父から来た2枚の年賀状
父から年賀状が2枚来た。
『ん…?』
と思ってよく見ると、1枚はすべてひらがなで書かれてあった。
娘当てに1枚、別に書いて印刷していたのだ。
「4がつからしょうがっこうだね。これからもたくさんたのしんでね」
みたいな内容だった。
これは6歳の時の私にあてた文章でもあったのだろう。だから私は胸が詰まった。
私は5歳くらいから同じ家に住んでいたのに父と話した記憶がない。
母が父を忌み嫌っていたので、一緒になって父を恨んで陰で悪口を言い続けた。
だけど、父は本当は
「ただただ、たのしんでね」
という思いで、私と姉のことを見守ってくれていたのだろう。
父は、支配的な母に私たち子供が苦しんでいたことを、案外知っていたのかもしれない…。
昨日、おとといと、私は不思議な感情が呼び起こされている。
小さい頃は
「お父さんは世界で1番嫌い、この世にいる悪魔」
ぐらいに思っていて、23歳ぐらいまでそう思って生きていたんだけど、それは本当の私の気持ちではなかったんじゃないかということ。
私は実家を出てから、30歳で結婚して父ときちんと和解できるまで、父に犯される夢を頻繁に見ていた。
私の上に父が覆いかぶさっている。目覚めるといつも気分が悪かった。
小さい頃、私はお父さんのことを大好きだったのかもしれない。ほんとは、ほんとは…。
それは情欲とか、愛情とかそういう強い愛で、きっと本当に好きだったんだ。
「世界一かっこいいお父さん」
って思ってたくらい、本当はお父さんのことが好きだった。
だから、お父さんをいじめている自分に耐えられなくなった。
ずっと
「母の期待に応えられなかった私は、幸せになってはいけないんだ」
と思っていたけれど、本当はお父さんに対して罪深さを感じていたのかもしれない。なんて意地汚い自分なのか、なんてひどい仕打ちをし続けた自分なのか、こんなに自分を想ってくれているお父さんに…と。
そして私は「不幸なお父さんがいるからこそ、自分は幸せになってはいけない」と思ったのかもしれない。
だけど、父は娘の年賀状に
「たくさんたのしんでね」
と元気と幸せを願う言葉しか書かない。本当は、私にもそう言いたかったんだろうな、お父さん。
中学校に入るときも、高校に入るときも、大学に入るときも、就職したときも…。
お父さんは世界一かっこいい。
本当は、もっともっと親密になりたい私がいるのかもしれない。1週間に1回電話して、健康を確認したり、育児のことを少し話したり。
お母さんがいる手前、私は「おとうさーん!」と抱き着いていくことができなかった。だから淋しかった。
お父さんも寂しかったし、私も寂しかった。たぶん、お姉ちゃんも寂しかった。
エディプス・コンプレックスという言葉を大学の心理学の講義で習ったとき、私は自分は違うなって思った。異性親に愛着を抱いて、同性親を敵対視するんじゃなくって、私の場合は母っ子だったから、母にくっつく父を敵対視していた(と記憶していた)。
だけどさ、物事はそう単純じゃないよね。
きっと私も3歳や4歳のころは、世界一好きだった男性のお父さんに恋をしていたんだろうな。
犯されている夢を見ていたのは、そのころ欲求の残骸かもしれない。
「お母さんの期待にこたえられなかった悪い奴」なんじゃない。
「お父さんをいじめた悪い奴」なんだ。
そんなこと38年も生きて全く気が付かなかった。
だから私は幸せになっちゃいけなかったんだ。だから幸せにならないようにしてきたんだ。
お父さんと話したい。大好きだから。
言えた。やっと言えた。
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