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桜が舞う昼下がり

意思決定から逃げている。

なんか引っかかっていて、
なんか楽しくなくて、
なんか入り込めなくて、
そんな感じであるプロジェクトを進めていた。
チームメンバーに言われてハッとした。

思えば今まで、最終的な意思決定から逃げていたかもと思った。
絡んでくる人数や、お金が大きいもので。
意思決定をして、責任を追うことから逃げていた。
いつも誰かが守ってくれていることに甘えていた。

「”なんか”違和感がある」の”なんか”の部分が明らかになって
はっきり言ってくれた愛が染みた。

意思決定っていう言葉から思い出すのは
300円までと決められた遠足のおやつを一生懸命計算してた駄菓子屋さんでの時間と、中学校3年生の時の先生が、卒業式を終えた後に伝えてくれたメッセージ。

人生は選択の繰り返し。朝目覚ましが鳴って、起きるか起きないか。そんなところから選択があります。選択の積み重ねでみんなの人生が紡がれていきます。自分で自分の人生を歩んでいってね。遠いどこかで応援しています。

先生の話なんてそうそう覚えていないけど、
大好きだった中3の先生の、この言葉は私の中に染み込んでいる。
クラスのお母さんみたいな存在で
ヤンチャな男の子たちには、毎日こら〜〜って怒っていて
恋する女の子たちとは、同世代のようにキャーキャー恋バナで盛り上がって、
受験に必死な私には、あなたなら受かるってずっと可能性を信じてくれていた。
成績で優劣つけず、それぞれを我が子のように可愛がってくれてた先生が大好きだった。林田という苗字をとって、「リンダマン」と呼ばれていた。

これから私が進んでいくのは、今まで逃げてきた意思決定をする世界。
リンダマンはどこかで応援してくれているのかなぁ。
今どこで何をしているかわからない。
声や顔をはっきり思い出せるわけじゃない。
でもどこかで応援してくれている気がする出会えてよかった人。
今の私を要素分解したときに、リンダマンからの影響を無意識に受けているところがたくさんある気がする。

なんか言葉を残しておきたくて、
なんかすうっと過去の光景が鮮やかに思い出されて、
もう終わりかけの桜が舞う午後に、
ふわっと書いたnoteでした。