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ビューティフルとハートフルとおばさんの考察

今年言われてうれしかった言葉No.1は、
「しおりさんは、ハートフルな人」。

芸能活動をしていたこともあり、
必死にビューティフルを求めてた20代前半。

そんな私が、
ビューティフルよりハートフルを
うれしく思うようになんて、
成長を感じずにはいられない。

もちろん、ビューティフルだってうれしい。
なんなら、めちゃくちゃうれしい。
(だって、それなりにお金と時間をかけて努力してるから。)

でも、ハートフルって、
ちょっと響き方がちがうというか、
自分に及ぼす作用がちがう。

私なりに考察すると、
ビューティフルの体温よりも、
ハートフルの体温は高い感じがする。

そういえば、3年ほど前の忘年会で
友だちから悪気なく「おばさん」呼ばわりされたとき、
とてもショックだった。

今年も何度か、
人から悪気なく「おばさん」呼ばわりされることがあったけれど、
今年の私はイラついた。
(正直に言うと、何度か友人にグチった。)

自分で自分のことを「おばさん」というのは良い。
でも、他人から言われるとムカつく。

はて。この心は、なんなんだろう?

思うに、
良い歳なんだからわきまえろ、少しは遠慮しろ…といった、
私のエネルギーを削ぎ、
大きく膨らんだ希望をしぼませるものが
「おばさん」という言葉の中に潜んでいるからだろう。

でも、自分で自分のことを「おばさん」という時、
それは誰かを安心させてあげたかったり、
そんな小さなことを気にしなくても大ごとにはならない!と
年下の誰かに伝えたい時だったりする。

そこには、ハートフルな気持ちがのっている。

「ハートフルなおばさん」になら、喜んでなれるのだ。

心の中に、
イタリアのナポリあたりでピザを焼く
恰幅の良くて丸々としたおばさんを飼いたい。

石窯を扱うのも、なんのその。
任せておきなさい!という安心感。
とびきり美味しいピザを振る舞いながら
太陽のように笑う、あの感じ。

そんな人の腕の中なら、
たとえ悲しみに打ちのめされることがあっても、
子どもみたいにわんわん泣けるだろう。

ハートフルなおばさん。

上等じゃないか。
絶対、体温高めだしね。



ところで、
男性は自分で自分のことをよく「おじさん」とおっしゃいますが、
あの心はなんなんだろう?

傷つき防御のための、先手の自己申告なのかしら?

あれ?それは、女性もあるのかしら?

つまり、自分のことを「おばさん」もしくは「おじさん」と自称するとき、

それは
①傷つき防止!先手必勝バージョン 
と、
②ハートフルな世話焼きイタリア人(or 大阪人?)バージョン

が、あるのかしら?

そんなことを考える、年の瀬でございます。

来年はアラフォーを迎える私ですが、
ハートフルに年を重ねていきたい。

そのためにも、
引き続き、体を冷やさぬよう励んでまいります。
(ハートフルに冷えは大敵だからね!)


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註: 2023年12月28日にInstagramに投稿した文章です。

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