。

幸福とは、豊かさとはなんなんだろう?
お金があることで、私たちが救われるのはどんなことなのか。
目には見えないけれど、その分一生忘れることができないかけがえのないものとは

綴られた言葉の一つひとつが宝物のような物語を書いた彼は、一体どんな風に生きた人なんだろう?

と思っていたところに、翻訳者の村岡花子さんによる解説を読みました。

1812年に生れ1870年に死ぬまでの一生をチャールズ・ディケンズは新聞記者、作家、編集者として非常に精力的な活動をした。
ロンドンに過した少年時代には職工、丁稚小僧、法律事務所の事務職員と、さまざまの生活を遍歴して、人情の機微に触れた。
この体験が彼の作品の根底をなしている。
知られざる片隅に日々夜々沸き起こりつつある笑いと涙と怒りと喜びち希望をディケンズはしっかりと受け止めて、それら複雑な人生の動きを私たちの前に展開する。

少しずつ大人になっていく私は、子供のころには想像もしなかったものに日々出会う。

「困ったな」と思うことだってある。
ポップに受け流せないことも、ポエミーに感じ入ってしまうことも。

それらの一つひとつに意味があるというのは、心のどこかで分かってはいても、分からないままだったときの自由さを思ったりもする。

だけど、知らなかった世界が広がることで、いつか何年も先になって、誰かを救うことはできるはず。
知ること、感じることは、その可能性を広げることなのかもしれない。

たまたま私は文章を書いているからイメージしやすいけれど、それは、この仕事をしていなくてもきっと。

今年も、『クリスマス・キャロル』にふたたび救われたのでした。

クリスマスおめでとう。すべての人へ。

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