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【「慣れ」への恐怖】リモートワークの孤独とたたかう日記5/22

リモートワークで感じるアレコレを日記にしている。

普段の金曜日はあまり「華金」感がないのだが、リモート飲み会が入っていると少し「華金」感を味わえる気がしている。

「慣れ」への恐怖

最近になって「リモートワーク、大丈夫?つらくない?」と聞かれる。
それも結構多くの人に。

私個人としては最初の1~2カ月がつらかったものの、4月中旬頃からはこの生活にすっかり慣れてしまった。
そのためそんなことを聞かれても「今さら?」とも思うくらいには適応できている気がする。
(せっかくご心配いただいてるのに「今さら?」ってのも何様だよ、って感じだけど。)

毎日をひとりで過ごすのが当たり前になり、寂しささえもなくなった。

だが、反対に誰かと話した後、ひとりになった瞬間の反動は大きくなった気がする。

社内の人とのオンライン接続での会話、電話やオンライン飲み会の終わった瞬間の無音。

おそらく

常時ひとりでいることに慣れすぎている(日常)
→誰かと話す(非日常で楽しい)
→再びひとりに戻った瞬間の落差に驚く

という状況なのだろう。

あれ、こんなに静かだった?こんなに無の空間だった?とひとりの日常の自分に驚くのだ。

リモートワークの生活はこれまでの生活からすると非日常だと思う。
今、それが常態化することで既に私にとっての日常となっているが、誰かとオンラインでも過ごす時間を持ったあとで、ひとりの時間に戻ると「自分の今の日常はこんなに何もなかったのか」と気付かされるのだ。

リモートワークに慣れたのは良いことだと思っていた。
ただリモートワークの中で人と話すときに感じるようになった非日常感も、その後ひとりになった瞬間に感じる落差も、これまでの生活からすると異常なものに感じる。

「慣れ」は良いことばかりではない。

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