出産した女は「あの世の美」を蓄える

「出産したら女は廃る」
というのは本当だろうか。確かに産後の女はそれまで自分にかけていた洋服代、化粧代など美に費やす金は子供服やおむつへ移り、9か月にわたる妊娠期間で「白菜1個分」の大きさ重さの胎児をはらんでお腹の皮はのびっのび、ケアを怠れば乾燥で瓦状にひび割れた妊娠線が残る因果なものである。
私の場合、妊娠前に43kgだった体重は53kgと10kgも増量。なぜか3kgの胎児をお産してもそこから1kgしか減らずに未だ52kg付近を彷徨っている。

お産の痛みは、電気みたいだと思った。
直前まで無痛分娩にすべきか悩んでいたが、この痛みを経験できた貴重さを考えれば普通分娩を選んでよかったと思う。

私が経験した陣痛の音をカタカナにすればこんな感じだ。
『ビビビビビドドドドドン!!!!』
本当にこんな風に雷鳴が轟くように空から仙骨あたりめがけてゴロゴロゴロドッカーーーン!!っと落ちてきて、それが背筋を通って脳の髄まで反響ごと耳に響くのだ。夫がベッド脇に付き添ってくれていたけれど、あの音は私にしか聞こえなかったのだろうか?
陣痛の波が押し寄せるたびに「ドドドドドドドドン!」と仙骨めがけて落雷してくる。からだはしびれ、感電するように猛烈に痛い。陣痛感覚が10分に1回から5分に1回、1分に1回と狭まっていくたびに
「ドドドドドガガガガガン!!!」
とまさに骨を骨ごと砕くかの如く、空から雷が容赦なく爆弾のようにひっきりなしに落ちてくるのである。「粉骨砕身」とはまさにこのこと。実際に私が落雷を経験したことなどないけれど、電気を蓄えた雷を受けた痛みはこんなものだろうなぁと直感する。

その痛みをあえて程度で例えるなら、腰めがけてセダンの普通乗用車が時速60kmで「ドーーーン!!」「ドーーーーン!!」と1分に1回追突してくる感じ。
助産師の指示通り、痛みにタイミングを合わせて「フーーーーゥ」と息を吐いたがそんなものなんの意味もなかった(多分ね)。そして妊娠期間中マタニティヨガに通っていた私は、実際にお産を迎えるにあたり、
「ヴァキナから蓮の花が開くように・・・」
とさんざんお産をイメージさせられていたが、いざこの落雷とエンドレスな車激突の激痛を味わってみれば「蓮なんてアホか!」とバカげてツッコむほど余裕のない様相であった。

それはまるで、死に向かっていくような痛みだ。しかも、たった数時間のうちに特急列車に乗って。

半日に及ぶ陣痛でベッドでのたうち回っていたとき、私の頭に浮かんでいたのはこうだった。
「人類史上何万年も前から、そして世界中の女性がこの痛みを経験してるの?」
そんな紛れもない事実と奇跡の真実。自分は医療体制の充実した日本で出産しているが、これが未開の発展途上国であればそこらへんの木の下で産むこともあるかもしれない。とてもじゃないけど考えられない。
ましてこの産みの痛みとは、人間だけでなく、よく動物番組の出産シーンで牝牛などが『ヌゥゥゥ』と低音でうめいているように哺乳類全般に及ぶものなのだろうか、とも考えると、なんとも世のすべての雌にレスペクトせざるを得ないのである。私なぞ1人出産しただけだが、祖母世代は10人近くも毎度毎度この痛みを経験しながら出産していたのだ。その事実も信じられない。
なるほど「出産は途上国で致死率が高い」とは聞いていたけれど、情報と体験はまったく違う。

女というのは、出産で1度死ぬ。そしてこの死に向かう痛みを味わったものだけが、産後の女だけが持てる特有の美を持ち得るのかもしれない。
女がそこで受ける儀式は1度死にゆく禊――雷のように天から電流が降ってくるような「あの世」を含んだ痛み、そして命を産み落としたのち再生していく一連の儀式を含んだ究極の美活。
「再生」とは産後の体力回復だけでなく、自らの産道から固有の人生を出発させた新しい命に、母乳を注ぎ、抱っこで揺らし、糞尿まみれになり、夜も泣き叫ぶ赤子と不眠不休の協同による「再生」だ。

そのことに気づいている人は少ない。むしろ「産んだら女が終わる」というのが通説だ。
「1度のお産で『死』さえも内包した永遠の美」こそ「腹がたるむ」などとお粗末な理由で見過ごされているのが現実の女の美。

そんな私も出産以来「なんとなく女扱いされていない」という場面には何度も何度も遭遇し、独身でホクロ取りに金を投資できる友人を心底羨ましく思っていた。しかし天から降った痛みで「死による美」という究極の美しさを手に入れた女性の価値を、私も社会ももう1度見つめてもいいかもしれない。
出産を経験した女性はみんな「あの世」の美しさを湛えている。

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