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怖がりな大人のわたしが、ちょっぴり勇気を出して前進するための決意表明

趣味は、読書です。
趣味は、映画観賞です。

・・・・。

ここ数年、自分の趣味を伝えることが苦痛だった。
だって、趣味なんてないのだ。
そのとき好きなものはある、その瞬間に。でも”趣味”なんて仰々しく呼べるほどのそれはない。
「へ〜読書好きなんだ!じゃあオススメの本とか今度貸してよ!」
なんて言われても困る。
だって基本は図書館で借りてるし、オススメとして熱弁するほど好きな本なんて人生に数冊しか持ってない。しかも、熱弁したところで大方、共感が得られるとは思っていない。

わたしの趣味はなんだ?

気づけば無意識に、趣味を作り出そうともがいていた。
運動音痴のくせに痩せたくて始めたランニングは、筋トレと交代するようにぱたりとやめてしまった。
その筋トレはジムに通い始めたものの、自分が何を目指しているのかよく分からなくなって、まぁ家でやればいいよなと思ってやめてしまった。
結婚式に向けて久しぶりに練習したピアノは、本番が過ぎればどうでもよくなってまたやめてしまった。

中途半端なところまでいって、やめてしまう。
わたしの心のなかに、ちょっとずつ罪悪感の澱が溜まっていくのがわかる。
惨めで悲しくて、自分なんか大っ嫌い。

そんなとき、さくらももこさんのエッセイでこんな言葉に出会った。
「書いているときがエクスタシーなんです」
(※正確には違うかもしれないけど、ニュアンスはこんな感じ)
さくら先生は、書いているときが一番たのしくて、そのあとのことには興味がないという。その文章が書籍化されたのち、売れたかどうかとかはどうでもいいと。
わたしは、そんな風に思えないなと思った。

モデルの長谷川潤さんは、自身のPodcastの番組でこう言っていた。
「ヨガは、自分のなかでブームが去っちゃったんだよね」
すごいな、と思った。潤さんと言えば、ヨガが大好きなイメージがかなり定着していると思うけど、それをあっさり一言で片づける。
でも、大正解だと思う。だって、潤さんのなかではブームが去ったのだ、それを他人がとやかく言う権利なんてこれっぽっちもない。
わたしは、そんな風に言えないなと思った。


そして昨夜、夫がこんな話をしてくれた。


俺はね、一番の趣味ってずっとパチンコだったんだよ。でも、それって絶対に他の人に理解されないのもわかってる、ギャンブルなんてって。借金でもしてるんじゃって思われるのがオチでしょ。
だから、人には趣味は音楽って言ってた。でも正直、音楽にそこまで詳しいわけでもない。フェスとか好きじゃないし、まぁ音楽すきはすきなんだけどさ。

わたしは、その話を聞いて、自分には趣味がないんだって気づいた。
だからそう伝えると、彼は続けた。

いいじゃない、趣味なんてなくたって。
もし人に趣味を聞かれたらさ、そのとき好きなことを答えればいいんだよ。
結局、自分が楽しかったらそれでいいんだから。楽しいことをしたいだけすればいいんだよ。
でも、shioriは俺に比べて興味の範囲がすごく広いと思う。だから、もっと色々楽しめばいいよ。

わたしの心のなかをみっちりと埋めていた霧が、一気に晴れたような気分だった。本当の気持ちは、長いこと霧に飲み込まれて隠れていた。
そうだ、わたしは自分が今、楽しいことに素直に生きていきたいんだ。

大人になって、くだらないと思うことが増えた。大人なんだから、こんなくだらないことを楽しいと思ってちゃいけないと思った。
だから”趣味”という言葉を盾にして、これにふさわしい何かじゃなければ楽しいと思えない暗示をかけていた。
でも、自分が楽しいと思うかどうか、わたしはそれにもっと素直に生きていきたい。
心のなかの”大人のわたし”が「楽しいと思うことばかりじゃ生きていけない。人生はそう甘くないんだ」と言っている。すぐ防御したがる、怖がりな大人のわたし。
でもこれからは、ちょっと勇気を出してみるんだ。
大丈夫、怖くない。


2020.7.5  shiori



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