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ロックな精神と、尖った文章。

以前は「尖っている人はカッコイイ」と思っていた。社会に反抗するロックミュージック、毒舌なお笑い、風刺の効いた映画、社会の裏側を暴くルポルタージュやノンフィクション、知識や経験の豊富な人の批評文も好きだった。

強い言葉には責任が伴う。大きい口を叩けばボロは出やすくなる。鋭い意見は薄っぺらさを誤魔化せない。他者や社会に厳しく切り込むには、誰よりも自分に厳しい目を向ける必要がある。そのストイックさは潔く、美しい。

ライターのお仕事を始めさせてもらったサイトも「おいおい、こんなことを書いていいの?」とたじろいでしまうようなコラムに惹かれた。他の人ならオブラートに包むところで本質に切り込んでいく。

最初は高度な技術や、多方面に気を遣い、計算をした上で、ギリギリを攻めているのだとは気づかなかった。お笑いが一歩間違えば暴力になってしまうように、尖った文章にも作法があるのだ。

私はそのことに気づかないまま、「こんなに色々な人が発信している中で、無難なことを書く意味がない。それじゃあ埋もれてしまう。」と思っていた。質の悪い炎上商法の発想だ。

インターネットという環境は、それまで二十数年間溜め込んでいた怒りを吐き出す場所としてふさわしいと感じてしまった。冷静でいられないテーマやどす黒い感情を好んで引っ張りだし、時に感情が暴れて自分でも手をつけられなくなった。

言いたいことも、書きたいことも尽きなかった。たとえ採用をされなくても、自分からどんどん書いて、書いて、書きまくった。

だから、新しいライターさんに「何を書けばいいですか?」と聞かれたりする状況はよく理解できなかった。書きたいことがあるからライターに応募しているんじゃないんだろうか。気になるテーマや、話を聞いてみたい人、知りたいジャンルは生きていれば誰でも持っているものなんじゃないの?遠慮して出していないだけじゃないの?

編集長から「他のライターさんにどんな原稿を依頼すればいいのか考えてみて」と頼まれたときにも「企画を提案するところからがライターの仕事じゃないんですか?」と聞き直した。

「ライターにも色々な人がいる。頼まれた内容を書く方が得意な人もいるし、特に書きたいことがない人もたくさんいる。森本さんには特にこちらからテーマを指定しなかったのは、放っておいても書きたいことがたくさんある人だから。」と言われた。

私は書くことの一番の醍醐味は企画の段階だと思っていたので「それじゃあ楽しみが半減してしまう」とライターさんに申し訳なく感じた。

それに加えて、私は他の人からのオーダーがあると書けなくなってしまったのだ。オーダーする方は「こういう仕上がりにして欲しい」という要求がある。

相手の要求を読み取らなければいけないし、期待に応えようとしたところでアッと驚かせることは難しい。よくも悪くも、ある程度の完成予想図や基準が相手の中にあるから上回れないのだ。

相手の要求を上手くくみ取れず、自分の意見を求められたら尖った攻撃的な発言をしてしまう。よくクビにならなかったものだと不思議に思う。当時は今と比べて単純作業が多かったのも納得だ。

その頃の私は空き時間に勉強をした。今思うと笑っちゃうくらい遠回りだけれど「文章とは何か」を知りたくて、谷崎潤一郎や三島由紀夫の『文章読本』を読んだり(小説家になるのか?)、新聞記者の書いた本を読んだり、ウェブの文章について大手LIGのサイトを調べたり、なぜか大学受験の現代文の問題集を買ってきて解いたりした。(文章の論理構造について学びたくて…。)

ネットでも話題の文章を読みまくり、傾向と対策を練った。働いているサイトのコラムも全て読み込んだ。当時、何百本もあったと思うけれど「〇〇についての記事」と言われれば「ああ、初期のAさんの記事ですか?」と答えられるくらいにはなっていた。ただのオタクだ。

私は鋭い意見や尖った文章を書けるようになりたくて努力していたからこそ、少しずつ仕事が増えて丸い発言をするようになったライターさんが理解できなかった。「前はあんなに面白い文章を書けていたのに、手抜きをしているんじゃないの?」と思っていた。

波風を立てず、角が立つ言い方はしない。誰のことも傷つけず、AとBどちらの立場もとらずに間をとる。まあまあ、どちらの言い分も分かりますし、と配慮に配慮を重ねて強く主張しない。

デリケートな話題は予め触れることすら避けて、一般的な話題について自分の意見ではなく、あくまでも情報として届ける。以前のその人の文章のファンだっただけに、急激な変化に戸惑い、悲しくなった。

本人にも、手を変え品を変え「もっと書けるでしょうが!!あの頃の切れ味のある文章はどこに行っちゃったんですか?!」と伝えた。

その人の話をとことん聞いて引き出そうとしたことも、「これを読めば反論したくなるんじゃないか?」と煽るような文章を書いたこともある。「今回のコラムよかったね。」と笑って言ってくれただけで肩すかしをくらった。

大人になっちゃうってつまらないな、と思った。

「ペンネームで好き勝手書いている森本さんにはわからない。もともと主張したいことや怒りも特にないのに尖った発言をすることなんて、リスクはあってもメリットがない。これまでやってきた仕事とか、守らなきゃいけない存在があるんだ。」と言われた。

その人は結婚をしてから、より一層自分のことを書かなくなった。

でも、最近になってあの人の気持ちが少しだけ想像つくようになってきた。私が尖った文章を書けていたのは、失うものがないからだった。いわば怖いものなしの「無敵の人」状態だったのだ。

それを、勇気や覚悟と勘違いしていた。私は単に身軽で、誰にも何にも拘束されていなかっただけ。拘束や束縛と言うと響きがネガティブだけれど、それは期待や信頼関係と呼ぶこともできる。

誰だって言葉のナイフを振り回して、周りの人を傷つける恐れのある人は信頼しない。批判するだけの文章に広告はつかない。たまに熱狂的なファンはつくかもしれないけれど、それは「自分の代わりに物申してくれる」からだ。

強い人に楯突く人がいれば、観客は安全な場所から刺激的なショーを楽しめる。代理満足のためのダークヒーローの行動原理はアイドルと同じで、お客さんの期待だ。

悪口を言うことは、褒めることよりも簡単で考えずに反応するだけでいい。後手に回っている時点で受け身なのだ。褒めるためには、よさを探して見つけようとして、どうやったら引き立つだろうと考えなければいけない。

私が幸運だったのは、世に出してはいけない文章は全部ボツになったことだった。編集長がチェックして却下していた。世に出るときは、丁寧に編集をして、一部の表現を変えたり、削ったり、補足やフォローを入れてくれていた。

今は「あの時、私の怒りをそのまま出さなくてよかった」と思っている。その頃はブログも書いていなかった。自分でnoteに書くようになってからは、自分で自分の文章を編集するようにした。世に出していい形か、もう一度読者の目線で確かめる。

「チェックする目」を持つようにしてからは、自分の文章を直されることが減った。自分が自分に厳しくなったのだ。以前と比べて尖った発言をしなくなっていった。

続けたい仕事もあるし、好きな人達から警戒されてしまったら悲しい。少しずつ信頼関係ができてきたからこそ制約は増えていく。触れにくい話題や使えない表現はある。

慎重になりながら発言をすることはエネルギーが要るので「それなら最初から言わなくていいや」と諦めることも増えてきた。

徐々に無敵の人ではなくなり、丸くなっていった。状況によって、立ち振る舞いは少しずつ変わっていった。

私は今でもロックミュージックや毒舌なお笑いや風刺の効いた文学が好きだ。カッコイイものはカッコイイ。理屈じゃない。高校生のころは社会や親世代への反抗心を重ねていた気がするけれど、それだけじゃない。それは転んでも殴られても立ち上がる、生きる姿勢なのだ。

強い言葉は相手だけでなく「じゃあ、お前はどうなんだ?」と自分に問いかける。ロックミュージシャンは売れると対象の範囲を大衆へと広げるかもしれないが、ロックはロックのままだ。

ただし、それはむやみやたらとナイフを振り回す形ではない。きちんと力をつけるには武道などと同じように型がある。練習を積み重ねて実力をつけて、力の使い方を学ぶ。自分の限界を知った上で越えようとする。

好きなテイストや、目指したい姿勢はそう簡単に変わらない。仕事もするし、社会的な振る舞いも身に着けるけれど、なるべく言葉は研ぎ澄ませていきたい。新しい学びや気づきを得て古い常識を破りたい。

メリットを計算したってその通りになんて動けない。年を重ねても好きな音楽を聴いて歌おう。いつかは自分の集大成のような文章を形にして、大きなキャンバスに色鮮やかな絵を描くんだ。

悩んでいる若者に出くわしたら、ニヤッと口の端を上げて「あんたの人生なんだから、好きにしな。」と言ってバシッと背中を叩いて喝を入れるような、ロックなおばあちゃんになりたい。


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