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Twitterを辞めた話。

大学生の頃からずーっとやってきたTwitterを辞めた。

もともと一人でぐるぐる考えてしまう癖がある私にとって、Twitterはあまり深く考えず、手軽な短文で「えいやっ!」と投稿ボタンを押せてしまうことができるのが魅力だったのだが
いつからかそう簡単につぶやくことができなくなっていた。

それは多分「あなたにおすすめのツイート」が表示されるようになってきた頃から。

私は仕事でピアノをやっているので、ピアノに関係した発言をするせいか、
自然とピアノ愛好者や指導者のツイートが目に入ることが増えてくる。

気がつけば毎日毎日頭の中がピアノのことでいっぱいになり、
誰かの発言に傷ついたり、
私ももっと頑張らないといけないんじゃないかと不安になったり、
発言する楽しさより誰かの発言を目にして心を乱されることの方が勝ってきた。

見ると気が淀むと知っていながらもわざとネガティブな情報を漁りにいくことも増え
「自分に必要な情報なんて見なければいい」
なんてそんな簡単なことを分かっていながらも迷って辞められない。
そんな自分にも嫌気がさしてきた頃。

「音楽や芸術系の習い事なんて子どもにやらせても本当に無駄。将来ピアノが弾けても何にもならない」
という一つのツイートが目に留まった。

まぁ確かにピアノが弾ける=稼げる
ことではないけれども、その発言に賛同する人たちが次々と展開する『音楽は意味ない』論を読んでいたら具合が悪くなってきた。笑

それを機に、あ〜しんど。もう辞めよ。と決心がついた。

先日のお盆休みで実家に帰った時、恐る恐る両親に
「ねぇねぇ…私が大学にまでピアノ勉強したいって言ってやってきたことを、そんなの将来役に立たないのに…とか悲観して思ったことないの?」
と聞いてみたところ
「ないよ」
とあっさり父が即答したのには驚いた。

その時つくづく私はこの親の元で私のままでいることができてよかった、と涙が込み上てきた。


近年、学生の進路は圧倒的に医療系が人気だそう。
食いっぱぐれのない「手に職」系の専門学校なども。
そして音楽、美術はもちろん、文学や哲学、歴史などの文系科目を学びたい学生がどんどん減っていると以前新聞で目にしたことがある。
その記事を書いた方は、それだけ稼ぎ、生活していくことが厳しい社会になってきているとしながらも「これは日本の文化の危機」とおっしゃっていた。

私自身は大人になって社会の厳しさを学べば学ぶほどに、一見「社会に直接役に立っているようには思えないこと」に、ああでもないこうでもないと頭を悩ませ、想いに耽り、時に時間を無駄にして遠回りしてまで音楽を学んだできたことが
なんて豊かで幸せな時間だったんだろうと心から思う。そう、学生時代の学びって、そのあと自分にどう還ってくるのかわからないから面白いのだ。

今はその豊かで幸せな時間を自分で生み出していかないといけないと思っている。
日本の文化の危機を救えるほどの貢献はできなくとも、少なくとも誰かのネガティブな発言に振り回されず、まずは自分が大事と思うものを大事にしたい。
そして音楽を使って周囲に幸せを与えられるような毎日にしていきたい。









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