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毒舌な子どもと、お守り。

「俺たちは、イルカショーのイルカと同じなんだよ。ゲームを餌につられているの。」

2年ほど前に、そう言った子どもが、つい先日うちの事業所を辞めた。多いときで週に4日は来ていたから、かなりの時間を一緒に過ごしたことになる。

まあ、とんでもなく口の悪い子どもだった。流産した直後の先生に対して「お前のせいで子どもが死んだんだろ。」とからかったのを聞いたとき、ドン引きした。なんて残酷なことを笑いながら言うんだろう。

発達障害なことも関係があるだろうけれど、それだけじゃない。他の発達障害の子はそんなことを言わない。その子は、群を抜いて意地悪だった。

他の子どもをからかいながら「だって、いじめるのって楽しいじゃん。」とあっけらかんと言い切る姿を見ると、とてもじゃないけれど性善説は信じられない。大人が社会性の名の下にきれいに隠すような感情をむき出しで見せてくる子だった。

その子と会っていた4年半で、山ほど毒舌や本質をついた言葉を聞いたけれど、冒頭のイルカショーのたとえは特に印象深かった。

「だから、俺はもうここでゲームを一切しないんだ。それによって、自由を手に入れるの。」と言っていた。

その子はゲームを餌に自分が釣られているから、今の自分は不自由だと言った。ご褒美によって左右されてしまう、他人にコントロールされる状況を何よりも嫌っていた。

イルカショーのたとえを聞いて「私も、イルカショーのイルカと同じだな。」と思った。その子にとってのご褒美はゲームだった。私にとってのご褒美はお給料じゃないだろうか。お給料をもらうから、相手の望みを叶える。システムとしては同じだと感じた。ちがいは、トレーナーがいなくても自主的に相手の望みを叶えようとすることだけ。

「自由を手に入れる」という表現が小学4年生の子から出てくることも驚きだった。まあ、次の日にアッサリと「ごめんなさい。もう二度としないからゲームさせて。」と謝っているのを見たというオチつきの話だけど。(自由はどこに行ったんだよ。)

もちろん、考えさせられるようなことばかりではなく、ただの攻撃も多かった。何回も嫌なことを言われた。しつこくからかわれたこともあるし、文句なんて日常茶飯事。何度、他の子をいじめているところに出くわして、間に入ったことか。

それでも、私はその子が嫌いじゃなかった。その子を苦手な職員は多かったし、私も得意ではなかったけれど、憎み切れなかった。

自分に甘くて地道な努力を嫌い、面倒くさがりでしょっちゅう手抜きをしてどうやって先生の目を欺くかばかりに力を注ぐ。そのくせ、他の子どもには厳しくて、ルールを押し付ける。「どの口が言っているの?」と何回も呆れた。

なんで嫌いになれないんだろう。自分の好きな友達には優しい子だったからだろうか。いや、ちがう気がする。私はあの子の本質を見つめるところが好きだった。(なぜか自分には甘くなるようだけど)言葉や、絵の中にあるキラっと光る何かに魅了されていた。

小学2年生くらいのときは、会うたびに「見て、見て」とお絵かき帳に新しく描いた絵とストーリーを聞かせてくれた。ストーリーも暴力と死に溢れていたけれど、その子の持っている世界観を少しだけのぞいた気がした。

小学校3年生くらいになると、絶対にノートを見せてくれなくなった。大人には一人にも見せなかったと思う。大人には言えない秘密を持つのも健全なことだ。「この子は、内側の世界を大人から守っているのだな。」と少しまぶしく感じた。

2年くらい前、その子が真剣に工作をしていた。紙粘土で小さなかわいらしいスライムを作って「これ、俺のお守りにするんだ。」と言っていた。

いつもは作品を持ち帰ると、お母さんから「また、こんなゴミを持ち帰って!」と怒られて捨てられるから、と持ち帰りたがらなかった。その作品だけは早く持ち帰りたがってソワソワしていた。

1年くらい経ったとき、ふとした瞬間に「ねえ、先生。俺、まだスライムのお守りを持っているよ。部屋に飾っている。」と話しかけてきた。私があの粘土細工を絶賛したから話しかけてきたのかはわからない。彼がまだ持っているということが嬉しかった。

こんなことで喜んでいると、別の職員に「ひどいことを言われても、後で優しくされると許しちゃうのは、DVにハマる人の心理ですよ。」とか言われてしまう。(本当にその通りだ。)こんなだから、子どもに足元を見られてなめられてしまうのだ。一喜一憂せずに一貫した態度をとらなければ。

私はあの子の、とんでもなく意地悪な面も知っているし、それもまたあの子の本性だと思う。「本当は優しい子なのよ。私だけは理解してあげなきゃ。」とかは思わない。あんなに他人を傷つけて喜んでいたことをチャラになんてできない。多面性を持っているということだ。

「どうして女の買い物って長いの?」と妙にませたことを言ったあの子も、他の子や先生をいじめて喜んだ姿も、自分で作ったお守りを大切にとっておくあの子も。全部、一人の人だ。

だから、やっぱり、私は彼が辞めてしまってさみしい。この夏に、仲のいい子が休むようになったと同時にその子も休みがちになった。

最後の日に「お世話になりました。俺は特に面倒な子どもだったでしょ。」と言っていた。(私に対してじゃないけど)

DVを許しちゃう心理なのかもしれないけど、私はあの子が嫌いになれなかった。そんなことを言う最後なんてやりきれない。もっと、ちがう形での別れがよかった。

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