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新しい環境に飛び込むときに想像する、植木鉢の話。

私は人生で何度か「そろそろ植木鉢の交換時期だなぁ」と感じたことがある。
 
体調を崩してしまったとき、新しい趣味を始めたとき、一人暮らしを始めたとき。仕事や家や生活、そのときどきの自分の周りに違和感を覚えたタイミングだ。
 
なんだか、今自分のしていることが窮屈に感じたり、退屈したり、身の丈に合っていないように感じたりする。居心地がよくなくてモゾモゾ、そわそわする。収まるべき場所に収まっている感じがしなくて気持ちが悪い。
 
周囲から「もったいない」と言われたり、逆に「もっとちゃんとして」と言われたりする。植木鉢は大きすぎても小さすぎても、フィットしていないという点では同じだ。
 
きっと、違和感は自分だけではなく周囲にも伝わる。不自然なことや合っていないものは外れて、あるべき場所に収まっていくものなのだと思う。

私たちの毎日は、小さな変化に満ちている。
 
 同じような日々は、自分や周囲をこまめに気にかけて、調整することで成り立っていく。
 
自分の身の回りの世話をすることも、周囲とちょっとした会話をすることも、どれも欠かせない。それは植物の水やりのように、継続していくことが必要だ。当たり前にあるときには意識しないけれど、無くなるととても困る。水や空気のような存在なのかもしれない。

時には、小さな調整では対応しきれないことがある。自分の中で色々試したり、周囲と微調整を繰り返したりしても、違和感がぬぐえないとき。少しずつ停滞して、うまくいかないことが続くとき。それが一時的なものならいいけれど、うまくいかないことが続いたり、どんどん自分や周囲の元気がなくなっていったりするときは、植木鉢の交換時期だと思う。
 
観葉植物を育てたことのある人なら、一度は植木鉢の交換を経験したことがあると思う。途中まではモリモリ育って、新しい葉が出て、ぐんぐん伸びていった植物が元気を無くしていく過程を。
 
そういうときには水をあげても、栄養剤をあげても、あまり効果がない。ワサワサと増えた葉に遮られて、下の方の葉っぱは日の光があたらなくなり、茶色くなって落ちていく。新しい芽や葉が出てこなくなり、元ある葉からはみずみずしさが失われる。増えすぎた葉を切って減らしても応急処置にしかならない。
 
「病気にでもなったのかな」と、土を掘り返してみるとパカッと植木鉢から植物が離れる。植木鉢にはびっしりと根が張り巡らされて、もう少しも根を伸ばしていく余裕がなくなっている。一番下には土があるはずが、根っこだらけで、根っこは植木鉢の形に変形している。
 
こうなると、思い切って植木鉢を交換した方がいい。植木鉢の交換は、リスクでもある。植木鉢を交換した後は弱りやすく、枯れやすいからだ。春や秋のような、気候のいいときに行う。
 
植木鉢は、今の植物にピッタリ合うサイズというよりも、植物より一回り大きいサイズが望ましい。その先、根を伸ばしていけるだけのゆとりが欲しい。そうすると、根っこが伸びてもすぐには植え替えをしなくても大丈夫だから。
 

私は自分の周りの環境を変えるとき、植木鉢の交換をイメージする。今の自分の環境が合っていないと感じるとき、今より少しだけ先の未来を想像する。
 
今の私にピッタリ合っているとまたすぐに交換しなくてはいけなくなるから、ちょっとだけゆとりを持たせる。
 
結果として、変化の時期には少しだけ背伸びをすることになる。植木鉢は自分のサイズよりも大きいから、そこになじむためには新しいことに挑戦したり、もっと別の方向に伸びていったりする必要がある。空白を埋めていく作業が必要だ。
 
大きな変化の後は、新しい場所になじめるように小さな調整を繰り返していけばいい。日当たりのいい場所で、新鮮な水をあげよう。植木鉢の交換は、植物を元気にするために行う。人も同じだ。今と比べて、よりよい人生を送るために行うのだから。

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