【社会とつながるとは】リモートワークの孤独とたたかう日記7/14
リモートワークをして過ごす日々を日記にしている。
ニュース番組でも日常的にコから始まるあのニュースが流れている風景にもすっかり慣れてしまった。
いつまでこんな日々が続くんだろうか。
社会とつながるとは
快適なまでにリモートワーク生活をして、5カ月近くが経つ。
このnoteの継続投稿は3月頃から始めたのだが、昨日投稿したところ17週連続の投稿と表示された。(2月下旬から在宅勤務がスタートしているので、実際は20週くらいリモートワークだ。)
毎朝9時半にパソコンに向かい、ただひたすらに部屋で仕事をする生活にもすっかり慣れた。
部屋でMTGやアポを実施したり電話をしたりしながら過ごす。
最初は毎日人に会えない生活に、気がおかしくなってしまうのではないかと思っていたが、そんな生活にも適応し、ひとりなりの楽しさも享受できるようになった。
ただ、定期的に考えては悩ましくなるのが、「今、この状況は社会とつながっていると言えるのだろうか?」ということだ。
そりゃ仕事の中で社内の人や社外の人ともコミュニケーションを取っているし、そうでなければ私の仕事は成り立っていない。
そういう点では「社会とつながっている」と言える。
ただ「社会とつながっている」という実感は極めて低い。
仕事はしていれど、社会とつながっている実感が薄いと感じるとは思っていなかった。
今までこんなことを感じたことはないので、こう感じるのはおそらく誰とも会っていないことが原因なのではないだろうか。
外に出て誰かと会わない限り、社会とつながっている実感は得にくいと感じる。
社会とつながる重要性について、今までは特に意識したことがなかった。
働いていればなんとなく社会とつながっている気になれたからだ。
それがこの状況下だと、会社に帰属して仕事をしていながらも社会と繋がっている実感を得にくいというのは新たな気付きではあった。
最近はどうにかして社会とつながっている実感を得られないか、毎日模索している。
仕事で積極的に関わりにいってみるだとか、SNSで発信をするだとか、いろいろしてみてはいるが、社会とつながっている実感を感じられることはあまりない。
こうなってみると社会とつながる実感は果たして必要なのだろうか?とも思うが、人間は何かしら誰かしらとつながる「社会的な生き物」だと昔、何かの授業で習ったこともあり、社会と繋がっている実感を得るためにもがいてみたい自分もいる。
リモートワークで社会とつながる実感を得たその先に何があるのかは分からないが…。
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