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【スポーツ】広島にとっての背番号「8」

広島のスポーツ界にとって、背番号「8」は特別である。

永久欠番

まず、広島カープでの背番号「8」は永久欠番に指定されている。「ミスター赤ヘル」こと山本浩二さんの背番号であったためだ。

選手としての活躍は1968年から1986年のため、私自身現役時代の姿をリアルタイムでは知らない。それでも、1975年の初優勝から続く「赤ヘル黄金期」の4番打者としての話は何度も聞かされた。

40代以下の世代にとっては選手より監督のイメージが強い。

日本人初ゴール

次に、サンフレッチェ広島の背番号「8」である。変動背番号制だった時代、主に8番を背負っていたのは風間八宏さんである。

現役時のポジションはボランチ。守備的なポジションではあるが、攻撃時はこのポジションからパスの拠点になるなど、今となっては重要ポジションである。

なお、1993年のJリーグ日本人初ゴールは風間さんが記録している。現役引退後は指導者となった。2012年に川崎フロンターレの監督に就任し、現在のフロンターレの攻撃的サッカーの基礎を築いた。

ドクトル・カズ

最後に、サンフレッチェ広島の「リスト・オブ・ワンクラブマン」であった森崎和幸さんを紹介する。現役時の背番号は「8」であり、ポジションはボランチであった。

2006年からサンフレッチェで始まった「可変システム」をいちはやく理解し、当時の監督であるミハイロ・ペトロヴィッチから「ドクトル(博士)」と呼ばれた。

4年に3度の優勝はボランチとして「ドクトル・カズ」がいたからこそできたものである。慢性疲労症候群を抱えつつプレーし続けたことはサポーターの記憶にも新しい。

現在はサンフレッチェのCRMという職種でクラブスタッフとして働いている。

まとめ

カープとサンフレッチェの話であったが、広島のスポーツ界にとっての背番号「8」は特別なものとなっている。

なお、2022年現在サンフレッチェ広島では背番号「8」をつける選手はいない。


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