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「喪に服す」ことの重要性について

突然だが、2月の後半からずっと鬱モードだった。
鬱モードになっていた要因は後述するが、季節柄4月くらいまではおそらく回復しないだろうと思っていた。

しかしこの3連休ですっかり回復した。
鬱モードが抜けるスピードは、自分のこれまでの経験の中でも最速だ。

キーワードは「喪に服す」ことだと気付いたので、この感覚を忘れずに次回以降も早く鬱モードから抜けられるように記録しておく。

また、もし同じように鬱モードになってしまい悩んでいる人がいたら、この方法は再現性があるのかは分からないがぜひ試してもらいたい。

このnoteで表現している【鬱モード】とは実際の鬱とは関係なく、心が不安定になったりモヤモヤを抱えている田上的表現を指しています。

鬱モードになった要因5つ

今回鬱モードになった要因は以下の通りだ。

①コロナウイルスのニュースに翻弄される

2月中旬頃からコロナウイルスの影響で、心がざわつく日々を過ごしている。

通勤電車ではマスクをしている人がどれくらいいるのか?が毎朝の関心事だったし、まわりに迷惑をかけないためにもコロナの影響から人が集まる場所には行かないようにしようと思っている。

またクルージング船でコロナウイルスが蔓延したニュースを見ると、つらい状況を強いられている人々がたくさんいると考えるだけでもしんどかった。

今でも毎日感染者の情報が流れているし、コロナウイルスによる経済の停滞や買い占め騒動など心が不安定になるニュースが多いのはつらい。

②リモートワークにより人に会えない

2月末からコロナウイルス感染リスクを避けるため、在宅でのリモートワークが推奨となった。
それにより週5で家にいながらにして働く日々なのだが、1日中家に引きこもって仕事をするのはものすごく孤独だ。

別に会社にいるからといってそんなに話をするわけでもないのだが、出社するとそれだけで人に会う理由ができる。

人に会うのが好きな自分にとって、「出社する」という行為は少なくとも自分の生活にとっては大事な要素だったと気付いた。

③大事にしたいと思っていた人を失う

これはコロナとは直接関係ないが、恋人と別れることになった。

私は関係を続けようとしたが、相手が無理ということだったのでどうしようもない。
こういうのはどちらか一方に気持ちがないのなら、うまくいかないわけで。

一度付き合ってお別れすることになると、もう友達にもなれないんだろうか?などと少々傲慢なことを考えたりもした。
しかし自分の言動が好きな相手の心を知らないうちに傷つけていたかもしれないと思うと私の自己肯定感が死に、そんな傲慢な考えはどこかへ吹っ飛んだ。

そんなこんなで、心が死んだ。

④ディズニー行く予定(×2回)がコロナによる休園で潰れる

3月に2回ディズニーに行く予定があった

が、コロナのせいで休園のため予定が潰れた。

普段からディズニー行くようなことはないのだが、今回は珍しく予定ができたのとちょうどすごく行きたいタイミングだったのもあり心躍っていたので、このニュースは本当に落ち込んだ。

未だに再開目途が立っていないのも、普段はきっと気にしないのに行きたかったタイミングだからこそものすごく気になる。

⑤生き甲斐としていたイベント(×2)がコロナのせいで延期

コロナのせいで楽しみにしていたイベントが延期になった。
延期といっても変更後のスケジュールが決まっていない。

本当にやるのか?やらないのか?という不安な心の中で毎日を過ごしている。

おまけに野球の開幕戦もまだ始まらないし、五輪も延期説が出ている。
こんなにもさまざまな楽しみが奪われた経験がないので、これが一番鬱モードになった直接の影響が大きい要因だと思う。

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季節柄、主にコロナウイルスによる直接・間接的要因が多いので「コロナくそ!」と暴言を放っていても許してほしい。
そして早くコロナは滅してほしい。

鬱モードでもがむしゃらに人に会っていた1ヵ月

2月中旬以降、休日は全て外出していた。

もともと心が落ち込むと予定を詰め込んで忘却に走るタイプなのだが、先述したとおり、リモートワークになって平日人に会わないこともあり、休日は人との予定を入れることに躍起になっていたのもある。

学校生活やバイトや遊びにもスケジュールを詰め込む人間なので、引きこもって落ち込んでいるにもいかなかった。
(予定を詰め込まない人間だったらきっと引きこもっておしまいだったので、自分のスケジュールを詰め込む性分と、人員の少ないバイト先や遊んでくれた友人に助けられた節がある。)
        過去note:依存先は分散させるほうが良いと感じた話

おかげで、

・感染源が特定されるうちはコロナになりたくないという持論
・リモートワークが寂しくてたまらない話
・恋人と別れることになった話
・ディズニーに行きたいから、休園が明けたら行こうという約束
・イベントが延期になったことによるコロナへの恨み

などを友人に聞いてもらい、心が救われた。

とはいえ、鬱モードが完全に回復したわけではなかった。
友人に会ったとしてもいわゆる一時的な処方箋という感じで、次の週末くらいまでは持つかな~?という感覚。

コロナの状況が回復する4月以降までは自分の鬱モードは続くのだろうなと思っていた。

図らずも1日中「喪に服す」状態になり、モヤが晴れた

この3連休は予定が皆無の状態でスタートした。
ずっと何かしら予定を入れてきた中で初日は1日中何の予定も入れなかった。

友人に声をかけようかと悩んだものの、毎週のように寂しさで連絡するのは申し訳ない気が引けたのでやめた。

【やったこと】
・テレビでライブ映像を流す
・スマホでTwitterとスマホゲームに勤しむ
・パソコンでYouTube流したりnoteに文字書いてみたりする

外出しようか悩んだりもしたが、引きこもってただただ自堕落な1日を過ごした。

ライブ映像もなんとなくしか見ないし、スマホゲームも中途半端。
Twitterは投稿数は多いもののあまり意味のあることを呟くわけでもない。
noteは投稿しない前提の自分のモヤモヤを書き出すだけの目的の内容。

結局何も生み出していない。
こんな過ごし方をして良いのか?と考えたが、わりとすぐに夜になったのでそこから何かをする気力もなかった。

この日は、ワニが死ぬ日だった。
ワニの最後の投稿を待つ19:00頃には「まあ何もしない日が1日くらいあってもいいよね」という気持ちになっていた。

その後、タイムラインがワニまみれになる頃にはなぜか自分の中のモヤが晴れ「心が整った」という感覚になった。
これまでの処方箋のような一時の回復ではなく、完全に復活した気分だった。

実際そこから急にモヤが晴れ、諸々の落ち込みが回復した。
おそらくいろいろ考えた末に「こんなに悩んでもなるようにしかならない」ことに気付き、全てがどうでもよくなったのだと思う。

早くコロナが滅してくれればあとは言うことはない。

鬱モードになったら負から逃げずに「喪に服す」こと

結論として、鬱モードになったらいったん「喪に服す」のが最速の解決策だと気付いた。

私はこれまで鬱モードになると、その負の状態から逃れるために人と会う約束をしたり、何かしら忙しくしたりすることが多かった。
しかし、それが最善策かと言われるとそうではない気がしてきた。

人と会って寂しさを解消しようとしたり忙しさに逃げるとつらいことは忘れられることが多い。
しかし「喪に服す」と今の状況について、考えたくなくてもいろいろ考えさせられる。

だが、今回はそのほうが想定したよりも早い鬱モードからの回復ができた。
少なくとも私の場合、現実から逃れるよりも現実を受け止めたほうが早くに回復するようだ。

今回はたまたま予定を入れない日があったので、「喪に服す」重要さに気付いたが、こういう日を意識的に作るのが大事だと学んだ。
次回以降、鬱モードに入ったら積極的に「喪に服す」ことで早期解決を図りたい。

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