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生命あるものいつか亡くなることを人は忘れがち

こんばんは。Shioriです。

最近友人から「note読んだよ」と言われ、「あぁそういえばnote書きたかったんだ」と思い出し、久しぶりにnoteを書いてみようと思います。

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今日は生命(いのち)の話。
私もインドにいるときや帰国してすぐは大切な存在を失い「生命あるものいつかは亡くなってしまう」という至極当たり前だがとても大きなことに気づかされ、そして後悔にさいなまれ、生命について物凄く考えていた。

しかし、最近は自分も周りも長く生きることができる前提で物事を考えてしまっていることに気づき、それがとても恐ろしく感じたので、自戒の意味も込めてこのnoteに記録しようと思う。



身近な存在の死


私は親戚が少なく、今まで身近な存在の死を経験したことは本当に少ない。小学生の頃に母方の祖母が他界したことくらいだ。
祖母は私が物頃ついたときから病気がちで、私が小学1年のころから亡くなるまで老人ホームに入居していた。
多くて週に1回、少なくて月に2回くらいしか会いに行けなかったため、祖母が亡くなったとき、その顔を見てもまだ祖母がこの世にいないことを実感できずにいた。

「なんだかまだ老人ホームにいったら会えそうだな」

幼いながらにそう思っており、葬式でわんわん子供のように泣いている母を横目に一切の涙を流さず、泣いている母を慰めていた。

母は祖母(つまり自分の母親)のことを悪く言うことが多かった。
「私はこんな母親になりたくないと思ってしーちゃんを育ててきたよ」とよく聞かされていた。

でもやはり母にとって祖母はたった一人の母親で、母は最後まで祖母の世話をしていたし、最後の葬式では子供のように泣いていた。

そんな私が身近でそしてとても大きな存在を無くしたのはインドにいるときだった。
事業も行き詰まり自分の給料をカットしながら事業を進めているときで、仕事もうまくいかず、しんどいながらもなんとかその細い糸を切らすまいと働いているときだった。

母からは毎日日本から泣きながら連絡が来ていた。

私はそれをグッと堪え母を励まし続けた。

でも本当は私も母と同じように泣きたかった。

実は家に帰って泣きながらご飯を食べていたし、仕事をしながらなんの前触れもなく涙がこぼれてくるようになった。

日本に帰ってから改めて、もうここには存在しないことを実感し、その時は私も母と一緒に初めて泣いた。

そして「生命って当たり前だけど永遠じゃない」「もっとこうしてあげればよかった」という後悔が私の心を支配した。


彼女の死から2年経つ今


私はあの時の想いを正直忘れかけていた。

そんなとき、あるドラマを観ていてあの時の気持ちがフラッシュバックした。

絶対に忘れないし、忘れたくないと思っていたことだったのに。
人間は生活していく中でこうして当たり前を意識できなくなっていくのかなぁなんて思い、そしてとてつもなく恐ろしく、寂しくなった。

こんな薄情な私を彼女はなんて思っているだろうか。

教訓を胸にせせこらと親孝行しよう


「生命あるものいつかは亡くなってしまう」
それは今日かもしれないし、明日かもしれない。
自分も相手も。

この教訓を改めて胸に刻んだとき、真っ先に思い浮かんだのは母の存在だった。

「よし、親孝行しよう」

と、言うことで年始に立てた「自分の誕生日に犬を飼う!」はもう少し先にしようと思う。
私が死んだときに面倒を見てくれそうな人もいないし。(任せられそうな人もいないし)

代わりにできた目標は今年の夏に母と長岡の花火大会に行くこと

母と私の誕生日がある夏。
母は「長岡の花火が見たい」と言ったので、今年の夏はホテルでも取って長岡の花火大会に行こうと思う。(ホテルの予約取れますように。抽選だから…)

そこまではなんとか生きていたいと思う。


Shiori



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