人生でいちばんピュアな思い出
もはや大昔のことなんだけど、忘れたくないから、ここに書いておこうと思う(細かいところはうろ覚えだけれど)。
15歳になる前だったと思う。
1歳上の先輩とおつきあいすることになった。
というか告白したのは私だ。
あまり面識の無かった(委員会が同じだったのだ)私のことを引き受けてくれたのだから、すごく心の広い人だったんじゃないかと思う。
信じられないくらい真面目で、誠実で、控えめな人だった。
告白して、返事が返ってきて、そのまま「散歩がてらその辺歩こうか」って。
ぶらぶら歩いて、「うちここなんだ。寄ってけば」って。
えぇ!?
ってなるじゃん。
人生初めてのおつきあいで、人生初めてのデートでっていう状況で、ウブな私でも、えぇ!?ってなった(ついていったけど)。
そのとき、ご家族もご在宅で「あ、どうも」みたいな感じだった気がする。
そのあたりは緊張しすぎて記憶がない。
だけど、そのあとの数分のことだけは覚えてる。
きっと死んでも忘れない。
その人が、ピアノを弾いてくれたのだ。
知らない人からしたら、だからなんだよ!っていう話かもしれないけど。
自分のことを好いてくれた人のために、ピアノを弾くということができる人だったんだ、というその事実が今でも尊すぎて。
そういう人を好きになった自分の、まだ汚れていない眼差しが愛おしくて。
私はあの時間を今でもとても幸せな気持ちで思い出せる。
過去を引きずるとか、そういうなよなよした気持ちとは全く違うものとして。
大切に大切に思い出すことができる。
実際は、ぼーっと突っ立って聴いていただけですけどね。緊張のあまり。
あと、曲は「アシタカせっ記」だった。
タイタニックとかを弾かないところがよかった。そういう人だった。
その後もおつきあいは続いていたけど、電話してもお互い何を話していいかわからなくて盛り上がらないし。
でも、「電話の前で待ってるから、かけてね」って優しく言ってくれたのを覚えてる。
なんだそれ。
涙が出るくらい優しいじゃん。
週に1回くらいパソコンでメールするのが主な交流だったけど。
高校の文化祭にも、まだ中学生だった私を呼んでくれた。
そのときもやっぱり話は盛り上がらなかったけど。
結局、自分自身の高校受験だなんだでほとんど連絡を取らなくなって。
こちらから、ごめんなさいって言ってお別れしてしまった。
なんてこった。
今はよくわかる。
あの人は、告白されるまでほとんど認識してなかったであろう私に、いつでも誠実に心を開いてくれようとしていたのだ。
その後も何人かおつきあいをしたけれど、あんな風に好きになった人、誠実な人には、いまだに出会えていない。
どうして、その手を離してしまったんだろう。
やっぱり私は、人を見る目がないなぁ。
そもそも、私のこと、どのくらい好きになってもらえていたんだろう?
私は、自分を好きになってもらえるように心を開いて話をしていたんだろうか?
そこのところ、さっぱり自信がない。
今でもそうだけど。
相手に「好き」を伝える以上に、自分を好きになってもらうことは難しいんじゃないか。
そのために、みんなおしゃれをしたり、ダイエットをしたりするのだとしたら。
相手と盛り上がれる話題を探して、めいっぱいがんばって話しかけるのだとしたら。
私はそういう努力がどこまでも苦手だ。
いつもどこかで面倒くさくなってしまう。諦めてしまう。
仕事だったら、しつこく粘り強く向き合えるのに。
恋愛ごととなると、途端に私はしつこさを失う。
諦めることなくその人と向き合う心を、私は持った方がいい。
もしもあの人ともっと話す努力をしていたら、どんな人生になっていただろう。
もしもあの頃、その手を離さずにいたら?
今の人生を否定するつもりはないけれど、時々そんな、“if” を考える。
追伸 「アシタカせっ記」今でもすごく好きです。
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