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依存先は分散させるほうが良いと感じた話

『「人」という字は、人と人とが支え合って生きている。』

ドラマでこんなことを言う有名な教師がいたけれど、このセリフが語り継がれるのは「クサい」ながらも本質をついているからなのではないだろうか。

仕事、身近な人の存在、趣味…。
人は必ず何かしらに依存して生きているだろうし、きっと依存できる先がないとダメなのだろうなと思う。

依存のバランスは常に一定ではない

私は今、依存できる先が非常に多い環境にいると思う。

・仕事
・友人
・職場の同僚
・Twitterで出会った方々
・家族や親戚
・趣味(さまざまなので省略)

それぞれの依存先が補い合い均衡に保たれていることで、自身の精神の安定がもたらされていると感じることが多々ある。

例えば仕事で落ち込んだ日には、無駄に凝った料理を時間をかけて作ったり、溜まっているドラマをひたすら消化したりして翌日を健やかに過ごすための英気を養う。
逆にプライベートで面倒事があったときには、仕事に精が出て(実際に仕事ができてるかどうかはともかくとして)没頭できたりするものだ。

そうやって何かで満たされない心を別なもので気を紛らわすことを心理学的には「置き換え」というらしいが、個人的には「心の依存先」を別なチャンネルに切り替えているような気分でいる。

「心の依存」とは、うまくいかないことがあったときに行きつく避難先の止まり木のようなものだ。
依存先は普段バランスよく保たれているが、自分の身近にある全てのものが常に安定した状態で存在するとは限らない。
どこかがダメになったときに、それ以外のものが「心の依存先」となって空いた心の隙間を埋めるイメージだ。

多くの人がそうやって依存のバランスを保ちながら生きているのではないかと思う。

心の依存先の配分を間違えるとバランスを崩してしまう

私は以前、心の依存先のバランスを崩した経験がある。
それで精神を病んだとかいう大きなレベルの話ではないので「大げさな…」と思われるかもしれないが、当時の私にとってはショックな出来事だった。

2016年1月、私が中高の青春を費やしてきたアイドルの解散報道が流れた。
本人たちがファンに本当の想いを届けることもないまま、年末にはあっけなく解散した。

私にとっては、彼らが全てだったし、生き甲斐なんて言葉じゃ足りないほどに私の中の宗教だった。
彼らの番組を消費するために毎日を費やし、彼らの前向きな歌によって道徳心を培い、彼らに胸を張って(コンサートや舞台で)会うためだけに毎日を生きていた。
もちろん友人やバイトなど、他の依存先もないわけではなかったが、当時明らかに傾倒していた依存先は彼ら以外になかった。

そんな彼らの存在を失ってとんでもない虚無感に襲われ、何もしたくなくなる日々が続いた。
彼らがテレビから消えた日から、テレビを見る機会がなくなった。

とはいえ、学校生活やバイトや遊びにもスケジュールを詰め込む人間なので、引きこもって落ち込んでいるにもいかなかった。
(予定を詰め込まない人間だったらきっと引きこもっておしまいだったので、自分のスケジュールを詰め込む性分と、人員の少ないバイト先や遊んでくれた友人に助けられた節がある。)

そのまま社会人になって、さまざまなことに興味を広げて取り組むうちに、依存先が増えていった。
一人暮らしを始めた頃には不要だと思い買わなかったテレビも、今やなくてはならない存在となっている。
今では、何かに落ち込んだ際に自分を慰めるための心の依存先の確保はできているつもりだ。

今思えばアイドルが解散した当時、他にも心から心酔できる依存先があれば、多少落ち込むことがあったにしろ、もっと健やかに毎日を過ごせたのではないかと思う。

健やかに生きるために心の依存先を分散させるコツ

この経験から学んだのは、以下の通りである。

・大きな依存先を失うと喪失感が大きい

ひとつのものに依存負担をかけすぎると、ダメになったとき立ち直るきっかけが見つかりにくい。

また依存先が唯一神だと、「神がいない」状態になったときに心の拠り所がなくなり心が不安定な状態になる。

そこで、
・依存先を複数持つ
・ひとつのものに依存負担をかけすぎない
のが大切だと感じた。

このような体制が自分の中で準備できていれば、仮にどれかがダメになったときでも、AがダメならBに、それもダメならCに…と、別のどれかが補ってくれる。
備えあれば憂いなく、安定した心持ちでいられるはずだ。

ただし、そのときに注意すべき事項がある。
他人が影響しうる事柄に関して過度に依存しすぎないことだ。
他人への依存に傾倒しすぎると、他人の言動によって自分自身がしんどい思いをしてしまいかねない。

例えば、
・友人に依存しすぎると、嫌われたくないあまり自分の意見が言えなくなる
・恋人に依存しすぎると、「重い」などと思われ関係値が悪化する
・アイドルや俳優・女優に依存しすぎると、チケットが取れない問題や熱愛・解散報道などで病む

など、人に依存しすぎるとあまり良くないことが多い。(経験則)

そこでおすすめなのがこれらの依存先だ。

・凝った料理で気を紛らわす
・旅行へ行く(小旅行も可)
・仕事に勤しむ
・人以外を愛でる

上記のように自分ひとりで完結できる趣味を持てると、より心が安定しやすいのではないだろうか。(経験則)

まとめ:健やかに生きるために、依存先を分散させるということ

ひとつのものへの依存は若いうちに現れやすい傾向だと思う。
大人になってからはじめて、過去の自分がひとつのものにしがみついていていたことに気付かされた経験があるかもしれない。

私はアイドルの解散を経て、これまでの自分がいかにひとつのことに依存していたのか気付かされた。
そこから「今、自分の依存先リストはどれくらいあるだろう?」と考えるようになった。
そしてその中で最も信頼を置く依存先がなくなったとき、それ以外の何を心の依存先とするか思いを巡らせる。

自身の依存先に不安を感じたときが新たな行動を起こすときなのかもしれない。
イベントに参加してみたり、なにかを勉強をしてみたり、新たな趣味を探すのも良い。

もしこれを読んでいる方が依存先に不安を感じるようなら、健やかに生きるために依存先リストに新たな依存先を加えてみるのをおすすめしたい。

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