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INFJの人ならわかってくれると信じてるけど自分だけかもしれん話

「人とのコミニュケーションは大切なので、
人と積極的に話しましょう」

こういう"人と関われ"論が
すごく苦手なのは私だけだろうか。

これは私の話なんだけども、
人と話すのってめちゃくちゃ体力を使う。
雑談苦手。

「この話私はしたいけど、相手はどうやろ」
「このこと聞きたいけど、踏み込みすぎかな」
そんなこと考えてたら
もう相手はいなくなってる。

そんないちいち気遣うくらいなら
「優しさとは何か」
「死んだらどんな世界に行くと思うか」
「死ぬ間際に何を思いたいか」
「人生で何を残したいか」
「なぜ生きるのか」
そういう話題について深く語らおうや。

でもこういう話題ってすぐ「重い」って言われる。

私はこういう話したいのに。
私にとっては常に考えてることだし、
とても大事な議題なんだけどなあ。
逆にみんな何考えて生きてるの?

こんな"重い"話するくらいなら
1人でいたほうがいいってなる。
気遣わなくて楽だもん。

あと、私たちは人の感情もわかっちゃうから

この人は、こう思われたくてこの言葉を言ったんだ、とか
この言葉が欲しくてその発言をしたんだ、とか

そういうのわかりすぎてうんざりしちゃう時がある。
はあ、もういいよ、って
あえてその欲しい言葉を言わなかったりする。

めんどくさがり屋でごめんね。

だから、私たちにとっては
人とコミニュケーションを取る、というのは

キャッチボールするんじゃなくて
人が求めていることを察知して返す

そんな感じ。

もう、そんなん接待じゃん。

だから、コミニュケーションをとりましょうって、ほんとに苦手。
キャッチボールにならないんだもん。

言いたいことを言う、とか
思っていることを素直に、とか
1番苦手よね、うちら。

言いたいこと言っちゃうと、
考えて考えて、精錬されきった気持ちが
言葉になって表出するから、
言葉の解像度がめちゃくちゃ高い。
それゆえに言われる「重い」の一言。

悲しい。
だから言わない。
本気なのに、わかろうとしてもらえないから。

だから抽象的だったり空想的な問題に対して
自分の意見を言い合っている時が
1番自分らしい言葉で自分の気持ちを素直に言えるんだろな。

MBTIに詳しい人に聞くと、
どうやらINFJじゃない人たちは
ずっと考え込むってことがないらしい。

その事実に驚いた。
え、考えない時間ってあるの…?

みんな何かしらをずーっと考えて生きてると思ってた。
だから、その言動とか立ち居振る舞いに
全ての意味があると思ってた。

うちらがなんとなく人の気持ちを察するのは
人の言動にはすべて意味がある、と
思っているからなのかな。
それゆえに観察眼が鋭いというか。

航空機内でこの人イヤホン欲しそ〜、とか
この人道に迷ってんな〜、とか
あーこの後絶対話しかけられるわ、とか。

人が無意識に出している表情や行動で
わかるんだろね。

話が逸れすぎましたけども、
わたしは結局1人が好きなんよね。

コミニュケーション取るなら
私の素直な気持ちを
「重い」の一言で片付けないで。

それだけ。
(結論、軽)



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