結論より大事なもの

 震災の日の夜空を覚えている。

 震災の日当日だったのか、それともその次の日だったのか、もう記憶がはっきりしないけど、一人の家に帰るのが怖いので病院に泊まることにしていた私に声をかけてくれた先生(先輩の医師)と、一緒に外に出て家に向かって歩いた。その先生は開いているかもしれないお店で医局のみんなのために買えるだけ食料を買うと言っていて、そのついでに一緒に外に出てくれたみたいだった。街灯もお店の明かりも全て消えた、真っ暗な道。車も走っていない、人もほとんど居ない静かな道。病院の中は煌々と電気がついていてたくさん人がいてバタバタしているのに、外は別世界だった。夜空の紺色がとても濃かった。星がたくさんはっきりと見えた。小中学校の行事でキャンプに行った時の山の夜空みたいだった。一緒にいた先生も、星がきれい、とか何かコメントをした。不安、怖い、悲しい、嬉しいが混ざった不思議な気持ちだった。

 これは結論のない、夜空の話。ただそう思った、そういう日があった、という話。でも今思い出したのには何かしら意味があるかもしれないけど。震災でみんな大変な時にそんなことを思ってたなんて不謹慎だ、とかそういう縛りを超えていきたい。自分も含めみんなの色々な感情を許容していきたい。自由に本当にその時思ったことを思ったままにしていいということ。

 仕事でのカウンセリングでも、結論を急がないように、勝手に結論を出そうとしないように気を付けている。“オープンダイアローグ”の理念にも、答えのない不確かな状況に耐える、というのがある。1つのことに対してその人がどういうふうに思ってもいいし、どういうふうに決断してもいい、その人の解釈や選択が開かれているということ。例えば、死にたい気持ちの患者さんに対して、カウンセリングの最後に死なない約束をする(させる)のではなく、死にたい気持ちはすぐに変わらない、どうしたらいいのかわからない、そういう気持ちのまま一緒にその気持ちをその場で抱える、その状況に留まるということ。死なない約束をしたり、患者さんに「なんか少し楽になりました。死なないで頑張ってみます」とか言ってもらえたりしたら、カウンセリングが終わった時、治療者側が安心するんだと思う(治療者が安心するための結論・帰結)。それは決して患者さんのためではない。本当にそう思っていないのに気を遣って言ってくれる患者さんがいたとしたら、その患者さんはとてもつらいと思う。その患者さんは相手(治療者)に一緒に“死にたい”を抱えてもらうことを諦めたのだから。うまくはできていなくて、色々言ってしまう自分もいるけど、そういうふうにカウンセリングしていきたい。

 話を聴いているとよくあるパターンが見えてくる。見えてきて結論・決着をつけたくなったらそのパターン的な見方を崩す。それを繰り返しながら理解しようとしていく。症状や診断が同じでもそれぞれが違うストーリーを持った人であり、対話1つ1つは別物で全く同じものはない、という原点にも戻るようにしたい。

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